四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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孟子 梁恵王章句上(七章)

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孟子』梁恵王章句上(七章)

○白文から意訳し、私見を述べています。

(2024年7月16日から 7月28日更新済み )

 

7−1、齊宣王問曰:「齊桓、晉文之事可得聞乎?」

 

斉の宣王はいう、今日は斉の桓公、晋の文公のことを聞きたいものだ。

 

「宣王は名君だ、父の威王も名君であり、二代続いて善政を行った斉は諸侯の覇王として覇権を握り続けている。孟子と面会して、過去の覇王のことを尋ねるのも当たり前と言える。

個人的には宣王の父、威王に興味深い。王位を継いでから、その能を隠し、腐敗した官僚を成敗し、有能な正義の官吏を登用する時代劇のようなエピソードは、威王が只者ではないことを明らかに示している」

 

【人名】宣王(せんおう、? - 紀元前301年)は、中国の田斉の第5代の君主(在位:紀元前319年 - 紀元前301年)。姓は嬀、氏は田、諱は辟彊。学問を奨励して諸国から学者を集め(稷下の学士)、商工業を糧に富国に成功している。また、孟子の献策で燕を制圧したことがあったが、これは失敗に終わっている。父の威王と並び名君とされ、弟の靖郭君田嬰とその子の孟嘗君を重用して覇権を握り続け、西方の雄秦と2大大国時代を現出させた。※Wikipediaより抜粋

 

7−2、孟子對曰:「仲尼之徒,無道桓、文之事者,是以後世無傳焉;臣未之聞也。無以,則王乎?」

 

孟子はいう、孔子の門をくぐりし者、桓公、文公といった覇王のことをお話しは出来ません。

(覇王のことが)今の世に正しく伝わっているのか知りませんし、聞き及んでもおりません。

であれば、今日は(覇王ではなくて)王者のお話しは如何でしょうか。

 

孟子は、噂に違わぬ名君との面会を楽しみにしていたに違いない。そして会うからには事前に宣王の情報を綿密に集め、分析している。

その上で、どう王を感心させ、仁徳の道(孔夫子の教え)を王に実践させるのか、相当に計画を練ってから来ている」

 

【人名】桓公は、春秋時代の斉の第16代君主。春秋五覇の筆頭に晋の文公と並び数えられる。鮑叔の活躍により公子糾との公位継承争いに勝利し、管仲を宰相にして斉を強大な国とした。また、実力を失いつつあった東周に代わって会盟を執り行った。※Wikipediaより抜粋

【人名】文公は、中国春秋時代の晋の君主。姓は姫、諱は重耳、諡は文。晋の公子であったが、国内の内紛をさけて19年間諸国を放浪したのち、帰国して君主となって天下の覇権を握り、斉の桓公と並んで斉桓晋文と称され、春秋五覇の代表格とされる。-※Wikipediaより抜粋

 

7−3、曰:「德何如則可以王矣?」

曰:「保民而王,莫之能禦也。」

 

宣王はいう、では、人は、如何ほどに徳を高めれば王者になれるのであろうか。

孟子はいう、民を守る王であれば、誰が王者になることを妨げれましょうか。

 

「民を守る王、覇王ではなく仁徳による王者を戦国の世に出現させることが孟子の目的だ。

孟子は最初から結論を述べている。現代の優秀なプレゼンターにも共通する鉄則を見事に踏まえている。

1、結論から話す。

2、出だしで聞き手との距離を縮める。

3、難しい言葉を使わない。

4、つなぎ言葉を避ける。

5、 はっきりゆっくり話す。

6、聞き手に問いかける。

7、何のためのプレゼンなのか目的が明確である。

8、伝えたいことがシンプルで分かりやすい。

9、聞き手の知りたいことに答えている。

10、シーンや相手に合わせた「ストーリー構成」になっている。

と、流石、諸子百家の頂点に立つ論客であるともわかる」

 

7−4、曰:「若寡人者,可以保民乎哉?」

曰:「可。」

曰:「何由知吾可也?」

 

宣王はいう、寡人(私)でも民を守れば、王者となれるものなのか。

孟子はいう、なれます。

宣王はいう、何を知って、私が王者になれるというのか。

 

孟子の描いたストーリー通りに話しが進む。当然ながら名君である宣王は既に、孟子が超一流のプレゼンターであることに気付いている。

また、質問の鋭さから宣王が無能とはかけ離れていると孟子も気付いている」

 

7−5、曰:「臣聞之胡齕曰,王坐於堂上,有牽牛而過堂下者,王見之,曰:『牛何之?』對曰:『將以釁鐘。』

 

孟子はいう、胡齕という王の家臣の方からお聞きしたことがあります。

王宮の堂上に王が居られた時のこと、哀しそうに啼いている牛を引いて堂下を通る牛引きがいました。

王は、牛引きに牛を何処へ連れて行くのか尋ねられました。

牛引きは言いました、(高価な)鐘が新しく届きましたので、生け贄の牛を屠って血を鐘に塗り(血を塗ることにより鐘の製作が完成する)、鐘を清めたいと存じます。

 

「目の前で見ていたかのように、臨場感ある描写にて宣王の物語を宣王の前で述べる孟子

事前資料の作成、報告に抜かりなし。面会の前に、相当に情報収集を行っていることが垣間見える」

 

7−6、王曰:『舍之!吾不忍其觳觫,若無罪而就死地。』對曰:『然則廢釁鐘與?』曰:『何可廢也?以羊易之!』——不識有諸?」 

 

王はいわれました。止めよ、牛のその怯える様を見ては、とても生け贄には出来まいぞ。

罪のない者を死地に行かせるのと同じではないか。

牛引きは言いました、それでは新しく来た鐘のお清めは止めますか。

王はいわれました、お清めは止めることは出来まい。代わりに羊で行うがよい。

と、この話は本当のことですか。

 

「王は引きずり込まれた、孟子の手のひらで転がるように話しに聴き込んでいる、そして誘導質問(この話は本当のことですか?)が始まる」

 

7−7、曰:「有之。」

曰:「是心足以王矣。百姓皆以王爲愛也。臣固知王之不忍也。」

 

宣王はいう、その通りだ。

孟子はいう、そのお心があれば、諸侯の王、王者となるに何の不足がありましょうか。

心なき者は、王が牛を惜しまれたと噂しましたが、私は王の情け、王の仁徳を知ることが出来ました。

 

孟子のいう心なき者が、果たして実在するのかなどどうでも良い、孟子は王の味方であり、私だけが偉大な名君の心の内が理解出来る、と述べたいのだ」

 

7−8、王曰:「然;誠有百姓者。齊國雖褊小,吾何愛一牛?卽不忍其觳觫,若無罪而就死地,故以羊易之也」

 

宣王はいう、うむ、しかし、心なき者は私を牛をも惜しむくらいの吝嗇だと思ったらしいが、斉の国狭しとはいえ、牛一匹を惜しむわけがあるまい。

何故、牛を助けたのか。私の目の前でだ、迫りくる死に怯え鳴いている牛を見ては、憐れみを与えずにはおられぬではないか。牛に罪があろうはずも無し。故に、羊を代わりにと命じたのだ。

 

「王は、孟子の描いたストーリー通りに述べている。こう述べるであろうことは孟子は想定済みだ。

牛を救い、羊を屠る、王宮で起きた日常での話から、王に潜む、王の憐れみの心、人であれば万人が持つであろう仁徳を、王自身の言葉で明らかにさせるている」

 

7−9、曰:「王無異於百姓之以王爲愛也。以小易大,彼惡知之?王若隱其無罪而就死地,則牛羊何擇焉?」

 

孟子はいう、王よ、吝嗇と噂した心なき者を責めてはなりません。結局は、小さな羊を大きな牛の代わりに生け贄としたことには変わりはありません。

誰が、王の慈悲の心、憐れみの心を理解出来ましょうか。

一つ、お伺いしますと、罪なき生き物を王が憐れんだのであれば、羊も牛も罪なき生き物には変わりません。どうして羊を牛の身代わりにと命じられたのですか。

 

「ここで、目の前の孟子こそ王の慈悲の心、憐れみの心が理解出来る、王の味方であると孟子は高らかに宣言する。

そして、更に宣王を手のひらで転がすべく、心通じた仲を試すが如く、質問する。

勿論、答えは孟子の手のひらにあり、これは王自身(が気付いたかの様に)に発言させねばならない」

 

7-10、王笑曰:「是誠何心哉?我非愛其財而易之以羊也。宜乎百姓之謂我愛也。」

 

宣王はいう(笑いながら)、何故かな、牛一匹が惜しくて羊に代えた訳もなし。

まあ、結果的には安い羊を生け贄に捧げたのだから、心なき者が私を吝嗇と噂しても無理はない。

 

「ここで一旦、王の度量を示す場を提供する孟子、この場の主は宣王であると思わせる為にボールを渡して、再び主導権を孟子へ投げさせた」

 

7−11、曰:「無傷也,是乃仁術也,見牛未見羊也。君子之於禽獸也,見其生,不忍見其死;聞其聲,不忍食其肉。是以君子遠庖廚也。」

 

孟子はいう、(心なき者の噂など)お気にされることなどありません。

この件は、王の仁徳の広がりの一つと申せます。

迫りくる死に怯え啼く牛は、直接見られましたが、羊は見ていない、そこに尽きるだけです。

君子は、生きている生き物は見ても、死んだ姿は見ることはありません。その啼き声を聞いては、その肉は食べれないものです。

故に、君子は厨房に近づくことはないのです。

 

「ここで、儒学の『君子』を登場させる。そして宣王は『君子』であるかのように、一連の会話の答え合わせと、取り敢えずは満点を宣王に与える孟子

やはり孟子は只者ではない。

仁徳の広がりとは、元からあるから広がるのだ。前の梁恵王親子との差は段違いであるし、最初は褒めねば(撒き餌せねば)次に(釣り上げる)繋がらないではないか。

孟子と宣王との会話は始まったばかりだ」