四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百四十四章(先進第十一②)

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○日曜日の夕方、7月28日、森

 

子張問善人之道、子曰、不践迹、亦不入於室、先進二十

 

子張、人を善足らしめる道を問う。孔夫子はいわれた、先王の教えを日々学び(日常生活で)実践する。これ以外に、どう、善に至る道があろうか。

 

「先王の道とは詩経書経礼記、春秋、易経を学ぶ、実践すること」

 

#論語

 

○日曜日の夕方、森

 

「猛暑下での外出は(出来れば)避けねばならない」

 

「しかし、クーラーで冷した部屋に一日中閉じ籠もっていては、明日(仕事)に障る」

 

「最小公約数的な判断で森を歩いている、藪蚊、蝉の音、無風、茹だるような暑さ、これも南無阿弥陀仏

 

#三行詩

 

○日曜日の夕方、帰宅中

 

「夕暮の森を歩いている、夕風が吹いてる、夕陽が沈もうとしている」

 

「風の匂いを嗅いでいる、流れる雲を見ている、蝉の音を聴いている」

 

「(明日の為に)心を静めている、身体を整えている、腹を括っている」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

子曰、論篤是与、君子者乎、色荘者乎、先進二十一

 

孔夫子はいわれた、言葉に誠あり、顔色は真摯であっても、その人が君子か、或は詐欺師であるかは判らぬものだ 

 

「口だけの実践(徳)を語るペテン師は多い、人の実践を見て判るには、まず自らが実践せねばならない」

 

#論語

 

○月曜日の朝、電車内

 

「クーラーを他社比較して効かさない(人に優しい)私鉄がある」

 

「一方、JRはガンガン効かす(人のことを思う)」

 

「不特定多数の人に優しいか、今、猛暑で汗だくの利用者のことを思うか、私はJR派だが、世の中色々あるらしい」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

「今朝は血圧が高い、何故高いのかが特定出来得ぬ理不尽さに愉快から遠い」

 

「週末、確かに食べ過ぎた、マクドのセットはおやつで夕食は別腹だ、食後もポテチとビールの幸せ」

 

「最後のベルト穴きついお腹をさすりながらホームに立っている、自業自得は必然らしい」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、通勤

 

子路問、聞斯行諸、子曰、有父兄在、如之何其聞斯行之也、先進二十二

 

子路は問う、善いことを聞けば、即ち行う、これで宜しいですか。孔夫子はいわれた、父母や兄が生きておられるではない、どうして即、行えようか。

 

「直情径行、気性も荒いが快男児子路を心配した孔夫子の言葉。猪突猛進、人間チョロQ、欠点の多い子路だが、それらを軽く上回る無私、潔癖、人を惹きつける魅力、政治力もあり、仁義の強い意志に富む、人として天下一品の子路だ、現代でも十分に魅力が伝わってくる」

 

#論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「水面下でコロナ禍が進んでいるらしい、既存ワクチンが効かないとか、猛暑でもマスクする人を見かける」

 

「車内でも妙な咳やクシャミをする人がいる」

 

「こうなるとガチャだ、当たれば家族や仕事場はアウト、生来運が悪いので、なるようになれと開き直るしかない」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、通勤

 

冉有問、聞斯行諸、子曰、聞斯行之、先進二十二

 

冉有は問う、善いことを聞けば、即行う、これで宜しいですか。孔夫子はいわれた、うむ、即行うことだ。

 

「石橋を叩いて渡る、何ごとにも慎重な冉有は機を逃すことがある。子路しかり何れも、行動すべしと(口は後で良い)」

 

#論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「旅行ならば交通機関も楽しいが、毎日の通勤時間は無駄としか思えない」

 

「読書、音楽、スマホ、色々あるが結局は飽きる」

 

「目前に初老らしき男性、通勤のプロだろうか、歩く、立つ、座る、高徳の仏僧のような雰囲気、そうか、抗わずにこの時間を受け容れるのだ」

 

#三行詩

 

○水曜日の夕方、通勤

 

「魂とは何か、そして、その魂を救済するとは何か」

 

儒学では、難解な主語と問いだ」

 

「現実の世界とは遠い、ならば、敬するが遠くする、これ以外は思いつかない」

 

#三行詩

 

「仮に、存在を確認出来ない何かをa、その苦しみをb、その苦しみの救済をcとしよう」

 

「試みに、乗法の結合法則を用いれば、abc=(ab)ⅽ=a(bc)となる」

 

「ここで日本語に戻すと、=魂(苦しみ×救済)となる、なるほど、意義が少し見えてきた気がする」

 

#三行詩

 

「aとは、b、cを内包している存在である」

 

「日本語に戻せば『魂とは苦行と救済が最初から折り込まれている存在』となる」

 

「魂の救済、という言葉をネットで知り、違和感のままに言葉を走らせたが門外漢だ、やはり、私は儒学の方が水が合う」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

公西華曰、由也問、聞斯行諸、子曰、有父兄在、求也問、聞斯行諸、赤也惑、敢問、先進二十二

 

公西華が問う、(善いことを聞けば即行うべきか)子路には、父母や兄を省みよと説き、冉有には、即行え、と説かれました。私には訳が分からないです。答えは何ですか。

 

「弟子の公西華は、ずば抜けた才能に恵まれている訳ではないが、育ちが良く、教養があり、礼儀作法にも通じており、(他国の朝廷にて)衣冠を正しくして堂々と発言出来得る、外交官として向いた人だったらしい」

 

#論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「一目でガラの悪い、入墨が目立つようにタンクトップを着た東南アジア系の集団を昨夕見た」

 

「車内でも大声で会話し、顔には尊大さが現れている」

 

「今朝も居る、車内、対面に座りあちこちを睨んでいる、軍隊上がりか、見せる筋肉ではない」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、通勤

 

子曰、求也退、故進之、由也兼人、故退之、先進二十二

 

孔夫子はいわれた、冉求は引っ込み思案、故に物ごとを為すに遅きところがあり、子路は無鉄砲で無遠慮、故に物ごとを為すに(何も謀らずに)飛び込むところがある。(善きことを聞いても、それを為すにはそれぞれの個性に合う方法があるものだ)

 

「孔夫子の教えは、人の根本を型にはめはしない(むしろ、解放するものだ)。しかし、個性を発揮するには一定のルールがなければ猿山の猿と変わらない。故に、善きことを行う=先王の教えを学ぶ、実践する、省みる、改める。即ち、自らの仁徳を広げる、周囲に自らの仁徳を及ぼすことが学問の道なのだ」

 

#論語

 

○金曜日の夕方、通勤

 

「個性の発揮とは何か、根本から発する意思を実践することだ」

 

「人の根本とは何か、過去、経験、生きてきた積み重ね、それだけか」

 

孟子はいう、源泉は常に掘り起こさねばならない、学問に励む、自らの源泉(根本)を掘り起こす、善を広げるからこそ、根本足ると」

 

#三行詩

 

「根本(自らの善)を掘り下げようとせず、自身(の過去や経験)に過信する」

 

「やがては善い上澄みは蒸発し、溝溜めの汚水の如き偽善が残るのみ」

 

「学問は、墓に入るまで現在進行形でなければならない、続けることで人は善に留まれるのだ」

 

#三行詩

 

「そこで『学問とは何か』という壁にぶち当たる」

 

「初動も目的も明らかだ、しかし過程(学問を行う)が曖昧過ぎる」

 

「学問をする(儒学を学ぶ)、という日本語自体が、現代人からすれば得体不明の何かになってしまった」

 

#三行詩

 

「結論から述べれば、四書五経、その他の経典を素読、写経、暗記して、学び得たことを日常生活で実践することにある」

 

「何と難解なことだろう」

 

「令和の世の中で、このような一種、修行者のような生き方を誰が好き好んで実践しようか、先に何が待ち受けるか、詳しく知る人もいないのだ」

 

#三行詩

 

「しかし、ちょっと待ってほしい、孔夫子の教え(先王の教え)は、実はそこ(四書五経)ではない」

 

儒学は、学者・先生、懐古主義者の為の学問ではない」

 

「今、生きる人、全員を善くする、幸せにする為に学問の道がある。極論、経書も不要だ、人が孝悌忠信、忠恕であれば良い」

 

#三行詩

 

儒学を学ぶ(学問の道)とは、目的は、自らを孝悌忠信、忠恕を実践することにある」

 

四書五経を全て素読し、写経した、で、どうなのかが問われている」

 

「孔夫子の教えは、歴史的分岐が激しい、二千五百年の歴史があり。極論、現代で儒学をどう解釈しようが、学ぶ人の自由であるが、根っこ、根本は、仁徳の実践書であることには変わりない」

 

#三行詩

 

○金曜日の夜、自宅

 

「アマプラV『あの花が咲く丘で‥』を観ている」

 

司馬遼太郎さんのいう『暗黒の時代』を描いた映画だ」

 

「令和の世に、このような映画が制作され高評価を得ていることを嬉しく思う。日本人であることとは、連なりだ。過去がある、故に未來がある。今、私は生きている」

 

#三行詩

 

「恥とは自らを律する、自らの価値観にあり、国家や他人が強制することではない」

 

「個として『時代の奔流』からは逃れ難い、しかし後世の私たちは過去の歴史から学ぶことは出来る」

 

「私が信奉する孟子は荒ぶる学問だ、嘘方便からは遠い、そして現実を変える力がある(と信じている)」

 

#三行詩

 

所感)

■つれづれ

お盆休み向けに、司馬遼太郎さんの『翔ぶが如く』全巻を古本で買う。

ボロボロのカバーを捨てると、意外と綺麗な状態だった。

子供の頃、父の書斎に並んでいたのと同じ茶色ハードカバー本だ。

先日、フリーマーケットで『翔ぶが如く』文庫本1、2を一冊40円で見かけて買う。暇つぶしに読んでいたら、やはり面白い。

じっくりと読み返したくなり、全巻を再購入した。狙いは、子に読んでほしいが、おそらくは無理だろう。