四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百八章(八佾第三②)

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○日曜日の午後、10月8日、マクド

 

子夏問曰、巧笑倩兮、美目盻兮、素以為絢兮、何謂也、子曰、絵事後乎、子曰、起予者商也、始可与言詩已矣。八佾八

 

子夏が問う、詩に『笑窪あらわに、可愛い口元。白目にくっきりとした美しい黒い瞳。白さに対して際立つ彩りの絢』とありますが、どのような意味でしょうか。孔夫子はいわれた、絵を描き、仕上げに胡粉を散らすようなことだな。子夏はいう、仁徳ののちに礼があることですね。孔夫子はいわれた、私に学問で気付きを与えるとは、子夏よ、ともに詩を語りあえるようになったな。

 

「仁徳こそ人の根本であり、礼はそこから発することが大切だ」

 

論語

 

○月曜日の朝、ウオーキング

 

子曰、夏礼吾能言之、杞不足徴也、殷礼吾能言之、宋不足徴也、文献不足故也、足則吾能徴之矣。八佾九

 

孔夫子はいわれた、夏王朝や殷王朝から伝わる礼制を私は度々述べているが、夏王朝があった杞の国、殷王朝があった宋の国には何も残っていない。記された書は無く、それらを知る賢人はいない。残念なことだ。

 

「孔夫子ともあろう人が、(杞と宋に文献や賢人が残っていれば)自説の正しさを証明出来るのだといわれるだろうか。この場合、後人の為を思って、文献や賢人、証拠が残っていないことを残念だといわれたのだと思う」

 

論語

 

○月曜日の朝、マクド

 

「四連休の最終日、ゆっくりとコーヒーを飲みながら本を読んでいる」

 

「兼ねてから名著とされる半藤一利さんの昭和史、ぐいぐい惹き込まれる」

 

「難解な戦前・戦中史を、時代の軸が誰から誰にあり、何処へ向かっているのか、目が覚めるような気がする」

 

#三行詩

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「四日間、静養したお陰か、ようやくアトピーが落ち着き、思考も戻る」

 

「落ち着いて読書出来るのも、やはり健康であってこそ」

 

「歴史は面白いが良書を読まねばならない、精神論や偏見で考察された史観の本も世の中にはある、それはそれで興味深いが、軸は持たねばならない」

 

#三行詩

 

「戦前史とは二・二六事件の以前、以後に別けられる」

 

「以後、軍人が政治を行い、重工業財閥を抱え込む、マスコミは広報機関と化す」

 

「独裁者ではなく『得体不明の正義の執行人たち』が国政を握る、既に故人となった永田鉄山の思想が、世界情勢を無視して暴走していく」

 

#三行詩

 

半藤一利さんの『昭和史』を読んでいると、時代も国も違うが、塩野七生さんの『ローマ人の物語』が重なる」

 

「昭和史に英雄は登場しないが、人物を深く掘り下げ、優れた時代考証の上で物語は進む」

 

「後世でありながら、その場にいるかのような時流の流れを感じる、歴史の靄が晴れていく気がする」

 

#三行詩

 

「しかしながら凄まじい、大日本帝国の『北守南進』とは、世界中を敵にまわす国策だ」

 

「陸軍の統制派とエリート幕僚グループ、今でも得体不明の人たちがそれを決めた」

 

「軍備が列強と比べて劣っている→亡国の危機感→軍拡が必要だ、その為には資源確保の為の南進が必要だ(その間、米英やソ連は軍拡などしないはずだ、何故なら我々は正しいからだ)」

 

#三行詩

 

「幕末・維新から始まる亡国の危機、集団意識は、とうとう世界中の国に対して戦争を仕掛けるに至る」

 

「米国やソ連の参戦の可能性に至らない訳がない、優秀な人材は当時もいたが、ほとんど左遷か軍を辞めさされた」

 

「度重なる戦勝国としての誇りが、驕慢たる無知を生み出し、情報を偏見の目で軽視する。現実を省みず、時代は空母・飛行機が主流の中で、巨大戦艦が活躍した時代(日清・日露戦争)の価値観のまま戦争に突入してしまった」

 

#三行詩

 

○月曜日の夜、自宅

 

「父41の一周目チャプター12、レイギアナが見つからない、子38で二周目へ」

 

「モンハンNOWが楽しい、休日のウオーキングと合うし子と共感出来る」

 

「大弓最強と子が自慢するのでデイア弓を買ってみた、ライトボウと二刀流で」

 

#三行詩  #モンハンNOW   

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○火曜日の朝、通勤

 

子曰、禘自既灌而往者、吾不欲観之矣。八佾十

 

魯の国の大祭である「禘」が六代の文公により執り行れた。文公は父である五代僖公を四代より高い位置に位牌を置いた。孔夫子はいわれた、禘の大祭では、祖先に捧げる神酒を地に注いでからは儀式を見ることは無かった。

 

「君主がわざと実父の位牌を祖父より高く上げて祭祀を執り行うのを間近で見て、礼法に反する有り様に只、目を背けるしかなかった」

 

#論語

 

○火曜日の夕方、通勤

 

或問禘之説、子曰、不知也、知其説者之於天下也、其如示諸斯乎、指其掌。八佾十一

 

或る人、禘とはどのような祭祀なのかを問う。孔夫子はいわれた、知らず。もし禘を知る者がいれば、天下を治めることなど、掌の上で玉を転がすようなことだろう。

 

「前の句で、魯の国の君主である文公が神聖な祭祀を私心を以て行う。臣下の身にある孔夫子は批判出来ない。故に「禘」とはこの場合、祭祀の内容というよりは先王の教えであり、仁徳による徳治政治がなされれば天下は治まる、仁徳の君主が現れれば天下は治まるのに、現状を省みて孔夫子は嘆かれている」

 

#論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

祭如在、祭神如神在、子曰、吾不与祭、如不祭。八佾十二

 

ご先祖を祭るには、目の前にご先祖が居るかのように、神を祭るには、目の前に神が現れたたかのように祭祀を執り行うこと。孔夫子はいわれた、自ら行わねば祭った気がしない。

 

「祭るとは敬うことであり、敬うとは心から為さねばならない。あたかも目前にご先祖や神がいるかのように振る舞うこと。所作一つ一つが礼に適うとはこの尊ぶ心と動作が一体となったことだ。動作を真似るだけでは礼とは遠い」

 

#論語

 

○水曜日の夕方、通勤

 

王孫賈問曰、与其媚於奥、寧媚於竈、何謂、子曰、不然、獲罪於天、無所祷也。八佾十三

 

衛の霊公を蔑ろにして権力を奪った家老の王孫賈はいう、『奥の神の機嫌を取るより、竈の神の機嫌を取れ(名目より実利を取れ)』という、ことわざをどう思われますか。孔夫子はいわれた、けしからんことです。天を無視して罪を重ねる者など、この世界に居場所などありません。

 

「実力者である家老の王孫賈を無視して、衛の霊公の下を訪れた孔夫子に皮肉をいう王孫賈。それに対して、君主を蔑ろにして権力を奪う陪臣など、この世界に居場所などないと応えられた孔夫子。論語とは面白い」

 

#論語

 

○木曜日の朝、通勤

 

子曰、周監於二代、郁郁乎文哉、吾従周。八佾十三

 

孔夫子はいわれた、周王朝夏王朝と殷王朝の礼楽文物を引き継ぎ、とても栄えた。私はその連なりを引き継ぐ者だ。

 

「孔夫子の門をくぐるとは、先王の教えを学ぶこと。『郁郁として文なる』を実現する為に、今日も学問の道を歩む」

 

#論語

 

○木曜日の夕方、通勤

 

子入太廟、毎事問、或曰、孰謂鄹人之子知禮乎、入太廟、毎事問、子聞之曰、是禮也。八佾十五

 

孔夫子、魯の周公旦を祭る大廟に詣でた時、事あるごとに側に控えている儀式を司る役人に作法を聞かれた。或る人がそれを見ていう、鄹の役人の子である孔子は礼を知っていると巷の噺だが、あの様子では本当は知らないのではないか。後にその言葉を孔夫子が聞かれていわれた、この場合、控えている儀式を使える役人に、事あるごとに聞くのが礼なのだ。

 

「礼とは、時と場合、場所に合致してこその礼だ。ここで作法を既知だから聞かないのは、側に控える役人に礼を逸するかも知れない。儒学とは根本を大切にする。枝葉の変化に囚われ過ぎてもいけない」

 

#論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

子曰、射不主皮、為力不同科、古之道也。八佾十六

 

孔夫子はいわれた、弓矢の道とは射抜いた的の数ではない、人には力量の差があり、如何に真剣に取り組み続けるかが古くから伝わる弓矢の道なのだ。

 

「学問の道とは、武術・武道と相通じるものがあると思う」

 

#論語

 

○金曜日の夕方、通勤

 

子貢欲去告朔之餼羊。子曰、賜也、爾愛其羊。我愛其禮。八佾十七

 

子貢、魯の宰相として告朔の礼(周王朝から伝わる、毎月一日に羊を屠り、宗廟に魯の国が継続している旨を伝える祭祀)を財政縮小の為に廃止しようとする。孔夫子はいわれた、子貢よ、汝は羊を惜しむが、私は周王朝から伝わる礼が失われることを惜しむのだ。

 

「時代は変わろうとも仁徳は変わらない、先王の教えとは不変、普遍である。現実的には子貢に共感出来るところもあるが、周王朝、周公旦を開祖とする魯の国の告朔の礼と、年/羊十二匹の出費とどちらが大切なのかは明らかだ」

 

#論語

 

○土曜日の朝、ウオーキング

 

子曰、事君尽礼、人以為諂也。八佾十八

 

孔夫子はいわれた、先王から伝わる礼を以て君主に仕える。人はそれを見て諂いという。

 

「向いている方向が違い過ぎる。孔夫子は仁徳を以て天下を救う為、先王から伝わる礼を規範・規律として行なうも、私利私欲の小人は君主に気に入って貰いたい為の諂いだと悪口をいう。諂いはどちらか」

 

#論語

 

○土曜日の朝、森

 

チャイコフスキー、バイオリン協奏曲ニ長調を聴きながら森を歩いている、ご機嫌さんだ」

 

金木犀の香りがする、午後から雨らしい」

 

「ようやく秋がきた、それだけで嬉しい、読書、音楽、映画、食べ物の季節、来たれり」

 

#三行詩

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○土曜日の午前、マクド

 

半藤一利さんの『幕末史』を読んでいる、反薩長史観で書かれているとか、とても面白い」

 

「老中、阿部正弘がとても優秀な人物とは知らなかった、世界情勢にも通じていた。惜しむらくは早逝してしまった」

 

「歴史とは勝者側の言葉であり、史観が変われば世界も変わる、敗者側にも英雄や人物はいる」

 

#三行詩

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○土曜日の夜、自宅

 

「思う、論語は楽譜なのだ、指揮者(研究者・学者)の解釈の違いもあれば、奏者(自分)の力量も左右する」

 

「それこそ、全文字暗唱してもよい、それくらいの書だ」

 

「自ら解釈(指揮)をして実践する(奏者)、過去の名指揮者に心酔するのも良いが、下手でも自ら演奏した方が楽しいよ、きっとね」

 

#三行詩

 

所感)

■土曜日の夜、自宅

何の為に論語を学んでいるのだろうか。

儒学を学ぶきっかけは、吉田松陰先生の著作集に感動し、五十という齢を期に自らを磨き直そうと思ったからだ。

目的があってこそ、学んだことを実践してこその学問の道と思う。

ここは変わってはいけない、でなければ好事家か啓蒙書マニアの遊びごとの類になってしまう。

ここが論語の意訳一周目の自分の考えだ。

 

今、論語の意訳二週目に取り組んでいる。

少し変化がある。

論語を学び続けることが楽しくなってきた。

一周目の孔夫子とは明らかに異なる。

二週目の孔夫子は、時代を背負った使命感と、ユーモアに溢れる暖かな人間味で、ぐいぐいと惹きつけられる、意訳していて楽しくて仕方がない。

学問の道とは、終生論語を学ぶ、実践する、学び続けることかも知れない。