『孟子』梁恵王章句上(四章)
○白文から意訳し、私見を述べています。
(2024年7月11日から 7月12日更新済み)
4-1、梁惠王曰、寡人願安承教。
恵王はいう、寡人(私)は心を改め、先生から王道政治の教えを請いたいと思う。
「悪逆ではあるが無能ではない恵王は、ここで己の失政を認めた」
4-2、孟子對曰、殺人以梃與刃,有以異乎、曰、無以異也。以刃與政有以異乎、曰、無以異也。
孟子はいう、それでは王よ、人を殺すのに棒で殴るのと、刃物で刺すのとでは、何か異なる点がありますか。
恵王はいう、人を殺すのには変わらない。
孟子はいう、では、刃物で殺すのと、政で殺すのとでは、何か異なる点はありますか。
恵王はいう、人を殺すのには変わらない。
「孟子は、現代の裁判所の判事のように理詰めで恵王の罪を明らかにする、そして罪を認めた恵王」
4-3、曰、庖有肥肉,廄有肥馬,
孟子はいう、王の王宮の厨房には肥えた肉が吊るされ、王の馬屋では肥え太った馬が飼われています。
「さらに孟子はいう、恵王の驕慢と傲慢の所作を、そこには自己中心的、自分さえ良ければ他人はどうでもよい、否、恵王だけではない、今に生きる人、全てのの愚かさを述べている」
4-4、民有飢色,野有餓莩,
一方、王宮を出て街に出れば、飢えて青白い顔色をした民たちが道端に座り込み、原野には飢え死にした民が弔いもされず捨てられています。
「孟子は誇張などしない、見たそのままを言葉に表した。王や、その重臣、国の富裕層が見ても見ようとしなかったリアルを述べる」
4-5、此率獸而食人也、獸相食,且人惡之。
この状況は、(例えれば)王が獣(政)を使って人(民)を喰い尽くそうとしているのと同じです。
獣は子殺しや共食いをすることを厭いませんが、人は普通であれば嫌がるものです。
「王族なにものぞ、人は人だ、高慢と偏見に満ちた獣と化した王、及び王を支える支配層に、あなた達は獣そのものだと孟子はいう」
4-6、為民父母行政,不免於率獸而食人,惡在其為民父母也。
ところが民の父母たる王でありながら、王は獣(政)に人(民)を喰らわせて平然とされています。
王よ、これでも民の父母と言えますか。
「孟子は最初からこの言葉を恵王に言いたかった。王よ、王らしきことなど皆目せず、ただ私利私欲、自らの強欲を満たす為に、多くの民の血と肉をいつまで喰らうのか」
4-7、仲尼曰、始作俑者,其無後乎。
かつて、孔夫子はいわれました、葬儀で死者と共に埋める人形を考えた人は、(その非情さ故に)子孫が絶えるに違いないと。
「ここで、孟子の学ぶ儒学の創始者を登場させる。よく出来た映画のような構成は見事としか」
4−8、為其象人而用之也,
これは、人間そっくりに作った人形ですら、死者と共に埋めるのは、無残であると孔夫子はいわれているのです。
「聖人、孔夫子をここで登場させるのは、恵王と孟子のやり取りを、孟子側の基本軸で最後に振り返る為だ」
4−9、如之何其使斯民飢而死也。
省みれば、王の国では、今、現在、王の政のせいで多くの民が飢え、死に、原野に捨てられています。
あってはならないことが起こっているのです。
「恵王はうなだれた、孟子に完敗してしまった。しかし、孟子は許さない、苦しみ餓死した民、今、餓死しようとしている民の為に、もう一度リアル告げてこの章は終わる」