四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百四十七章(顔淵第十二②)


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○月曜日の朝、通勤

 

顔淵問仁、子曰、克己復礼為仁、顔淵一

 

高弟の顔回、仁を問う。孔夫子はいわれた、自らの弱さ、私利私欲に流れる心を(公正無私へ、そして忠恕へと)克服し、礼節(礼儀と節度=中庸)を以て物ごとを行うことにある。

 

「孔夫子の後継者たる顔回が、夫子の教えの中核(そのもの)である仁を問うた。儒学とは何であるか、の公式見解といって良い章句だと思う」

 

#論語

 

○火曜日の朝、雨、通勤

 

一日克己復礼、天下帰仁焉、顔淵一

 

一日、また一日、自らを克服し(学問に努めて)、礼儀と節度ある行いを心がけるのであれば、(君子の徳の広がりを以て)天下は全て仁徳に帰するものだ。

 

儒学の眼目(総論)と言って良い句、礼とは仁徳の現れである」

 

#論語

 

孟子に四端の心あり、惻隠は仁、羞悪は義、辞譲は礼、是非は智へ向う」

 

易経に『乾は元いに亨る貞しきに利し』とあり、仁(元)の根本は孝にあり、現れは礼(亨)、自らを正す義(利)、学問を実践する智(貞)」

 

「学問とは、積み重ね(横)と、過去現在未來(縦)の連なりを交差させることだ」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、通勤

 

為仁由己、而由人乎哉、顔淵一

 

仁を行うとは、あくまで(自ら学び積み重ねた)学問の実践にある。どうして他人の評価や、人望を得ようとした行いが仁であろうか。

 

「仁とは常に自らにある、源泉(仁)は常に掘り下げる(学問)こと」

 

#論語

 

○水曜日の夜、ランニング

 

「世の中はクソだ、欺瞞と暴力で満ちている」

 

「頑張る人が、頑張る人こそ報われない」

 

「それでも世界は仁で満ちている、世の中クソでも私は仁でありたい、孔夫子の連なりを実践する人でありたい、道は目の前にあり貫いてこその学問の道、ではないか」

 

#三行詩

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○木曜日の朝、通勤

 

顔淵曰、請問其目、顔淵一

 

(仁とは一日克己復礼であると孔夫子から聴き)顔回はいう、その実践方法を教えてください。

 

「阿吽の呼吸というべきか、後継者顔回、故にこの答えであり、質問でもある。子路や冉求では表現を変えられたと思われる」

 

#論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

子曰、非礼勿視、顔淵一

 

孔夫子はいわれた、(仁の行いとは)礼に非ざれば見ないことだ。

 

孟子的に述べれば、礼に非ざれば人ではない、人、突き詰めれば自らの父母にあり、その父母を尊べない(例えば侮辱するような)人とは人ではなく畜生の類いだ、見る必要すら無い」

 

#論語

 

「礼¹=人を尊ぶ心から生じる行い、その根本には忠恕がなければならない。仁なき礼は礼ではない。」

 

「礼²=規律・規範、端的に述べれば先王(帝堯、帝舜)の教えであり、(君子が行うべき)道徳的な行い。」

 

「礼³=仁徳の一つ、或は=仁徳。謙譲の気持ちの現れ。思う、行う、何れが欠けては礼ではない。」

 

#三行詩

 

○金曜日の夜、自宅

 

「外灯無き月明かりの森を、悩み多き中三子とジョギング一時間、のち正拳突きを三十分する」

 

「親子で、肚を込めた『セイッ』との気合いが森に響く」

 

「言葉では伝わらないこともある、共にひたすら汗を流す、それだけで十分な時もある、経験上そう思っている」

 

#三行詩

 

○土曜日の夜、自宅

 

「今宵、古き友人たちと大阪十三に集まり、酒を呑む」

 

「二次会は赤(白)ワインともんじゃ焼き、三次会はカラオケで遊ぶ」

 

「楽しかった、二十年の間、共に同じ釜(前職)の飯を食った仲間たちだ、次回も楽しみだ」

 

#三行詩

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○土曜日の夜、自宅

 

「歌劇『Sweeney Todd』をアマプラM・アンリミテッドで聴いている」

 

「Stephen Joshua Sondheimは紛うこと無き天才だと思う」

 

「人間の陰影を、コミカルに、悲劇的に表現し、且つ必然的に破滅させるのだ、なんと心地よいことか、大好きだ」

 

#三行詩

 

所感)

■つれづれ、日曜日、夕方

体調不良で終日寝込む。心身ともに優れないのは昨夜の呑み会での二日酔い、或は夏バテのせいかも知れない。

 

何故か漫画ゴルゴ13で、敵地にて傷ついたデューク・東郷がジャングルの蛇穴に潜み、暗闇で両目を光らせ、じっくりと怪我の回復を待つシーンが浮かぶ。

捕らえた蛇の皮を剥き口にするデューク・東郷。

不思議とその蛇が美味しそうに思えて仕方がない。

 

常に食欲と共に生きてきた。今もお腹が空いている。何か食べたい、と思う限り人間は人生と闘える。

新しく開店したカレー料理屋さんのビリヤニ(羊肉)を食べに行かねばならぬ。人生初のビリヤニだ、布団の中で両目を光らせている。