○月曜日の朝、通勤
❖ 顔回と仁
顔淵問仁、子曰、克己復礼為仁、顔淵一
高弟の顔回、仁を問う。孔夫子はいわれた、自らの弱さ、私利私欲に流れる心を(公正無私へ、そして忠恕へと)克服し、礼節(礼儀と節度=中庸)を以て物ごとを行うことにある。
「孔夫子の後継者たる顔回が、夫子の教えの中核(そのもの)である仁を問うた。儒学とは何であるか、の公式見解といって良い章句だと思う」
#論語
○火曜日の朝、雨、通勤
❖ 儒学の眼目
一日克己復礼、天下帰仁焉、顔淵一
一日、また一日、自らを克服し(学問に努めて)、礼儀と節度ある行いを心がけるのであれば、(君子の徳の広がりを以て)天下は全て仁徳に帰するものだ。
「儒学の眼目(総論)と言って良い句、礼とは仁徳の現れである」
#論語
❖ 心と学問の調和
「孟子に四端の心あり、惻隠は仁、羞悪は義、辞譲は礼、是非は智へ向う」
「易経に『乾は元いに亨る貞しきに利し』とあり、仁(元)の根本は孝にあり、現れは礼(亨)、自らを正す義(利)、学問を実践する智(貞)」
「学問とは、積み重ね(横)と、過去現在未來(縦)の連なりを交差させることだ」
#三行詩
○水曜日の朝、通勤
❖ 学問の実践
為仁由己、而由人乎哉、顔淵一
仁を行うとは、あくまで(自ら学び積み重ねた)学問の実践にある。どうして他人の評価や、人望を得ようとした行いが仁であろうか。
「仁とは常に自らにある、源泉(仁)は常に掘り下げる(学問)こと」
#論語
○水曜日の夜、ランニング
❖ 道は目の前に
「世の中はクソだ、欺瞞と暴力で満ちている」
「頑張る人が、頑張る人こそ報われない」
「それでも世界は仁で満ちている、世の中クソでも私は仁でありたい、孔夫子の連なりを実践する人でありたい、道は目の前にあり貫いてこその学問の道、ではないか」
#三行詩
○木曜日の朝、通勤
❖ 仁の真髄
顔淵曰、請問其目、顔淵一
(仁とは一日克己復礼であると孔夫子から聴き)顔回はいう、その実践方法を教えてください。
「阿吽の呼吸というべきか、後継者顔回、故にこの答えであり、質問でもある。子路や冉求では表現を変えられたと思われる」
#論語
○金曜日の朝、通勤
❖ 人の尊厳
子曰、非礼勿視、顔淵一
孔夫子はいわれた、(仁の行いとは)礼に非ざれば見ないことだ。
「孟子的に述べれば、礼に非ざれば人ではない、人、突き詰めれば自らの父母にあり、その父母を尊べない(例えば侮辱するような)人とは人ではなく畜生の類いだ、見る必要すら無い」
#論語
❖ 礼の深淵
「礼¹=人を尊ぶ心から生じる行い、その根本には忠恕がなければならない。仁なき礼は礼ではない。」
「礼²=規律・規範、端的に述べれば先王(帝堯、帝舜)の教えであり、(君子が行うべき)道徳的な行い。」
「礼³=仁徳の一つ、或は=仁徳。謙譲の気持ちの現れ。思う、行う、何れが欠けては礼ではない。」
#三行詩
○金曜日の夜、自宅
❖ 月明かりの下で
「外灯無き月明かりの森を、悩み多き中三子とジョギング一時間、のち正拳突きを三十分する」
「親子で、肚を込めた『セイッ』との気合いが森に響く」
「言葉では伝わらないこともある、共にひたすら汗を流す、それだけで十分な時もある、経験上そう思っている」
#三行詩
○土曜日の夜、自宅
❖ もんじゃとカラオケ
「今宵、古き友人たちと大阪十三に集まり、酒を呑む」
「二次会は赤(白)ワインともんじゃ焼き、三次会はカラオケで遊ぶ」
「楽しかった、二十年の間、共に同じ釜(前職)の飯を食った仲間たちだ、次回も楽しみだ」
#三行詩
○土曜日の夜、自宅
❖ ソンドハイムの世界
「歌劇『Sweeney Todd』をアマプラM・アンリミテッドで聴いている」
「Stephen Joshua Sondheimは紛うこと無き天才だと思う」
「人間の陰影を、コミカルに、悲劇的に表現し、且つ必然的に破滅させるのだ、なんと心地よいことか、大好きだ」
#三行詩
所感)
■つれづれ、日曜日、夕方
体調不良で終日寝込む。心身ともに優れないのは昨夜の呑み会での二日酔い、或は夏バテのせいかも知れない。
何故か漫画ゴルゴ13で、敵地にて傷ついたデューク・東郷がジャングルの蛇穴に潜み、暗闇で両目を光らせ、じっくりと怪我の回復を待つシーンが浮かぶ。
捕らえた蛇の皮を剥き口にするデューク・東郷。
不思議とその蛇が美味しそうに思えて仕方がない。
常に食欲と共に生きてきた。今もお腹が空いている。何か食べたい、と思う限り人間は人生と闘える。
新しく開店したカレー料理屋さんのビリヤニ(羊肉)を食べに行かねばならぬ。人生初のビリヤニだ、布団の中で両目を光らせている。