四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百四十一章(先進第十一②)

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○日曜日の正午、7月2日、自宅

 

曰敢問死、曰未知生、焉知死、先進十二

 

更に子路は問う、死とは何でしょうか。孔夫子はいわれた、未だ生を知り得てはおらず、どうして死を知り得ようか。

 

「十一語の漢字の内に、孔夫子の死生観が込められている」

 

#論語

 

「死とは何ですか、孔夫子に問う子路の心は、私たちと同じだ」

 

「先に肉親や友人を奪い、やがては自分をも消し去る死とは何ですか」

 

「かつて孔夫子はいわれた、知らない、ということを知ることが知るということだと。生きるということの真実を人は知り得ない、そもそも(人は)生とは何かと問うものではない。ただ学ぶ、学んだことを実践する、省みる、改める、そして学び続けることが生である、と答えられた。

同様に、どうして死を知り得ようか、人は死を知り得ない。死とは向きあうものであり、知る=選択肢が与えられない事象である。死とは受け入れること、以外の思索をしないことだ。鬼神や死後の世界が人の死を知ることにはならない。目前の死、そのままが全てである、と答えられた」

 

#三行詩

 

○日曜日の夕方、ウオーキング

 

ダンベル筋トレで得たがちがちの筋肉痛を味わいながら歩いている」

 

「外気温35度以上は外に出ないほうが良いらしい」

 

「明日の為に歩いている、暑いからリモート出来る仕事ではない」

 

#三行詩

 

○日曜日の夕方、森

 

ジャミロクワイのヴァーチャル・インサニティを聴きながら森を歩いている

 

「筋肉は正義だ、筋肉は裏切らない」

 

「子から5キロダンベルをかりている、中々楽しい、腹(肚)にくるのが素敵だと思う」

 

#三行詩

 

○日曜日の夕方、喫茶店

 

「もはや動物園と化した騒音のマクドを避けて人の少ない喫茶店へ」

 

「あんバターフランスパンとアイスコーヒーで一息つく」

 

「空調の効いた店内、木目調のカウンターに座り、明日からの活力を貯めている」

 

#三行詩

 

「バッハ、ゴルトベルク変奏曲、32小節のアリアが店内に流れている」

 

「人のいない店内で、ひとり息を吐く」

 

「手持ちの本も読まない、なにもせず、ただ座っている、この時間を楽しんでいる」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

閔子侍側、誾誾如也。先進十三

 

高弟の閔子騫、礼法に則り心、落ち着いた様子で孔夫子の側で控えている。

 

「まず、各高弟の、孔夫子の側で控える様子が描かれる」

 

論語

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

孟子の白文からの意訳を再開する、どうせなら初めから始める」

 

「ブログも論語と三行詩とは別に独立させた」

 

孟子とは思いの人だ、ヒューマニストであり、弱き民を救いたいと心から思っている、前回の意訳(3年前)との違いとして、孟子の思いを掘り下げたい」

 

#三行詩

 

「私の学問(儒学)は孟子に感銘を受けてから始まっている」

 

「(今回)過去、挫折した荀子と迷うが、結局はベースの孟子に三年ぶりに帰郷する」

 

「及び、最近の三行詩を省みると、内容が独善的で中庸から遠い、言葉に酔っているとすら感じる、一旦、出直そうと思う」

 

#三行詩

 

○月曜日の夜、自宅

 

「子、帰宅して開口一番、父に相談があると、空手道場に通わせてほしい」

 

「当ては?、ある、何時?、今日の夜、練習がある」

 

「武術・武道を始める時は、勢いが大切だと経験上知っている、なら、今、直ぐに行きなさいと、子、出かける、九時頃帰るとラインあり、頑張れ」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、通勤

 

子路行行如也、先進十三

 

子路、眦を上げ、三軍を率いる将が王の目前で控えるような有り様で(孔夫子の側で)控えている。

 

子路のことだ、側に控えていても常に孔夫子を気遣い、御身を守ろうとしている。武俠であることは(死に際を省みても)終生変わることはなかった」

 

論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「猛暑の影響か、肌をあちこち掻き壊し長袖を着ている」

 

「あちこちに包帯を巻いている、またミイラ男に戻る」

 

「仕方ないこと、しかし、(完治を)諦めるのでもなく、(普通に生活を過ごせるように)病に向き合っていこうと思う」

 

#三行詩 #アトピー性皮膚炎

 

○水曜日の朝、通勤

 

冉子子貢侃侃如也、先進十三

 

高弟の冉有と子貢、慎み深く落ち着いた感じで孔夫子の側に控えている。

 

「二人とも行政官としても有能であり、冉有は引っ込み思案、子貢は何ごとも過ぎる(優秀な)あの子貢だ」

 

#論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「ホームで並びつつ高血圧、及び睡魔との戦いを繰り広げている」

 

「我が身で大変なので、直ぐ後ろに並ぶカップル、男の奇声に不快感しか感じない」

 

「車内は良く冷えている、後ろの酔っ払い三人が大声で会話をしている、前に立つ男性が繰り返すクシャミがウザい」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

子楽、曰、若由也不得其死然、先進十三

 

孔夫子は高弟たちと共にいる時間を楽しまれた。

後に孔夫子はいわれた、由(子路)は、畳の上では死ねない男であるな。

 

「夫子は、子路の気性の激しさに不安を感じている」

 

論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

魯人為長府、閔子騫曰、仍旧貫如之何、何必改作、

 

魯の国で、国の財貨を置く長府という倉を立て直すことになる。閔子騫はいう、今の倉で十分です。どうして古い倉を壊して新しい倉を建てる必要がありましょうか。

 

論語

 

○金曜日の朝、連絡橋

 

「一人は紫色の目立つズボンを履いている、雨の中で妙に似合っている」

 

「若い二人組が大声で会話している、容姿、声に険はなく方言が際立つ」

 

「同郷らしく、今や大都会に住んでいることに感銘している、既視感あり、私もド田舎出身、あるある」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、電車内

 

「対面の座席で食事をしている人がいる、椅子の上に食べ終えたパンの袋を散らかしている」

 

「初老、男性、生活に疲れている感あり」

 

「欠伸をした、やはり疲れているようだ、最後にペットボトルのお茶を不味そうに流し込んだ」

 

#三行詩

 

○金曜日の夜、自宅

 

「子から借りているダンベル5k✕2を使うと調子良い、気に入っている」

 

「深夜、度々アトピー痒みに苦しむ、ならばとひたすらダンベルを上げる、下げる、繰り返す(肌を掻き壊せない)」

 

「今日、Amazonで10k✕2のダンベルも買う、筋肉は正義だ、筋肉は裏切らない」

 

#三行詩

 

○金曜日の夜、自宅

 

孟子論語とは違う、猛々しき、荒ぶる儒学だ」

 

孟子は心底怒っている、世の中の非合理と、強欲な支配者層に物言いたい」

 

「しかし、孟子の本質は論語と変わらない、ポカポカとした(孔夫子の)全ての人を包み込む大きな仁にある、ここは振れてはいけない」

 

#三行詩

 

所感)

■つれづれ、学問の道、そういうことか

論語孟子の白文は、主にWikipediaにあるWikisourceを使用しているが、たまに、中国語のサイトで原文を載せているサイトから拾うこともある。

少なくとも、論語孟子の原文は無断使用しても著作権法に違反はしないらしい。

 

今週、試みに孟子を意訳し私見を書いた。

このまま最後まで貫くことも可能ではあるが、

3年前と今回の中身が、そう変わらないことに気づいてしまった。

作業はしたくないので、少し考えたい。

 

どうせなら、未読の孔子家語をWikisourceから白文を拾って、ちまちまと意訳した方がモチベーションも上がる気がする、

孟子は毎日、素読しており、正直、意訳しても新たな発見はなかった気もする。

要は、学問が進んでいない。そういうことだ。