四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第七十二章(述而第七)

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○日曜日の午前、1月29日、ウオーキング

 

「さあ資格の勉強しよう、継続こそ力なり、金がないなら勉強だ」

 

「もはや資格取得より、日々弓矢の如く直くあることが気持ちよい」

 

「ダラダラは大好きだが、日々、直くあるからこその息抜きだ」

 

#三行詩

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○月曜日の朝、通勤

 

「子、人と歌いて善きときは、必ずこれを反さしめて、而して後これに和す。述而三十一」

 

「孔夫子が人と歌われる時、相手が素晴らしい歌い手であれば、必ず独唱してもらい、良く聴いてのち共に歌われた」

 

「孔夫子の日常でのお姿を垣間見ることができる。現代でいえば、カラオケでサビの部分を一緒に歌う感覚であろうか、和やかな気持ちになる」

 

#三行詩 #論語

 

○月曜日の朝、電車内

 

「会社にある診療所で健康診断の為、朝めし抜き、力が入らない」

 

「本場インドでビリヤニを食べたくなったが、ネット旅行記を読むと日本人には合わないとか」

 

「海外旅行はツアーパックよりフリープランが好きだ、行きたくなってきた」

 

#三行詩

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○月曜日の朝、乗り換え

 

「コロナ禍前にハノイへ行った、海外で安宿貧乏ひとり旅は昔からだ」

 

台北に行きたい、北京語で日常会話くらいは出来るので、楽しみにしている」

 

「子と二人で行くつもりであったが、反抗期に入ってしまった、もう子とは無理だろう」

 

#三行詩

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○月曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、文は吾猶人のごとくなること莫からんや。躬をもって君子を行わば、則ち吾未だこれを得るあらざるなり。述而三十二」

 

「孔夫子はいわれた、周王朝から伝わる礼節や経書を学ぶことに関しては、私は人と同じ様には出来るであろう。しかし、この身をもって君子の道を実践しているかといえば、未だに行えているとはいえない」

 

「この句、学問の道とは経書を学び、学んだことを実践してこその君子の道である、との意と、孔夫子をもってしても、君子の道を日常や政治で行う難しさを述べられている」

 

#三行詩 #論語

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○月曜日の夕方、乗り換え

 

「健康診断、メタボ腹回りや血圧は良くなった、去年の大腸内視鏡検査のち調子いい」

 

「嬉しくなって昼食にカップラーメンを追加した、美味かった」

 

「ただ左眼の視力が良くない、適当にボタンを押して正解するも、ほぼ見えてない、眼科は苦手だ」

 

#三行詩

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○火曜日の朝、通勤

 

「子曰く、聖と仁との若きは、則ち吾豈敢えてせんや。抑もこれを為して厭わず、人を誨えて倦まずとは、則ち謂うべきのみ。公西華曰く、正にこれ弟子の学ぶ能わざるなり。述而三十三」

 

「孔夫子はいわれた、聖人や仁者の道とは、私でも、そう実践出来るものではない。ただ、これらを常に学び、人に教え続けることが出来るだけだ。弟子の公西華がいう、常に学び、人に教え続けることが私たち弟子は未だに出来ないのです」

 

「聖人である孔夫子から直接指導を受けた公西華ら直弟子でもこの言葉となる。仁の実践(究極的には天下を救う)とはいかに困難なのか、私のような凡人では及びもつかない」

 

#三行詩 #論語

 

○火曜日の朝、電車内

 

「天国を認めるとは必然的に地獄を否定しないことになる」

 

「罪の意識、とは道徳の根底にあり、万人が大小持っている」

 

一遍上人は、捨てた、全てを捨てて六字と一つになられた」

 

#三行詩

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○火曜日の朝、乗り換え

 

「真の無神論者とは、悟りを得た覚者か、何も知らない人のどちらかだ」

 

「やはり、人とは道徳による善悪二面性から離れられない」

 

「道徳を説く孔夫子の教えとは、私たち凡人の生きる規範となる、根本だ」

 

#三行詩

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○火曜日の朝、一休み

 

「現代の無神論者には注意が必要だ、心を病む、傷ついた人相手に商売繁盛だ」

 

「あと三日で地獄に堕ちるから数十万を入金しなさい、リモート除霊で分/○万円で救ってあげる」

 

「少なくとも、彼ら彼女らは確実に無神論者であり、非道徳主義者だ、地獄の住人でもある」

 

#三行詩

 

「確かに否定出来ない怪現象はある、UFOなど信じてはいないが、自らのスマホに写った画像に困ることが数年に一度はある」

 

「だからどうした、自分には関係ない」

 

「ある住職様から聞く、本職でも見たことはないし、仮に居たとしても数十万の報酬を求める私利私欲の人が、どうして除霊を出来ようか」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「子、疾む。子路祷らんことを請う。子曰く、諸有りや。子路対えて曰く、有り、誄に曰く、爾を上下の神祇に祷ると。子曰く、丘の祷ること久し。述而三十四」

 

「孔夫子が病気を患われ床に伏せられた。弟子の子路は心配して、祈祷をしてはどうでしょうかと請う。孔夫子いわれた、先例にそのようなことがあっただろうか。子路は答える、有ります。誄という祭祀にて天神地祇に祈るとありました。孔夫子はいわれた、私は毎日天神地祇に祈っているので必要はないな」

 

「孔夫子の病を何とかしようと愛弟子の子路は祈祷をしてはと請う。誄とは死者の功績を称えて天地の神々に祈る儀式。孔夫子は、神々に対して病気回復を祈願することようなことを好まれなかったようだ」

 

#三行詩 #論語

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○火曜日の夕方、乗り換え

 

「仕事でイライラしている、まだまだプライドを捨てていない、苦笑いと己の短気を持て余す」

 

「自らという範囲が大きくなるばかりでは他人と衝突しない訳がない」

 

「沈黙は金なり、自らとはこの身体と心で十分だ、依怙やら見栄やらプライドとか、捨ててこそ」

 

#三行詩

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○水曜日の朝、通勤

 

「子曰く、奢れば則ち不遜、倹なれば則ち固し、その不遜ならんよりは寧ろ固しかれ。述而三十五」

 

「孔夫子はいわれた、金持ちや高い地位を得ると人は奢り高ぶるし、貧しければ頑固になるか卑屈になる。人として奢るくらいなら頑固なほうがよい」

 

「結論は中庸であるべきだと述べているも、孔夫子は傲慢不遜の人を特に嫌った。ふと、貧乏であっても道を楽しむ高弟、顔回が浮かぶも彼は天才だった」

 

#三行詩 #論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「世の中、わかるわからないを超えた深みとは必ずある、得体不明のままでいい、近寄らないこと」

 

「わかるわからないの範疇で学び、わかることの世界で暮らす」

 

「得体不明には触れない触らない、訳がわからないから上手くいく、正気で居られることもある」

 

#三行詩

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「例えば、私たちはお釈迦様の手のひら、中に常に居ると仏教は説く」

 

「ここで私が思いつくのが映画マトリックスで、主人公ネオが青と赤のカプセルを選ぶシーンだ」

 

「今いる現実とはAIが創り出した仮想であり、現実(お釈迦様のてのひら)が別に存在する、全て支配されている」

 

#三行詩

 

「こうなると強く反発を覚える、私たちは上から見下されるのを嫌う生き物だ、何者であろうが」

 

「もはや西遊記孫悟空の世界だ、支離滅裂で映画の通り世界は破綻してしまう」

 

「故に、何も考えずに、私は常にお釈迦様の手のひらの中に居る、以外の思想はこの場合してはならない」

 

#三行詩

 

「他にも、前にも書いたがブッダ以外の仏様、神様が何故、人や動物の姿なのか」

 

「鉱物でもよいし、極論、ネジの姿でも仏様には変わるまい」

 

「故に、触れてはいけない、考えてはいけないことは存在する、座禅の時は座禅になる、六字を唱えるなら六字に全てを預ける、この範疇で生きるのだ」

 

#三行詩

 

○水曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、君子は坦として蕩蕩たり、小人は長く戚戚たり。述而三十六」

 

「孔夫子はいわれた、君子とは穏やかで心に余裕があるが、小人とはいつも慌ただしく何かを恐れている」

 

「君子と小人の違いとは、常に学ぶ、学んだことを実践しているかに尽きる。志しを抱く、自らを誠にするとは、学ぶことにより得られ、自ら磨き上げるものだ」

 

#三行詩 #論語

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○水曜日の夕方、乗り換え

 

「今日は気疲れした、口より身体を動かす方が好きだ、明日もかとうんざりしている」

 

「あと二日、ヘトヘトだ、今日も早く寝よう」

 

「生体認証がハネられる、ひょっとしたら私は粗悪なクローンかも知れない、バレたのか」

 

#三行詩

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○水曜日の夜、自宅

 

「真剣に学問に打ち込んでいる先達は世に未だ出ず、ひたすら修行の日々」

 

「グーグル翻訳アプリ並みの論語が、世にもてはやされている」

 

「挙げ句にカルト主義者が横行する世の中だ、今夜は、ただ絶望している」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

「子は温やかにして厲しく、威あって猛からず、恭しくして安らかなり。述而三十七」

 

「孔夫子は、温厚でありながらも厳しさを感じ、威厳がありながらも決して荒々しくはなく、慎み深くして穏やかであられた」

 

「孔夫子の普段でのご様子が目に見えるようだ、また、君子とはこのような見えるのだ」

 

#三行詩 #論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「無を美しいと感じる感性とは、やはり仏教の影響であろうか」

 

「厳密な無、消滅とは違う、無に永遠性を感じるが故に美しいのだ」

 

「一方で、自らとは肥大化すればするほど醜悪怪奇と化す、歪んだ美意識ほど見苦しいものはない」

 

#三行詩

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「心の病んだ、傷ついた人を食い物にする人たちに怒りが湧く」

 

「一つ、真実がある、彼ら彼女らはプロの精神科医以上に聴くに上手く、カウンセリングはもはやエンターテイメントだ」

 

「標準治療からこぼれ落ちた人の受け皿としして暗躍している」

 

#三行詩

 

「カルト集団を取り締まるのは結構なことだが、被害者の受け皿は放置したままだ」

 

「つまるところ金の匂いを嗅いで次々と新たで巧妙となったカルトが次々と生まれ、被害者はイナゴの群れの様に移り変わるだけだ」

 

「結局は教育だ、宗教の自由はよい、道徳が、先祖代々伝わる道徳が失われていることが根本にある」

 

#三行詩

 

「戦前、戦中の風評故に儒学を避けたいのであれば、日本には葉隠や、吉田松陰先生の留魂録がある」

 

西郷南洲遺訓も素晴らしい、日本人の道徳、価値観の温故知新こそ今、求められていることだ」

 

「カルト集団とは氷山の一角に過ぎない、根本から変えなければ、この国の未来は暗雲のままだと思う」

 

#三行詩

 

○木曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、泰伯はそれ至徳と謂うべきなり、三たび天下を以て譲れるも、民得て称するなし。泰伯一」

 

「孔夫子はいわれた、周の国の長男として王位を継げる立場でありながら、弟の方が優れていることに気付き、国を捨てて弟に王位を譲った泰伯とは、天下において至徳の人物といってよい。三度に渡り王位を譲るも誇ることはなく、民にその偉業を知らせることもなかった」

 

「泰伯が王位を譲った弟が季歴であり、その子が文王(武王や周公旦の父)である。のちに武王は暴虐であったかの殷の紂王を滅ぼし、天下を治めた。泰伯の徳はのちの周王朝を生み出すこととなった」

 

#三行詩 #論語

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○木曜日の夕方、乗り換え

 

「資格勉強で進展がある、二年前の過去問で正解が多くなる、手応えを感じる」

 

「他に難解な章が幾つもあり、まだまだだが過去問の繰り返しに光が見えた」

 

「隙間時間と帰宅のち就寝まで勉強するも息切れしそうなので、今日は休もう」

 

#三行詩

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○金曜日の朝、通勤

 

「子曰く、恭にして礼なければ則ち労す。慎にして礼なければ則ち思す。勇にして礼なければ則ち乱る。直にして礼なければ則ち絞す。君子、親に篤ければ則ち民仁に興る。故旧遺れざれば則ち民偸からず。泰伯二」

 

「孔夫子はいわれた、丁寧でも礼節がなければ相手にされず徒労に終わる。慎み深くとも礼節がなければ臆病と思われる。勇気があっても礼節がなければ粗野と見なされる。率直であっても礼節がなければ冷徹ととられる」

 

「君子が父母を大切にして篤く尽くせば、それを見た民の間で仁が行われるようになるし、旧い友人との関係を忘れずに友情を尽くせば、それを見た民の間で人情を重んじるようになる」

 

#三行詩 #論語

 

○金曜日の朝、乗り換え

 

「知識で考えても得た知識以上のことは出ない、何ごとも直で見ることが大切だ」

 

「直に観じること、実践によって学ぶことこそ、学問の眼目といえる」

 

「自ら生み出した小さな知識の沼に閉じこもり、いくら足掻いても、所詮、徒労か無駄に終わる」

 

#三行詩

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○金曜日の夕方、通勤

 

曾子疾あり。門弟、子を召して曰く、予が足を啓け、予が手を啓け。詩に云わく、戦戦兢兢て深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如しと。而今よりして後、吾免るることを知るかな、小子。泰伯三」

 

「弟子の曾子が重い病を患い、門弟を近くに呼んでいう、私の足を、手を確認してみなさい、詩経に『深淵に臨むごとく、慄く心、薄氷を踏むがごとく、慎む心』と、ある通りに、父母からいただいた身体を五体満足のまま臨終を迎えることが出来た。ようやく心配から開放されるというものだな」

 

儒学において、ご先祖様、父母からいただいた身体を傷つけるのは良くないという考えがあり、それを踏まえての臨終での曾子の言葉となる」

 

#三行詩 #論語

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○金曜日の夕方、乗り換え

 

「疲れた、デスクでサボっても良かったが後日自分に跳ね返るので現場に出た」

 

「左目は霞む、腰痛、アトピー、肩こり、etc‥身体が文句を合唱している」

 

「なんとなくマーラー交響曲8番の一節が浮ぶ、今夜は久しぶりに聴こう」

 

#三行詩

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○金曜日の夜、自宅

 

「腹が立ったら横にしろ、とは子供の頃に度々母から聞いた言葉であるが、最近は孟子を読む」

 

明徳出版社刊、渡辺卓先生の孟子とは孟子好きの為に書かれた孟子だ」

 

「渡辺版孟子であることは否定しない、癖はある、しかし孟子好きとしては紛うことなき孟子愛を感じるのだ」

 

#三行詩

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○金曜日の夜、自宅

 

「父から受け継いだことが一つある、人を許すことだ」

 

「馬鹿は相手にするな、身が持たない」

 

「全くだ、今は、どう、子に受け継がせるか考えている」

 

#三行詩

 

○土曜日の午後、スタバ

 

「子は昼からラグビーの公式試合へ、長いトイレのち出かけた」

 

「妻とスタバに来た、コーヒーを飲んでいる」

 

「運良く並びの一人席が空いていた、さて、資格勉強を始めよう」

 

#三行詩

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○土曜日の夜、自宅

 

「子、ラグビー公式試合に出場し初勝利を収めて帰宅する」

 

「子、ラグビーを10ヶ月頑張ってきて良かったと、顔が輝いていた」

 

「子、いい顔になってきた、仲間とのチームワークと先生のご指導のお陰でもある、おめでとう!」

 

#三行詩

 

所感)

■学問の道

論語を週五日、朝夕に一句ずつ順番に意訳している。

今週の木曜日には泰伯第八に入った。全部で二十章あり、学而第一から八佾第三の上半分まではブログで、以降、なんとか継続出来ている。

朝に夕に、孔夫子のことを考える時間がとても楽しい。

通勤時間帯にしているので中文から長文は時間が足らず、お昼休みや帰宅後にまで及んできたが、継続は力なり、続けていきたい。

 

■令和5年2月4日(土曜日)の夜

少なくとも、ここ三年は無勝であった子のラグビーチームが今日の公式試合で勝利した。

週末は共に練習し、子の頑張りを見てきただけに、とても嬉しい。

 

グスタフ・マーラー交響曲8番を聴いている。

https://youtu.be/r-RHyZsPPEs

『この交響曲は、偉大な歓喜と栄光を讃えているものです』とマーラーはいう。

そう、今夜はこういう気分だ