四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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論語 憲問第十四(6)〈白文・意訳・所感〉

論語憲問第十四(26〜30)〈白文・意訳・所感〉

 

『遽伯玉使人於孔子孔子与之坐而問焉、曰夫子何為、対曰、夫子欲寡其過而未能也、使者出、子曰、使乎使乎、』

論語憲問第十四26(全文)

 

○「遽伯玉使人於孔子孔子与之坐而問焉、曰夫子何為、」

▶衛の大夫である遽伯玉、孔夫子に使者を送る。

孔夫子、使者を座敷へ上げて問う、遽先生はどの様なご様子ですか。

❖ 仁者は仁者を知る。

蘧伯玉は、何ごとも控え目で慎み深く、学識も優れ、仁徳に秀でた人物。

以前から蘧伯玉を尊敬していた夫子は、更に深く蘧伯玉の人柄を知りたいと、使者に尋ねる。

【人名】蘧伯玉(きょはくぎょく)

・衛の大夫。姓は蘧、名は瑗、伯玉は字。

・「五十にして四十九年の非を知る」は蘧伯玉の言葉として残っている。

・学識豊かで仁徳に優れた人物。

・私心を捨てて衛の君主に忠義を尽くす。

 

○「対曰、夫子欲寡其過而未能也、使者出、子曰、使乎使乎、」

▶使者はいう、主人である蘧伯玉、日々、過ちを少なくしようと努めるも、未だ成すことがありません。

使者が退席したのち孔夫子はいわれた、見事な使者(と主人)である、まったく見事な使者(と主人)であるな。

❖ 君子の使者

仕える蘧伯玉を褒めては(自慢と取られ)場にそぐわない。方や貶して(遜って)も誰に阿ているのかと使者と主人の評価は下がる。

故に、ありのままの日常での主人の姿を述べた。

「未(いま)だ能(あた)わざるなり。」

この場でこの言葉を述べれる使者と主君の絆の強さ、厚い信頼関係も伝わってくる。

蘧伯玉の選んだ使者である、相当な人物であると推察出来る。

君子として知られる蘧伯玉が、尚、仁徳を広げようと日々努力する姿が伝わってくる。

故に夫子は述べたのだ、見事な使者であり、その使者を遣わした蘧伯玉の、何と高き徳か、と。

 

『子曰、不在其位、不謀其政、』

論語憲問第十四27(全文)

 

○「子曰、不在其位、不謀其政、」

▶孔夫子はいわれた、その地位に就いてないのであれば、架空のもし・たら・ればを用いて政治のことを推し量るものではない。

❖ 忠孝の道

寡言実行を実践する夫子からすれば当たり前のことだ。

その地位にもなく責任も取らず、ただ大言壮語する者に仁(誠と思いやり)は無い。

言葉は慎み深く、態度は恭しく、地位・立場にあった言動を行う。君主への忠の姿として、繰り返し弟子たちにも説かれている。

そして、わが身を省みず、君主に対して仁義礼知に照らし言うべきことを言う、これこそ忠孝の徳であると説かれるのだ。

 

曾子曰、君子思不出其位、』

論語憲問第十四28(全文)

 

○「曾子曰、君子思不出其位、」

曾子はいう、君子とは、(君主から与えられた地位や)為すべき責任、以外のことを越えて思う、行うことはないものです。

❖ 為すべきことを成せ

君子の為すべきこと、とは夢幻、理想論を追うことではなく、今、ここ、目の前(にいる苦しむ民)のリアルな改善(救済)であることを曾子は述べた。

線引は必要であり、君子全てが天下泰平に取り組める訳ではない。

君子にも各々の向き不向きがあり、それぞれの方法がある。要は自らの仁徳を周囲に広げることだ。天下泰平を行える大徳もあれば、家族に及す徳もある。

 

『子曰、君子恥其言之過其行也、』

論語憲問第十四29(全文)

 

○「子曰、君子恥其言之過其行也、」

▶孔夫子はいわれた、君子とは、自らが発した言葉が、事実を離れて、結果的に自らを(中身なき)誇る事態になることを恥じるものだ。

❖ 義と中庸の現れ

孔夫子の教えは色々ある。中でも言葉に関する教えが多いのは、心=言葉に通じる、心=思い、自らの徳そのものだからだ。

故に、常に慎み深く、言うべきTPOのみ、言うべきことを恭しく述べる、中庸の道。

そして恥を知る、自らの悪を憎む義の現れを鏡とする。

その言葉を恥じるとは、義と中庸の現れである。

 

『子曰、君子道者三、我無能焉、仁者不憂、知者不惑、勇者不懼、子貢曰、夫子自道也、』

論語憲問第十四30(全文)

 

○「子曰、君子道者三、我無能焉、」

▶孔夫子はいわれた、君子の道には三つあるが、私は何れも及ばない。

❖ 三つの考察

何故、夫子は三つの道は自身に無いといわれるのか、

一つには、三つ(仁智勇)の道は、常に追い学び続ける姿、継続こそ、その有り様であり、得た、或いは満ちると言えばもはや過ぎる、足らぬことをご存知なのだ。

二つめ、君子という存在とは、完成形ではない、聖人ではないのだ。故に、この解答は極めて正しい。

三つめ、夫子の「我(われ)能(よく)すること無し」との言葉は、夫子自身の気性であり、聖人に達せられて尚、学問の道を歩み続けられる意思を述べられた、聖人としての個性の現れである。

 

○「仁者不憂、知者不惑、勇者不懼、」

▶その三つの道とは、仁者は憂ず、知者は惑わず、勇者は怖れずである。

❖ 君子とは

これは君子の三面を述べられている。

一つ、或いは二つでは君子と言えない。

憂えず=惑わず=恐れず、三つの道を歩み、重ね合わせた人格が君子である。

そして言葉を変えれば仁義礼智信に通じる、学問の道を歩み続ける人をいう。

 

○「子貢曰、夫子自道也、」

▶側で控えていた子貢はいう、その三つの道とは、孔夫子の姿、そのままです。

❖ 子貢、流石かな

ここで言葉を発するのが、孔門二、三を競う優秀な子貢であることがこの句の味噌だ。

ここで、例えば熱血正直漢の子路であれば、夫子の言葉を(その意を理解せずに)全否定しかねない。

子張なら意は通じても、言葉が過ぎて夫子の思いが誤解されかねない。

子貢はいう「夫子自らの道をいうなり」とは、聖人にありながらも学問の道を歩み続けられる夫子そのものを良く表している。