○日曜日の夜、9月22日、自宅
❖ 聡明のあるべき姿
可謂明也已矣、顔淵六
(子張から聡明さを問われ、水が染み込むような讒言や、身を切るような虚言に騙されない人こそ)聡明といえるだろう。
「聡明を夫子は定義されたが、あくまで『何ごとも過ぎる』子張の為の言葉、教育であり、万人に述べた教えではない、子張の仁だ」
#論語
○日曜日の夜、自宅
❖ 令和の論語
「儒学ブログで検索すると、建前、教科書のような綺麗事を述べているブログを散見する」
「美しき綺麗事をいう孔夫子の言葉に鳥肌が立つ、誰だろう、この人は」
「プラスチック製の人の温もりがしない、血の通わない夫子の言葉くらい不気味なものはない、令和版『戦陣訓』とさえ感じる、上から目線の論語くらい、人を不快にさせるものはない、違う、夫子の言葉とは常に父のように厳しくも暖かく、人を仁で包みこむようでなければならない」
#三行詩
❖ 教育の本質
「夫子の教えとは、人を育てる、個性を開花させるものあり、かの忌まわしき戦陣訓のような、人を何かで縛り矯正し、同一化を美化する、強制させることはあり得ない」
「主体的に自らを考える、省みる、改めるのが夫子の教えの眼目だ、『凡庸な悪』的な著者のあるべき論を押し付けて、何の為の論語教育だろうか」
「子路、伯牛、閔子騫、宰我、子貢、冉有、顔回、子夏、子游、仲弓、全て個性溢れかえる高弟ばかりではないか、残念ながら論語読みの論語知らずは、あちこちに居ると言わざるを得ない」
#三行詩
❖ 論語教育の今、多様性と創造性こそ
「論語を学ぶとは、白文、書き下し文、現代語訳を学び、省みて、自らの仁、答えを生み出すものだ」
「識者の『見解』は確かに学識に基づいた見事なものではあるが、それは識者のものであり、他人に強制させる類いのものではない」
「学問の世界、儒家と自称する先達の人たちとは、どうしてこう閉鎖的で、多様性を認めない、文字の獄人なのだろう、もはや論語教育とは素読で十分な気がする、高名な識者の(素晴らしき)回答が世の中に溢れかえり、論語が用を成していない、後人の学ぶ機会を奪っている」
#三行詩
❖人間を育てる
「個の多様性を認める、創造性を育てることこそ夫子の教えであり、現代に君子が生まれる可能性を秘めている」
「野蛮人を育てるのではない、父母からの慈愛を広げ、礼節を尊び、自らに対して義を向ける、あとは個性の開花だ」
「これは、他の道徳や学問では学び難い、儒学の十八番とするところだ、幕末から明治にかけて、吉田松陰先生、高杉晋作、西郷さん、等々数多の人財は儒学から輩出されたではないか」
#三行詩
❖儒学が問うもの
「勿論、儒学にも悪しき側面はある、封建的、或いは保守的であるとの批判は否定出来ない」
「しかし二千五百前の人なのだ、文字の獄に囚われてはならない、孔夫子、孟子の主旨は、そこではない」
「過去は阿るものではない、温故知新でなければならない、封権的、保守的な側面を持つも天才朱熹の朱子学は当時は革命的であった、そして現代は想定していない、故に現代は現代にあった儒学を生み出せば良いのだ」
#三行詩
○月曜日の午前、自宅
❖加地先生の儒教論
「大先生でありながらも文中からは気さくなお人柄とアカデミックな薫りが伝わってくる」
「論理的説明、且つ文献の紹介も多く、数学の授業を受けているかのような感覚で儒教を学べる、良書と思う」
#三行詩
○月曜日の夜、自宅
❖ 歪む宗教
「宗教、という言葉こそ難解なものはない」
「古代からの祈祷・呪いに始まり、現代では無差別テロ、更には国会議員の集票まで、解釈が広過ぎる」
「本来の宗教とは、絶対的な死とどう向き合うのか、或いは個(及び共同体)の過去・現在・未来の連なり(存在の共有化)をいう、しかし今日、これらが薄れる一方に思う」
#三行詩
❖本質とは
「これまで儒学と儒教は似て非なるものとしてきたが、間違いであると気づく」
「宗教の本質(死と向き合うこと)とは学問の道(どう生きるか)に通じるものだ、儒学と儒教、全てを同根せねば孔夫子の教えは遠い」
「論理的思考にて物ごとの本質を知るのが夫子の教えではないか、儒教の所作一つに時代を超えた夫子との接点が見つかるかも知れない」
#三行詩
○火曜日の朝、通勤
❖ 子張への教え
浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂遠也已矣、顔淵六
(子張に聡明さを問われ、孔夫子はいわれた)水が染み込むが如き巧妙な悪口、讒言や、身を切る様な切実を装った嘘を行わない、騙されない、聡明であり遠くを見通せる人物といえる。
「最後にもう一度、同じことを繰り返され、『可謂遠也已矣』と、明(聡明)を遠(見通す)に変えられた、夫子は聡明とは遠くを見通せる人物であると述べる、何ごとも過ぎたる子張に足らないことは遠であり、聡明さを鼻にかけてはいけないと教えられているのだ」
#論語
○火曜日の朝、乗り換え
❖ ジタバタ
「死とは生きれば生きるほ苦しくなるものです、と、東洋思想の大先生はいわれた」
「生と死、生が長ければ、死の重圧も膨れ上がる一方らしい、長命であった一休さんも死の前には『死にとうない』といわれたとか」
「出勤前に亡父の遺影に『行ってきます』と語りかける、遺影に映る父の顔を見ては自らの死を重ねる、妻子生きている限り無様で恥をさらそうが生き延びてやる、ジタバタするのが十八番だ」
#三行詩
○火曜日の夜、自宅
❖ 生き方の選択
「自らを飾り、高みに居るが如き言葉行いをする人物を私は嫌う」
「何様か、と」
「現場主義で生きてきたからか、違う、人の傲慢さが心底嫌いなのだ」
#三行詩
❖ 企業という城
「日本のブラック企業で働くとはある意味、封建社会で生きることと変わらない」
「ご恩と奉公、社長一族に代々仕えるのだ」
「世襲制で何ら能力、経験もない人物が横柄な態度で王が如く振る舞う、まさに高慢と偏見」
#三行詩
❖ 正義とは
「縮図でもある、裏金まかり通る政治の世界しかり、道徳なき輩が君子を自称し、富と権力を握り続ける」
「やはり孟子は必然か、弱い者、一人一人が日和見せずに立ち上がらねばならない、政とは民の幸せの為にある」
「為政者が不仁であれば石を打ちて他国へ追い払う、そこはローマ時代に見習っても良いのではないか、本気でそう思う」
#三行詩
○水曜日の朝、通勤
❖ 政の真髄
子貢問政、顔淵七
高弟の子貢、政を問う。
「孔門三千人と例えられしも、その才能、後の華々しき政、外交での活躍、商才も長けて富豪でもあった、等々世に知られた人が子貢だ、その才、弁、師を越えると度々評されるも、都度、足元にも及ばないと否定している。
その子貢が夫子に政を尋ねる、子貢への教育というよりは、この場合は孔門として最高レベルの政の眼目を尋ねていると等しい」
#論語
■お知らせ
最近、文章が長いので、(試みに)水曜日までの書き溜めた文で前半として公開し、週末にもう半分を加え、週2回ペースでブログを公開して行きます。