四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百十章(里仁第四②)

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○日曜日の朝、10月22日、ウオーキング

 

子曰、富与貴、是人之所欲也、不以其道、得之不処也、貧与賤、是人之所悪也、不以其道、得之不去也、君子去仁、悪乎成名、君子無終食之間違仁、造次必於是、顛沛必於是。里仁五

 

孔夫子はいわれた、富と名声は人であれば皆、望むものであるが、道(汎神論・至善)に反して求め得て、この世界の何処に居場所があろうか。又、貧困と卑賤になることは人であれば皆、憎むものであるが、道(汎神論・至善)に沿うて、そうなったのであれば、そこがこの世界での居場所なのだ。君子ともあろう者が、道(汎神論・至善)の体現である仁徳から離れて、どうこの世界で天命を果たせるというのか。衣食住、果てはつまずいて転ぶ時ですら仁徳から離れる時はないのだ。

 

「仁徳(自らを誠に、人を思いやる)を実践することこそ生きる目的であり、その過程で財産や名声を得ても良し、貧困や卑賤であっても良しとする。天命・運命論すら感じる壮大な句だと思う。一つを貫き通すとは毀誉褒貶にはなく、私のような凡人は、学ぶ、学問の道を歩み続けることしかないと改めて思う」

 

#論語

 

○日曜日の朝、マクド

 

「ようやく自分の時間、読みかけの本と温かいコーヒー」

 

「子は友達と梅田に遊びに行くらしい」

 

「家族が健康、好きな本を読んで、好きな音楽を聴く時間がある、幸せだ」

 

#三行詩

 

半藤一利さんの幕末史、読了。通史の視点で要所要所を丁寧に書かれている、とても面白かった」

 

「〆は西郷さんの西南戦争と太久保利通の暗殺で終わる」

 

「偉人が生き生きと登場しては退場する、なんと豪華なことか、紅白歌合戦のような歴史小説だと思う」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

子曰、我未見好仁者悪不仁者、好仁者無以尚之、悪不仁者其為仁矣、不使不仁者加乎其身、有能一日用其力於仁矣乎、我未見力不足者、蓋有之乎、我未之見也。里仁六

 

孔夫子はいわれた、私は本当に仁を好む人、不仁を憎む人を見たことがない。仁を好むなら良い、そして不仁を憎むのも仁であることに変わりない。もし、不仁の人が心を改めて仁を行うのあれば何の問題があろうか。一日、一日、仁を行うことに努めれば必ずや仁は適うものだ。それを困難とする人がいると聞くが、私はそうは思わない。

 

「この句、難解なり。述べたい趣旨は伝わるも、最初の仁を好む人、不仁を憎む人を見たことがない、が腑に落ちない。仁とは行う意志があれば行えるもの、という本題とつながらない。或は、仁を口先だけで述べ、実践する人が少ないことを嘆かれたのかも知れない」

 

論語

 

○月曜日の夕方、通勤

 

子曰、民之過也、各於其党、観過斯知仁矣。里仁七

 

孔夫子はいわれた、民の過ちを見れば、そこで政を行っている為政者の仁徳の程が判るものだ。

 

「苟くも為政者足る者であれば、民の民度の高低は自ら仁徳の高低によると自覚せねばならない。組織とはトップに皆倣うもの」

 

論語

 

○火曜日の朝、通勤

 

子曰、朝聞道、夕死可矣。里仁八

 

孔夫子はいわれた、先王の教えを継ぐ君子が現れ、仁徳により天下を治める(道)のであれば、それを朝聞いてその日の夜死ぬことになっても悔いはない。

 

儒家の道とは曖昧なことではない、苦しむ民を救うのだ、権力に媚び諂うことではない」

 

論語

 

○火曜日の夕方、通勤

 

子曰、士志於道、而恥悪衣悪食者、未足与議也。里仁九

 

孔夫子はいわれた、悪政に苦しむ民を救う、天下泰平という志を以て政に取り組む士ともあろう者が、自らの悪衣悪食を恥とするとは、もはや共に語るには足らない。

 

「士(さむらい)の大切なことは地位や外見のことではない、志を以て弱い人を救う、故に士(さむらい)なのだ」

 

論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之与比。里仁十

 

孔夫子はいわれた、君子、天下を治めるに好悪、是非もなく、只、大義を以て民を安んじるのみ。

 

「民を安んじるという目的の為の『無適也、無莫也』であり、曖昧な大義などあってはならない」

 

論語

 

○水曜日の夕方、通勤

 

子曰、君子懐徳、小人懐土、君子懐刑、小人懐恵。里仁十一

 

孔夫子はいわれた、君子は仁徳を思うも、小人は実利を得たいと思っている。君子は民に対する刑罰が過ぎるのではないかと思い悩むも、小人は上からのお恵みがないものかと思っている。

 

「この句、古注と新注で内容が変わる、古注の方は、君子が仁徳を思う(行う)と、小人は君子がいる郷土に誇りを思う。君子が刑罰ばかり思う(行う)と、小人は恵(利益)ばかり思う、となる。どちらも何か奥歯に物が挟まった感がする。前後のつながりもスムーズとは言い難い、別の機会で再挑戦したい」

 

論語

 

○木曜日の朝、通勤

 

子曰、放於利而行、多怨。里仁十二

 

孔夫子はいわれた、私利私欲の行いを重ねる人とは多くの恨みを買うものだ。

 

「学問の道を歩む、学び続けることにより、気付き、自らを直くすること」

 

論語

 

○木曜日の夕方、通勤

 

子曰、能以礼譲為国乎、何有、不能以礼譲為国、如礼何。里仁十三

 

孔夫子はいわれた、先王から伝わる礼制と譲り合いの心を以て国を治める。他に何が必要であろうか。形だけの礼や譲り合いの心なき政で国をどう治められよう。

 

「仁徳の表現である礼、義、智、信の五常とは、いずれも中心に仁徳、自らを誠にして人を思いやる心がなければならない。礼も、義も、智も、信も、全て仁徳であり、故に、礼であり、義であり、智であり、信なのだ」

 

論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

子曰、不患無位、患所以立、不患莫己知、求為可知也。里仁十四

 

孔夫子はいわれた、地位や名誉がないことを思い煩うのではなく、志を以て為すべきこと成していないことを悩むこと。世の中から認められないことを思い煩うのではなく、誠を以て仁徳の思い、行いを実践しているのか、ここを省みること。

 

儒学とは自らを誠にし、仁徳の行いを実践することにあり、世の人から称賛を得る為ではない。むろん、称賛されれば慎んで受ければよいし、称賛されなくとも、仁徳の行いを実践することに変わりはない」

 

論語

 

○金曜日の夕方、通勤

 

子曰、参乎、吾道一以貫之哉、曾子曰、唯、子出、門人問曰、何謂也、曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。里仁十五

 

孔夫子、高弟の曾子にいわれた、私の生き方は一つで貫いている。曾子は、はい、とのみ答えた。孔夫子が退出されたのち門人が問う、一つとはなんですか。曾子はいう、孔夫子は忠恕(自らを誠にして人を思いやる)で貫かれたのだ。

 

「孔夫子の教えとは、忠恕であること、忠恕を実践することに尽きる。ここから様々な教えがあり、全てが根本に忠恕があってこそ成り立つ」

 

論語

 

○土曜日の朝、ウオーキング

 

子曰、君子喩於義、小人喩於利。里仁十六

 

孔夫子はいわれた、君子とは仁徳を以て世の中で為すべき正しきことに明るく、小人とは私利私欲を以て自らが利益を得る為の手段に明るい。

 

「世の啓蒙本の類は、私利私欲を為すために先人の言葉を活かそうと解説しているが、根本から違う。論語であれば、忠恕なき孔夫子の教えとは百害あって一利なしのお手本のように思う」

 

#論語

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○土曜日の朝、森

 

「何ごとも根本をしっかりと学ぶ、育てること、生きること自体もそうだ」

 

「毀誉褒貶や寿命の短長、所詮は避けれない」

 

「道とは根本を知る、学ぶ、実践することにある、今ここで覚る人もいれば墓場まで持って行く人もいる」

 

#三行詩

 

○土曜日の夕方、森

 

論語を学ぶと自分の根本が広がる、心が鎮まる、迷うことが少なくなる」

 

「私利私欲から、もっと大きな視点、大きな喜びがあることを知る」

 

「空想物語ではない、日常のリアルな感覚で忠恕を実践する、省みる」

 

#三行詩

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「学問の道とはリアルから離れてはいけない、信仰とは異なる」

 

「森の中を歩いている、自分がいて汎神論的な内にもいる」

 

「今、ここで満たされている、落雷や隕石に当たり命を失おうが、数十年先に病床で亡くろうが、変わらない」

 

#三行詩

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所感)

■土曜日の夜、自宅

各地で戦争が勃発し、ますます弱者が虐げられる世の中だ。

自宅では、只、お経のように岩波書店、世界史年表を読んでいる。

何もかもがあやふやの世の中で、明らかな根本の一つは歴史だと思う。

ロシア・ウクライナしかり、イスラエル・ガザしかり、歴史を知ることから正しい認識、知識が得れるかも知れない。

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