四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

三行詩 第百四十二章(先進第十一②)

f:id:aristotles200:20240721164458j:image
○日曜日の午後、7月14日、ウオーキング

 

子曰、夫人不言、言必有中。先進十四

 

孔夫子はいわれた、(高弟の閔子騫は)普段はあまり物を言わない人であるが、言えば、必ず、物ごとを的確に把握している。

 

「夫子の言葉も少ないが、この場合、ほぼ(閔子騫を)絶賛している」

 

論語

 

○日曜日の午後、森

 

孔子家語 新釈漢文大系をAmazonで買う」

 

岩波文庫の旧版を読もうと思っていた矢先に、安くなっているのを見つけた」

 

「他にも、東洋文庫論語徴2を探しているが、値が上るばかりだ」

 

#三行詩

 

○日曜日の夜、自宅

 

孟子金谷治先生の中国古典選5(朝日新聞社)を愛読している」

 

「書き下し文が主で、ほぼ毎日、素読している」

 

「白文、訓読文(書き下し文)と向き合い、自らどう思うか、考えるのが楽しい(迷走も多いが)」

 

#三行詩 #孟子

 

○日曜日の夜、自宅

 

アトピー悪化して、服の下は再びミイラ男と化している」

 

「気晴らしもあり、孟子の意訳に集中している」

 

「若い頃は(掻かないように)ひたすらDSレイトン教授シリーズをしていた時もあったが、五十を越えてゲームは(感性が)追い付かない、もはや無理らしい」

 

#三行詩

 

○日曜日の夜、自宅

 

孟子は、論語と比べれば軽い」

 

ウイスキーの原液とハイボールくらいの差はある」

 

「しかし世の中、ウイスキーの原液をがぶ飲み出来る人は限られるし、孟子も現代ではストレートで飲める人は少なくなる一方に思う、それだけ我が祖国も学問が軽くなって来ている」

 

#三行詩

 

○月曜日の夕方、ウオーキング

 

子曰、由之瑟、奚為於丘之門、先進十五

 

孔夫子はいわれた、子路の琴の音色を聴くと、我が門の人とは思えんな。

 

武侠子路にも苦手あり、孔門のジャイアンとは彼のこと(もちろん开万哨)」

 

#論語

 

○月曜日の夕方、森

 

ブレンデルベートーヴェン·ピアノソナタ全集を聴きながら森を歩いている」

 

「小雨、かなり蒸し暑い、汗、つきまとう藪蚊」

 

「ふと、内モンゴルの雨の草原を一人、馬に乗り駆け抜けたことを思い出す、若いときは無茶もした」

 

#三行詩

 

「何せ三十年前だ、もちろん旅行者向けだ(ベテラン馬に乗せられていたと思う)」

 

「馬など乗ったことはなかったが、手綱操作と脚の締め付けを教わり、後は簡単だった」

 

「草原のゲルに泊まり、茹でた羊肉と強い焼酎、内モンゴルは最高だった」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、通勤

 

門人不敬子路、先進十分五

 

(子路の琴による演奏を聴いた夫子の評を聞いた)他の門人は、子路を先輩として尊ばなくなってしまった。

 

論語内では貴重な夫子の开万哨(冗談)も、新しく入門した弟子たちには通じなかった」

 

論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「20キロの可変式ダンベル来たれり(Amazonで購入、バーベルにもなる)」

 

「この三連休、手持ちの5キロ✕2とで子と各種競争をする(まだまだ負けてない)」

 

「親子で筋肉痛だ、あちこち身体は痛むが、通勤中、不思議と心地良い」

 

#三行詩

 

○火曜日の午後、一休み

 

儒学を学んでいると、陽明学が好きだという人には普通にビビる」

 

陽明学はいきなりは理解出来ない学問だ」

 

論語の集解から四書五経、二程子、朱子学、そして陽明学に至る、古学の人もそうだが相当の学問の人だ、確実に只者ではない(研究者レベルの人だ)」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、通勤

 

子曰、由也升堂矣、未入於室也、先進十五

 

孔夫子はいわれた、子路の学問を例えるなら、既に王宮の堂には至っている。王の室の前までは来ているのだ。

 

「王(学問の目的地)と王宮(学問を十分に理解している)の例えで子路を持ち上げる夫子、何だか分からない子路の図」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

子貢問、師与商也孰賢乎、先進十六

 

子貢が問う、子張と子夏、どちらがより賢いですか。

 

「我が強く出過ぎる子張と、経書や古典ばかり読んでいる子夏、それを見て優越を問う子貢、三者三様の弟子たちの様子が伝わってくる」

 

#論語

 

○木曜日の朝、電車内

 

ダンベル・エクササイズの効果か全身に筋肉痛あり、眠たくもある」

 

「家人より、最近、ますます短気との指摘あり」

 

「基本的に黙っている、国際的に著名な某スナイパーのように『・・・・・』が多いが、理解るらしい」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、通勤

 

子曰、師也過、商也不及、先進十六

 

(子張と子夏の優越を子貢から問われて)孔夫子はいわれた、子張は物ごとに過ぎるし、子夏は物ごとに足らない。

 

「行き過ぎては取り返しのつかぬこと(言葉)もある、足らず(行動)なら足せば良い」

 

#論語

 

○金曜日の朝、電車内

 

「人立ち入りで電車止まる、横に立つ人が舌打ちとボヤキを繰り返す」

 

「他は下を向いて耐えている、ボヤッキーが移動して車掌に文句を言うている」

 

「お通夜での司会のような慇懃口調で車内放送をする車掌さん、ボヤッキーが電話、横の人がクシャミを連発している」

 

#三行詩

 

所感)

■頼る、つれづれ、学問の道

何かに頼る、ということ自体が既に自らから逸している。

 

学問とは、頼るものではない。

学問とは、自らを磨く為にあり、主は学問にはなく、あくまで物ごとを自らどう考える、どう行動するかの選択肢を正しくすることにある。

 

何が正しいか、正しくないかを図る過程に、他人への批判や自己弁護は一切あってはならない。

まず、自らの悪を省みるのが孔夫子の教えだ。

まず、自らを正しくする。そこから世の中を正しく視るのも孔夫子の教えだ。

 

一辺倒に儒学の目標は聖人君子になることである、ではない、違う。

自らの到達点も、自らで決めねばならない。

学問とは個性の解放であり、型にはめたような善人などは、少なくとも儒学から生まれはしない。

 

頼るものは、学問でも正義でもない。

日頃から磨いてきた自ら、そのまんまだ。

そこも、自らを頼るようでは学問が中途半端と言える。

日常生活のそのままが、既に学問の実践である。

 

学問で自らを磨くと発心して三年、まだまだだ。

学べば学ぶほど、内省と実践との差が広がる一方に思う。

自らの独善や、本音と建前、人の顔色を窺う、等々そこら辺の小物を貫く、一つが細い。

一つとは自らであり、自らとは学問の実践だ。

 

日々が学問であり、動作、呼吸、思いも突き詰めれば学問のはずだ。

しかし、今はここらへんで精一杯らしい。

 

■CHATGPTの評価 90点

この文章には、古典儒学への深い理解と日常生活における内省が反映されています。また、三行詩を通して哲学的な思索や人生観が表現されており、論語孟子に対する学びが、著者自身の経験や感情に結びつけられています。

 

文章の形式はエッセイ的で、詩的な表現や論理的な考察が織り交ぜられており、儒学の教えを現代の日常生活にどう適用していくかを探求しています。特に、学問の意義についての洞察は、読者に新しい視点を提供します。

 

100点満点中、90点を評価します。理由としては、内容が豊かで深みがある一方で、もう少し整理されるとより伝わりやすくなる部分もあるからです。それでも、哲学的な探求を続ける姿勢は非常に評価に値します。