四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百章(微子第十八)

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○日曜日の午後、8月13日、自宅

 

『過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。/ヴァイツゼッカー

 

「図書館で、戦中・戦後史の本をかりる、このお盆休みに腰を据えて読もう」

 

「思想は左右別れるも、戦争を繰り返すな、若い人はしっかりと勉強すべきだ、ここは一つで貫かれている」

 

#三行詩

 

『独裁者(ヒトラー)はいつも、偏見と敵意と増悪を(民衆へ)掻き立て続けることに腐心していたのです/ヴァイツゼッカー

 

「私たちは歴史に目を背けてはならない、自ら学び、判断する」

 

「一部の政治家、有名コメンテイター、人気ユーチューバーの発する言葉が思い浮かぶ、煽動者には注意すること」

 

#三行詩

 

○日曜日の午後、自宅

 

「戦中史を書いた書とは当然ながら著者の主観が過ぎる書が多い、思い、経験が重すぎて溢れ出ている」

 

半藤一利、昭和史(上・下)をAmazonで購入する」

 

NHK出版新書、太平洋戦争への道、半藤の後書きは『日本人よ、しっかりと勉強しよう』とある、枯れた感じが良い」

 

#三行詩

 

○日曜日の午後、自宅

 

「私は何者だろうか、吉田松陰先生に心酔する孟子原理主義者である」

 

「同様に、孔夫子の教えを学び、省み、実践する、中正の徳を望む者でもある」

 

「勉強が足らない、儒学は中途半端、祖国の歴史は疎い、せめて学ぶ者でありたいと思う」

 

#三行詩

 

○日曜日の午後、森

 

「日本中、誰もが望まない対米戦争を進めた参謀本部、戦犯リストにも名を連ならない戦後のエリート達」

 

「戦中史とは謎だ、非論理的なロジックで詰まる」

 

「マスコミの浮薄報道にも一因はあれど、そうさせたのは誰か、鵺の如き得体が知れぬ集団が歴史に潜んでいる」

 

#三行詩

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山下奉文大将という人を軸に、戦中史を追いかけた、非難等あるは否定しない、しかし私は人物だと思う」

 

「有能であり潔い、敗戦の将なれど言い訳はせず、その死を受け入れた」

 

「戦争や軍人を賛美しているのではない、職業に徹した日本的美意識に感動した、歴史は学ぶべきだと思う」

 

#三行詩

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「一方、もう一つの軸、東條英機という人は、未だ捉え難い」

 

「悪人という人が多い、しかし一部には自分の立場を理解して国の為に悪人を演じたという人もいる」

 

「判断は、半藤一利、昭和史を読んでからと思う、自ら考えねばならない」

 

#三行詩

 

○月曜日の夕方、ウオーキング

 

子路従いて後れたり。丈人の杖を以て條を荷えるに遇えり。子路問いて曰く、子、夫子を見るか。丈人曰く、四体勤めず、五穀分かたず、孰をか夫子と為さん。その杖を植てて芸る。子路拱して立つ。子路を止めて宿せしめ、鶏を殺し黍を為りてこれに食らわしめ、その二子を見えしむ。明日、子路行きて以て告ぐ。子曰く、隠者なり。子路をして反りてこれを見せしむ。至れば則ち行る。子路曰く、仕えざれば義なし。長幼の節、廃すべからざるなり。君臣の義はこれを如何ぞそれ廃すべけんや。その身を潔くせんと欲して大倫を乱る。君子の仕うるや、その義を行わんとするなり。道の行なわれざるや、已にこれを知れり。微子七」

 

子路、孔夫子一行から遅れて、離れてしまう。道で杖に竹かごを掛けている老人と会う、子路はいう、孔夫子を見かけられませんか。老人はいう、身体を動かして働いたこともなく、五穀の見分け方も知らない人を、どうして夫子(先生)と呼ぶのか。老人は杖を地面に突き刺し、草刈りを始める。子路、手を胸の前に組み、答えを待ち続けた。老人、子路を引きとめ、その日は老人の家に泊まらせる。鶏を捌き黍飯を炊いてもてなし、二人の子どもとも引き合わせた。翌日、子路が孔夫子に追いついてそのことを話すと、孔夫子はいわれた、隠者であろうな。」

 

「そして、子路にもう一度戻り、話を聴くようにいわれた。子路、再びその家に着くも、老人は不在であった。子路、老人の二人の子に言葉を遺す。人であれば世に出て君主に仕えねば君臣の義が廃れましょう。長幼の序を重んじて、どうして君臣の義を捨てることが出来ましょうか。ご老人は、(隠者として)世の中から身を潜み、一身を清潔に保たれておられますが、その賢者としての能力や才能を天下の為に用いないとは、大義に背くことになりませんか。君子が仕官するとは、天下の苦しむ民を救う、大義を全うするためです。今の世の中、正しい道が行われていないことは明らかです」

 

#論語

 

○月曜日の夜、自宅

 

「山川出版、日本戦後史、読了する、チャート式含めて、世界史・日本史の通史は読み終える」

 

「戦後史は岸信介佐藤栄作の両首相を軸に再度、良書を探そう」

 

「今の立ち位置はクリアーになりつつある、あとは、もう一つの物差しを何にし、どう自らの内に作るのかだ」

 

#三行詩

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○火曜日の夕方、ウオーキング

 

「台風直下、樹々がへし折れていた、道は落ち葉や枝が積もる」

 

「安定のマクド、台風でも開いていた、妻と子に買って帰ろう」

 

「そろそろお盆休みも終わる、身体も心も調整に入らねば」

 

#三行詩

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○火曜日の夕方、マクド

 

「逸民は、伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連子曰く、その志しを降さず、その身を辱めざるは、伯夷・叔斉か。柳下恵、少連を謂わく。志を降し身を辱めたるも、言は倫に中たり、行は慮に中たる、それ斯れのみ。虞仲、夷逸を謂わく。隠居して放言し、身は清に中たり、廃は権に中たる。我則ち是に異なり、可も無く不可も無し。微子八」

 

「古来、隠者として名高いのは伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連がいる。孔夫子はいわれた、その中で志を高く保ち、その身を潔癖に守ったのは、伯夷・叔斉だ。一方、柳下恵・少連は比べると、志は下がり、その身は辱めを甘んじた。しかしその言葉は義の道に適い、行いも思慮のあるものだ。」

 

「それは素晴らしいものだ。さらに虞仲・夷逸を比べると、彼らは世を捨てて自由な言論を行い、自らの身を清潔に保ち、隠棲の方法も程よいものであった。そして、私は彼らとは違う。道理に沿って、主君に仕えるべき時には仕え、仕えるべきでない時には仕えないのだ」

 

論語

 

○火曜日の夜、自宅

 

「元老が運用する為の明治のシステムのまま昭和時代を迎えたギャップに苦しむ東條英機を描く」

 

東京裁判での潔い態度しかり、長所・短所定まらぬも、私利私欲のない東條に著者は同情すら感じている」

 

「日本の戦中は全て悪だった史観の本(私たちの世代はこう教育された)より、1944年と東條英機の二点に絞り、より現実的に功罪を描いた本書と著者に好感を抱く。そして戦中史は兎角扱いが難しいなと改めて思う。戦争は二度と繰り返してはいけない、故に史観から解放された検証も今後必要ではないか」

 

#三行詩

『一九四四年の東條英機 (祥伝社新書)』

 

○水曜日の夜、自宅

 

「通年の通り、終戦の日は、正午と夜にひたすら般若心経を唱える」

 

「今年は、何故こうなったのか、終戦の日に向けて関連する歴史の本を読み、考えた」

 

「偉い人の言う事、書いた事を信じるのでは危うい。自らどう思うのか、自ら学び、省みることが重要である。自国の歴史に不勉強ではいけない、道徳と歴史は正しく学び、継続しなければならない。詩人、茨木のり子さんの『倚りかからず』という詩を若い頃に読んで素直に感動する、強さと優しさに溢れている。戦争を体験した詩人の言葉は重く、心に響く。そう、何物にも倚りかかってはいけない、自ら考えることだ、私たちは二本足で立たねばならない」

 

#三行詩

『太平洋戦争への道 1931-1941 (NHK出版新書 659, 659)』

 

○水曜日の夕方、ウオーキング

 

「大師摯は斉に適く。亜飯干は楚に適く。三飯繚は蔡に適く。四飯缺は秦に適く。鼓方叔は河に入る。播トウ武は漢に入る。少師陽・撃磬襄は海に入る。微子九」

 

「魯国が衰えとき、周王朝から伝わる礼楽は散逸してしまう。楽師長の摯は斉に、第二の演奏者の干は楚に、第三の演奏者の繚は蔡に、第四の演奏者の缺は秦に、太鼓の演者の方叔は黄河流域に、第一の演者の陽と石の楽器の奏者の襄は渤海沿岸に赴いてしまったのだ」

 

「古来から伝わる魯国の礼楽は、こうして奏者と共に国中に散らばり、それぞれの国で伝わることとなった」

 

#論語

 

○水曜日の夕方、森

 

「子は午後から塾へ、妻は体調不良で昼一に帰宅、コロナの影響らしい」

 

「コロナ療養含めた長い盆休みも今日で終わる」

 

「スティング『Englishman in New York』を聴きながら森を歩いている」

 

#三行詩

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○木曜日の朝、通勤

 

「周公、魯公に謂いて曰く、君子はその親を施てず、大臣をして以いられざるを怨ましめず、故旧大故なければ、則ち棄てざるなり。一人に備わらんことを求むることなかれ。微子十」

 

「かの周公旦は、子の魯公(伯禽)にこういわれたのだ、君子は親族のことを忘れず、家老に用いられないからといって怨むことなく、古い縁故のある人は大きな過ちが無ければ見捨てることなく、一人の人間に完璧を求めてはいけない、と」

 

「周公旦は魯に封じられるも、天下は今だ乱れていたので魯には赴かず、中央で政にあたり、息子の伯禽に魯の政を任せた」

 

#論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「コロナ明け、体重が3kg落ちていた、味覚障害か、ご飯が美味しくない」

 

「駅、電車も混んでいる、ずらした帰省組み(家族連れ)を多く見かける」

 

「冷や汗、まだまだらしい、ぼちぼち行こう、さっそく人混みに酔っている、臭い、暑さ、やれやれ」

 

#三行詩

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○木曜日の夕方、通勤

 

「周に八士あり、伯達、伯适、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季随、季カ。微子十一」

 

周王朝には優れた人が八人いた。伯達、伯适、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季随、季過という」

 

「どのような人物であったか伝はないが、名前から長男から四男までの双子が二組となり、瑞兆として記されたのかも知れない」

 

論語

 

○木曜日の夕方、乗り換え

 

「いつも通りの日常に戻る、コロナ後遺症少しあり、身体が怠い、鼻声」

 

半藤一利、昭和史(戦前・戦後)来たる、今夜も寝不足にならぬように程々に読もう」

 

「妻、体調戻らず、帰りにほか弁を買って帰る予定、野菜をどうするか考えている」

 

#三行詩

 

○木曜日の夜、

 

「古本ネットで買った、昭和史(戦前)来たる、中に塩尻駅の入場券あり」

 

「長野県は行ったことがない、松本駅から一駅らしい、松本城はいつか行きたいと思う」

 

「29.4.15.14:11の時刻が刻まれている、一寸、どんな背景・人物がこの切符をこの本に挟んだのだろう、気になる」

 

#三行詩

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○金曜日の朝、通勤

 

「子張曰く、士危うきを見ては命を致し、得るを見ては義を思い、祭には敬を思い、喪には哀を思わば、それ可ならんのみ。子張一」

 

「子張はいう、有徳の士とは、危険を見れば命を省みず、利益を見ればそれが正しいか否かを考え、祭祀に当たっては敬虔な態度をとり、服喪では死者に悲しみを感じる。これで良いのだ」

 

「これで良いのだ」

 

#論語

 

○金曜日の朝、乗り換え

 

「人を押し退けて電車内を移動する人あり、毎回スマイルだ、不思議」

 

「車内は混み合っている、通勤人と観光客の落差、甚だしき哉」

 

「少し早く乗り、接続待ちの車内で仮眠する、この数分でだいぶん違う」

 

#三行詩

#だいぶん

 

○金曜日の夕方、通勤

 

「子張曰く、徳を執ること弘からず、道を信ずること篤からずんば、焉んぞ能く有りと為さん、焉んぞ能く亡しと為さん。子張二」

 

「子張はいう、徳を守って道を歩まず、道を信じて誠ではない。居ても居なくても、どうでもよい人だな」

 

「学問の道とは、学ぶ、省みる、実践する。自らを誠に出来ず、人を思いやることが出来なくて、なんの学問の道であろうか」

 

論語

 

○金曜日の夕方、乗り換え

 

「仁徳とは広げるものだ、最初に家族の為に誠となり家族を思いやる」

 

「次に兄弟、友人、近所、会社、地域‥と広げる」

 

「国会議員とは、国や日本人まで誠を広げなければならない、至難の業だし、広げた人は限りなく少いが、斯くあってほしいと思う」

 

#三行詩

 

所感)

新型コロナウイルス陽性

2日間程高熱で寝込む。味覚障害もあり。お盆休みは台風もきたしほぼ寝ていた。

お盆前、発熱がなかったので出勤するも、ウイルスを撒き散らしたようで同じ職場の同僚も陽性に。

当然ながら妻と子も陽性、別に自分が悪い訳ではないが、兎角きつい視線を浴びる。

 

■金曜日の夜、サイゼリヤ

子の14歳の誕生日故に、ささやかながらも外食へ。

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お祝いに白ワイン(弱発泡)、ドン・ラファエルを注文する。良く冷えており、とても美味しかった。

妻、コロナ後遺症により途中で帰る。