四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百十一章(里仁第四②)

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○日曜日の朝、10月29日、ウオーキング

 

子曰、見賢思斉焉、見不賢而内自省也。里仁十七

 

孔夫子はいわれた、人の仁徳の行いを見れば自らもそうなりたいと努め、不仁の行いを見れば自らにもその点がないか省みること。

 

「仁徳に基づいた礼節を日々、実践する君子に不仁があろうはずはない、それでも尚、自らの仁徳を広げる為に、人の仁を学び、人の不仁を我が身に省みなければならない。学問の道とは一生を学ぶ、実践する、面白い」

 

論語

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○日曜日の朝、森

 

「礼儀と節度、礼節とは、礼の本質である尊ぶ心をもって、中庸の行いであることをいう」

 

「時と場所、場合に最善の選択をして実践する、儒家の十八番であり、礼節を知ると世の中が広がる」

 

論語を学んでから、権威や権力に怒りを覚えることが少なくなった、短気で喧嘩っ早いのがましになった、有り難いことだと思う」

 

#三行詩

 

○日曜日の午前、マクド

 

「相変わらず半藤一利さんの昭和史を読んでいる、オトモは岩波書店、日本史年表で視野が広がる」

 

「1939年の日本史を辿っている、暗い、とても気持ちが暗くなる」

 

「軍という集団意識が政治を主導すればこうなるであろう必然が並ぶ、雲を掴むような壮大な言葉」

 

#三行詩

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○月曜日の朝、通勤

 

子曰、事父母幾諌、見志不従、又敬不違、労而不怨。里仁十八

 

孔夫子はいわれた、年老いた父母の過ちは穏やかに説得すること、過ちを直そうとせずとも感情的にならず、暖かく見守ること。

 

「直言が良いとは限らない、相手のことを思いやるとは是か非ではなく、見守ることも大切だと孔夫子は述べられている」

 

論語

 

○月曜日の夕方、通勤

 

子曰、父母在、不遠遊、遊必有方。里仁十九

 

孔夫子はいわれた、父母がいる間は、危険が及ぶかも知れない遠国には行かないこと。旅に出るのであれば連絡を取れる知人を事前に教えること。

 

「子の立場では理解りにくくとも、父母の立場であれば当たり前のこと」

 

論語

 

○火曜日の朝、通勤

 

子曰、三年無改於父之道、可謂孝矣。里仁二十

 

孔夫子はいわれた、父が亡くなってから三年、父から教わったことを改めてることはない。孝といえる。

 

「父之道とは、父の志や誠というよりは、幼き頃から仰ぎ見てきた、父の背中が語ることではないかと思う」

 

論語

 

○火曜日の夕方、通勤

 

子曰、父母之年、不可不知也、一則以喜、一則以懼。里仁二十一

 

孔夫子はいわれた、父母の年齢は忘れることのないように。一年、無事に終えては喜び、一年、年老いては心配するものだ。

 

儒学の眼目である忠恕とはここにあり、ここから周りに思いやりを広げるのが孔夫子の教えだ」

 

論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

子曰、古者言之不出、恥躬之不逮也。里仁二十二

 

孔夫子はいわれた、古き時代の人が言葉を慎んだのは、行いより言葉が過ぎることを恥としたからだ。

 

「言葉とは多ければ良いものではない、むしろ心を誠に、思いを実践することが大切だと思う」

 

論語

 

○水曜日の夕方、通勤

 

子曰、以約失之者鮮矣。里仁二十三

 

孔夫子はいわれた、慎み深くして地道に努力する人とは、何れしろ人から失望されることは少ないものだ。

 

「物ごとを為すからには、成功もあれば失敗もある。必ずしも成功することが本当の信頼には繋がらない。どう失敗したのかが次に繋がることもあると思う」

 

#論語

 

○木曜日の朝、通勤

 

子曰、君子欲訥於言、而敏於行。里仁二十四

 

孔夫子はいわれた、君子とは語ることを得意とはしない、行いを俊敏にするものだ。

 

「語るもX(Twitter)で呟くも同じこと、常に自らを省みること」

 

論語

 

○木曜日の夕方、通勤

 

子曰、徳不孤、必有鄰。里仁二十五

 

孔夫子はいわれた、仁の人は孤独とは遠い。公正無私の誠や志とは、広がり、共感を得て、人は共に道を歩むようになる。

 

「自らの徳を広げる、周囲に及ぼすのが孔夫子の教えだ」

 

論語

 

○金曜日の朝、ウオーキング

 

子游曰、事君数斯辱矣、朋友数斯疎矣。里仁二十六

 

弟子の子遊はいう、仁徳に基づいているからといって、事ある毎に君主を諌めても屈辱を受けるであろうし、事ある毎に友を諌めても疎遠にされるだけだ。

 

「人道に反するようであれば速やかにに縁を切ること、学問が足らないのであれば時には見守ること。何よりも孔夫子の門をくぐった者が相手に媚び諂うなど有ってはならない」

 

論語

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○金曜日の朝、森

 

モーツァルト、後期三大交響曲集を聴きながらご機嫌さんで森を歩いている」

 

「昨夜、開放式のヘッドホンをAmazonで買う」

 

「過ぎた高性能品を求めれば切が無く、足らず安物では不満残るも、結局は安物相場✕2で妥協する」

 

#三行詩

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「ネットで調べると、どうもパクリ品らしい、元祖は5万円オーバーとか」

 

「只、このパクリ品も中々の音らしく、元祖とは違う方向で楽しいとか」

 

「ヘッドホンを買うと毎回家人に取られてしまう、今回は隠し持とうと思う」

 

#三行詩

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○金曜日の午前、マクド

 

論語を2022年3月から通勤中に一句ずつ意訳している」

 

「二周目に入るが、ますます楽しい、論語は文字で書かれた楽譜なのだ」

 

「掘り下げて解釈するも良し、全体像を見直すも良し、何より日常で実践(演奏)する楽しさがある」

 

#三行詩

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「単に勧善を述べたと解釈するも良し、道とか天とか、汎神論に思いを寄せても良し」

 

「奏者(読者)による、色々な論語があって良いと思えるようになった」

 

論語帝王学とか、儒教意識の弊害とか、忠恕が何故そうなるのか、腹が立つより楽しくなる、意見は意見だ」

 

#三行詩

 

論語とは連なりであり、一つで貫かれている」

 

「連なりからいえば、東洋史.日本史と儒学は密接な関係があり、論語を学ぶと必然的に歴史を学び直したいと思う」

 

「一方、一つで貫かれているにも関わらず解釈は時代により異なる、ここが論語解釈の醍醐味かも知れない」

 

#三行詩

 

論語を、数多く書店に並ぶ啓蒙書の1冊とみるのであれば学びは少ない」

 

「孔夫子の世界観とは万世不易であり、偏りがなく、文字通り中庸に尽きる」

 

「忠恕を根本に、人のあるべき姿を社会的に実現することが論語の教えであり、個から類へ広げることに核心がある」

 

#三行詩

 

「見方を変えれば、論語とは二千五百年前に編纂された、人類への革命のすすめかも知れない」

 

論語は文字で記された楽譜だ」

 

「当然、実践(演奏)してこその論語であり、時代の流れすら変える力を持つ。一方、私利私欲の人にとっては古臭い道徳本にしか過ぎない」

 

#三行詩

 

「或は、権力者側によって、儒学は利用されてきたと人はいう」

 

「しかし、儒学を利用するとうことは、君主とは君子でなければならない束縛を自ら受け入れることだ」

 

「暗君も出れば名君もいる、何れも儒学的価値観による批評だ、どちらが利用されたのかは明らかではないか」

 

#三行詩

 

「それに儒学には君主の放伐を認めるぶっそうな孟子も控えている」

 

「また、それでも古臭いというなら論語という題を取っ払うとする」

 

「主題は、自らを誠にすること人を思いやることだ、人類普遍の教えといっていい」

 

#三行詩

 

所感)

■土曜日の夜、自宅

友人達と箕面にて遊ぶ。箕面の滝、周辺を観光し、のち石橋まで出て餃子の王将で昼飯、のち周囲を散策しつつ地元の居酒屋さんにて昼酒。

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居酒屋のマスター、車と腕時計をこよなく愛するダンデイな老紳士で話しが盛り上がる。

店内にマスターが乗ってきた歴代の車のポスターが貼られている。料理は安くて美味い、お酒は安い、トイレや入り口の壁には知人の画家さんが描いてくれたという印象に残る絵。

 

とても愉快な一日だった。