四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百七章(八佾第三②)

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○日曜日の朝、10月1日、ウオーキング

 

子張問、十世可知也、子曰、殷因於夏礼、所損益可知也、周因於殷礼、所損益可知也、其或継周者、雖百世亦可知也。為政二十三

 

子張は問う、十代の後、王朝が交代しても礼は残っているのでしょうか。孔夫子はいわれた、殷王朝は夏王朝から礼制を引継ぐ、周王朝は殷王朝からの礼制を引継いだ。少々の改めたところはあるも根本は変わらない。今、周王朝から伝わる礼制を引き継いでいるように、百代の後の未来でも根本は変わらない。

 

「連なりとは根本に通じる。お辞儀や挨拶、お盆、正月、端午の節句、等々、儒教の影響を受けた東アジア・東南アジア地域に残る礼制の根本は紀元前2070年の夏王朝に至る。私たちの日常での何気ない所作、マナーも夏王朝からの連なりであり、孔夫子の教え(先王の道)とは不変のものだと思う」

 

論語

 

○日曜日の午前、森

 

「令和の世でも日本は礼節の国であり、和を尊ぶのが日本人だ」

 

伊藤仁斎先生、荻生徂徠先、等々優れた儒学者の連なりは今に生きている」

 

「知識として無くとも、日々実践している礼節、考え方、恥の意識、学問の道(先王の道)とは温故知新そのものだ」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不為、無勇也。為政二十四

 

孔夫子はいわれた、自分のご祖先を祀ることなく利益を求めて鬼神を祀る、その諂いの情けないこと。正しいことを知りながら自らの出来ることを行わない、意気地なしだな。

 

「義を見てせざるは勇無きなり、とは無茶なことをすることではない。儒学とは論理的思考の積み重ねであり、自分の出来る範囲で義を発するものだ。強い立場から精神論を強制するような言葉は、少なくとも論語では見たことがない」

 

論語

 

○月曜日の夕方、通勤

 

孔子謂季氏、八佾舞於庭、是可忍也、孰不可忍也。八佾一

 

孔夫子はいわれた、魯の家老である季氏は、天子しか許されていない八佾の舞を、陪臣の身でありながら家廟で舞わせたのだ。このような無礼千万を我慢せねばならぬとは、これ以上の我慢など他にはあるまい。

 

「先王の道こそ孔夫子の教えであり、かの尭帝、舜帝が執り行った八佾の舞を、こともあろうか、周公旦から始まる魯の国の家老が家の庭で舞わせたのだ。孔夫子は絶句されている」

 

論語

 

○火曜日の朝、通勤

 

三家者以雍徹、子曰、相維辟公、天子穆穆、奚取於三家之堂。八佾二

 

孟孫・叔孫・季孫の三家老は天命を受けた天子のことが歌われた雍の楽を執り行う。孔夫子はいわれた、雍の楽は『祭助けまいらす諸侯、天の下おわします天子の気色うるわしく』と歌われている。本来は天子が執り行うものであり、魯の国の王位を簒奪した陪臣が執り行ってはならないものだ。

 

「王位を家老が簒奪する下剋上の風潮に孔夫子は憤慨されている。しかし時代は春秋であり、戦国時代に向けて刻一刻と世の中が変わろうとしていた」

 

#論語

○火曜日の夕方、通勤

 

子曰、人而不仁、如礼何、人而不仁、如楽何。八佾三

 

孔夫子はいわれた、人として不仁(自らを誠にせず、人を思いやらない)であれば、礼や楽を修めたところで何の益にもなるまい。

 

「忠恕こそ仁徳の根本であり、自らを誠にして人を思いやることが儒学の眼目といえる。根本から派生する礼であり楽でなければ、単なる動作や音にすぎない。礼の本質とは人を尊ぶことにあり、忠恕であるからこそ尊ぶ。大金や名誉がある人だから尊いのではない」

 

論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

林放問礼之本、子曰、大哉問、礼与其奢也寧倹、喪与其易也寧戚。八佾四

 

林放、礼の根本を問う。孔夫子はいわれた、大変良い問いだ、礼とは大袈裟な動作や人に見せることを意識するのではなく、本質、その人を尊ぶことを念頭に丁寧に行うことだ。例えば喪では儀式一つ一つを正確に行うことに注心するよりは、故人を悼む、哀しみの気持ちを表すことのほうが大切だ。

 

「誠の心が動作するのが礼である。根本には仁、忠恕から発する、その人や一族、家廟を尊ぶ心がなければ礼は礼にならない。慇懃無礼とは相手も、そして自身の連なりも損じている無様なことだと思う」

 

論語

 

○水曜日の夕方、通勤

 

子曰、夷狄之有君、不如諸夏之亡也。八佾五

 

孔夫子はいわれた、遠い外国でも君子が治めた国があるというのに、我が国の(君子が現れない)現状はどういうことだろうか。

 

「仁徳に国も人種も関係ない。人とは平等であり、自らの仁徳(思いやり)を広げることにより周囲を幸せにしていくのだ」

 

論語

 

○木曜日の朝、通勤

 

季氏旅於泰山、子謂冉有曰、女不能救与、対曰、不能、子曰、嗚呼、曾謂泰山不如林放乎。八佾八

 

魯の家老である季氏が、泰山にて天子が執り行う祭祀を行った。孔夫子は季氏に仕えている弟子の冉有にいわれた、この愚行を止めれなかったのか。冉有はいう、無理でした。孔夫子はいわれた、冉有は正式な弟子でありながら、前に礼を問うた正式な弟子ではない林放にも及ばないとは。

 

「悪徳家老の行いを嘆き、それを止めれない弟子の力不足を嘆きかれた」

 

論語

 

○木曜日の朝、一休み

 

「子とモンハンNOWをしている、父34で太刀、子31で大弓」

 

「チャプター9のラスボスが倒せない、子に代わってもらう」

 

「1人で★4は倒せると豪語する子、冗談だろうと今日も★3を近くの人と狩る父、通勤中に楽しんでいる」

 

#三行詩

 

「ド下手なので、太刀だと毎回喰らってふっとばされる、倒される」

 

「そこで数日前にライトボウに変えた、近くの人とする場合は好調だ」

 

「故に、チャプターがクリア出来ない、まあ、休日に子と狩りに行くのが目的だ、共通の話題で盛り上がるのはとても楽しい、ポケGO以来か」

 

#三行詩

 

○木曜日の夜、自宅

 

「なるほど、弱肉強食が世の中の理とか、ならば猿山の猿と変わらぬのが人なのか」

 

「憎しみに憎しみで返すのは孔夫子の教えとは反する」

 

「大きな大きな仁徳が世界を包み込む、人の描く理想とは必ずや実現する、信じている、儒家とはそういう生き物であるべきだ」

 

#三行詩

 

「不合理から発する怒りの欲求に流されないこと、深呼吸」

 

「しかし、小人の為す暴力、日和見の同調者、偽りの正義」

 

孟子原理主義的には尽く癇に障るも、注意、深く、深く沈むこむこと」

 

#三行詩

 

「理想は気高く、地道に実践する、孔夫子の教えを広げること」

 

「仁とは、とてつもなく広く深いものだ、あらゆるものを包み込む」

 

「大正義などではなく、思いやりを重ねる、善いことが広がる、優しさが正道である世界があってよい」

 

#三行詩

 

○金曜日の夕方、ウオーキング

 

子曰、君子無所争、必也射乎、揖譲而升下、而飲、其争也君子。八佾七

 

孔夫子はいわれた、君子は争わないものだが、有るとすれば弓の競技くらいか。互いに譲り合い場に立ち、弓を射たのちは酒を飲み交わす。真に君子らしいことかな。

 

「何故、君子は争わないのか、道に楽しむ者が、どうして私利私欲の争いをする必要があろうか。その仁徳は天下に及び、民の楽しむを我が楽しみとし、民の苦しむを我が苦しみとするのが君子だ」

 

論語

 

所感)

■金曜日の夜、自宅

家人がゴタゴタに巻き込まれた。

無関係であるにも関わらず、犯人たちから犯人にされる。

木曜日午後、会社を休み、関係機関等に相談を繰り返し、週末には解決する。

ただ、世の中の不合理、エゴ、汚さに心も身体も疲れた。

 

クラスメートをSNSで傷つけ、被害者を登校拒否に追い込んだ犯人たちは、仲間と共謀して集団で家人のせいにし、挙げ句に陰で呼び出して、真実をバラしたら集団でボコると脅す。

 

聞いた直後は怒りでキレた。が、こういう時は田舎のNと話す。一時間程話し込み、冷静になる。

・家人は無関係の第三者である

・犯人たちは発覚をおそれている

・追うのはこちら側だが、過ぎては悔いが残る

 

いざとなれば警察に被害届け出や、弁護士へ相談、民事訴訟、出るところに出ればよい。

一般論とその帰結は目に見える。一方的な被害を受けた者としての怒りからくる復讐は蜜の味だ、だが、

 

やめた。

 

何の為に孔夫子の教えを学んでいるのか、

自らの仁徳とは、学問の道はとは、このようなことをする為ではない。

小人は小人の世界がある。関わらないこと。

こちらも小人にならないこと。

 

今回は、彼らが隠していることを明らかにするだけで根本から良い方向へ向かった。

少なくとも無関係の家人は、この問題から開放された。

 

■土曜日の夜、自宅

モンスターハンターNOW、昼から子と狩りに出かける。遅い昼飯は一駅離れたくら寿司で。

楽しい一日だった。

父、ライトボウ使いで39、子は大弓36までレベルを上げる。

父の火系榴弾が総攻撃力500を超えてから雑魚敵には遠距離からノーダメージで無双、大弓に拘る子は負け惜しみをいうも、ゲットするアイテムの質の高さは明らかだ。

3時間歩き回り12kmを子と歩く、幸せな時間だった。

現在親子ともにチャプター11ボス、ディアブロスという壁には敵わないが、正直ゲームはどうでも良い。

子と同じ土俵で話しを出来ることが何より嬉しい。