四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩No.151 (顔淵第十二②)

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○日曜日の午前、9月15日、自宅

 

❖ 君子とは何か

 

君子何患乎無兄弟也。顔淵五

 

(子夏はいう)君子とは仁徳に基づき、公正無私の視点で大義に生きる者です。どうして、自らの兄が陸でもないことを心患う必要がありましょうか。

 

「司馬牛の心情を省みれば、非道な行いを繰り返す兄を止めれない、改めさせることも出来ない自らを責めている、とも解釈出来る。

この視点で牛が問うた仁とは、君子とは、との孔夫子との問答での答えを省みると、夫子は自らを責める牛を改めさせようとしていることが伝わってくる。論語とは深いものだと改めて思う。」

 

#論語

 

○日曜日の午前、自宅 

 

❖ 雇用という名の鎖

 

「解雇規制緩和で得するのは企業や経営者(から献金を受ける世襲政治家)だ」

 

「言葉を飾り立てても、従業員を容易に解雇できることに変わりない」

 

「弱者である労働者は、今の派遣労働問題に加え、さらなる不安定な雇用環境に置かれることになる」

 

#三行詩 #亡国論

 

❖ 仮面の下の素顔

 

アメリカナイズされた世襲政治家が、本国に近づくべく自称改革の声を上げる」

 

「日本国としての歴史(積み重ね)、伝統文化や自立性を喪失させる諸々の政策を、改革と唱える彼ら(彼女ら)は、日本人の皮を被ったアメリカ人としか思えない」

 

アメリカ人になりたいのであれば、代々貯めた莫大な資産と共に本国へ帰ればよい、代々国民の生き血を吸ってきたアメリカナイズした世襲政治家こそ、この国の闇、選民思想の差別主義者に他ならない」

 

#三行詩

 

○日曜日の午後、喫茶店

 

❖ 善悪の彼方

 

「逆説的に述べれば『市民』アイヒマンの裁判とは、人間とは何か、を世界に問うことになる」

 

「カント哲学の実践者と自称する彼は、自らの死を迎えるその時まで、ヒトラー思想に忠実な、有能、且つ善良なる官僚であったという事実に世界は驚愕する」

 

「暴虐の魔王の使用人、といった風貌、性格など皆無であり、哲学を愛する教養のある市民が、数百万人のユダヤ人を強制収容所への移送した責任者であった事実は、人間の善悪、言い換えれば、人間とは何かを、彼の処刑後も世に問いただしている」

 

#三行詩 

 

❖ 歴史が問う哲学

 

「人間とは何か、人間の善悪の境とは何か」

 

「社会全体が悪で、1%が善なら、どちらが善で、どちらが悪になるのだろう」

 

「多数決で善悪は決めれるのだ、もしナチスが勝った未来ではアイヒマンは英雄だろう、善悪とは紙一重、人間とは紙一重の道徳観で生きている、ことを今だに否定出来ない」

 

#三行詩

 

❖ 不変の道

 

「子曰、爲政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之。論語 為政一 」

 

「孔夫子はいわれた、仁徳を以て天下の政を行うとは、例えれば、天下の国や民、全天の星々が、仁徳の君子、北極星の周りを巡るようなものだ」

 

「一方で儒学は、善悪の境を多数決に求めない、北極星のような絶対善=仁徳を以て、道徳倫理にぶれがない。

古代中国、儒教的側面という非科学的一面はあるとしても、そこにはアイヒマンは存在しない。

何故なら仁徳とは父母の慈愛を根本とし、民族を問わず人間であれば共有出来る概念であるからだ」

 

#三行詩

 

❖ 人間の条件

 

アイヒマン裁判で何が衝撃的であったか、アイヒマンが普通の市民であったからだ」

 

「人とは何か、人を形づくる善悪の基準とは、高度な近・現代哲学理論を駆使した、或は汎神論、等では、人は恐るべき悪になりうる、数百万人を虐殺した犯罪組織の幹部は、普通の市民であったのだ」

 

「人とは何か、人の善悪を決めるのは道徳だ、絶対善とは抽象的には神であるが、その神の為の聖戦、戦争は現代で根強く残っている。

やはり、より原始的な善悪、人が生まれ出て最初に触れる善、父母の慈愛こそ絶対善にするに相応しいものは他には見られない」

 

#三行詩

 

❖ 思想の交差点

 

「西洋哲学は、普遍的理性、人類愛、相互理解、ヒューマニズムを善とする」

 

「しかし、蓋を開ければ惨憺たる有り様ではないか、人のヒューマニズムこそ不確かで曖昧なことはない」

 

ヒューマニズムは風呂敷を広げ過ぎている。

論語孟子に帰れ、とまでは行かずとも、ヒューマニズムの原点である父母から受けた慈愛、一つに集中すべきだ。

東洋思想、孔夫子の教えの普及こそ、人間である、人間を人間らしくする黄金律といっていい」

 

#三行詩

 

❖ 異なる言葉、同じ願い

 

「聖書にこうある『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい』(マタイ7章12節)と」

 

論語にもこうある『己の欲せざる所は、人に施すなかれ』(衛霊公二十四)と」

 

「これは手段を述べている、ここが目的ではない。

目的を達成する為に(主体的に)手段を実践するのだ。

孔夫子の目的とは、自らの仁徳を広げる、自らを誠にする、人を思いやる、周囲に仁徳を広げる(学問の道)、そして戦争や飢饉のない天下泰平の世の中を実現することにある」

 

#三行詩

 

○日曜日の夜、自宅

 

❖ 小さな一歩

 

「失望する人はいる、権威に阿る、大先生に阿る、過去に阿る人だ」

 

「主体性を捨て、お上の云うことに平伏し、弱者にそれを強制する人だ」

 

「私は弱者である、しかし自らを捨てようとは思わない、拙くてもいい、一つ一つを積み重ねれば何かにはなるはずだ」

 

#三行詩

 

○日曜日の夜、自宅

 

❖ 変容の過程

 

「自己肯定感の低さとは、私の数ある欠点の一つではある」

 

「お陰様で反骨精神の源と成り得ているが、同時に依然として弱点でもある」

 

「今、このような文章を書いていること自体が、この欠点のおかげであり、プラスへと昇華すべく勤しんでいるが、どうやら私は(この歳になっても)褒めて欲しいらしい」

 

#三行詩

 

❖ 哲学の問い

 

「自己肯定感の低さとは、幼少時から学業不振、頭の良い方ではなかったことや中学の時に(教師も含めた)陰湿なイジメの対象になったこと、三十年を越えてなお患うアトピー性皮膚炎にある」

 

「何れも好きでなった訳ではないが、自らに起きたことからは、逃げはしない」

 

「今、心乱れずにこう書けるにはそれなりの人生経験を積んできたからである、そしてこの自己肯定感の低さが、人とは何か、善悪とは何か、正義とは何か、を考えさせる源ともなっている」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、自宅

 

❖ 人間の闇

 

全体主義の対象を、国家民族のみとすることに違和感を覚える」

 

「会社や学校で起こる集団イジメや組織的なハラスメントも根本に同じ臭いを感じる」

 

「ある意味、対象にされるのは(次は)自分かも知れないという恐怖は共通している」

 

#三行詩 

 

❖ 道徳の崩壊

 

「凡庸な悪とは、ナチス・ドイツにのみ存在したのではない」

 

「日本の、世界の、学校や職場、議会にもアイヒマンは大量に存在する」

 

「驚くべきことに、この世界は凡庸な悪で満ちている、良き生徒良き先生良き社員良き管理職良き経営者、そして良き国会議員、皆アイヒマンを内包しているのだ」

 

#三行詩

 

❖ 仮面の社会

 

「私たちは凡庸な悪で満ちた世界で、善人の仮面を被って生きている」

 

「皆、自身の内なる善(父母からの慈愛)を押し隠し、社会的善なる仮面を被っている」

 

「この善とは七色に変化し、犠牲者、生贄になりたくなければ、様々な仮面を被らなければならない、現代とは善の全体主義社会なのだ」

 

#三行詩

 

❖ 歴史の繰り返し

 

「では全体主義を派生させる要因とは何か」

 

「集団である、目的の下に集まっている、格差を奨励される、権威と底辺に二極化される、そしてその集団自体にも圧力がかかっている」

 

「圧力とは何か、生贄文化が頭によぎる、権威を権威足らしめる為に社会は本質的に生贄を求めている、現代もこの圧力は変わらない。

事例は近・現代史にこそ(ヒトラースターリンポル・ポト等々)事欠かない。

いわば私たちの社会はマヤ文明から内質的には進化していない、古代人が仮面を被りスーツを着て高層ビルを歩き回っているに過ぎないのだ」

 

#三行詩

 

○月曜日の午前、散髪屋さん

 

❖ 思考の爆発

 

「三連休の最終日、ついに思考することの底が、何か音を立てて抜けてしまった」

 

「哲学、倫理、社会、歴史、等々の視点を絡ませて現代社会の問題点を儒学的に考察することが(中身はどうであれ)私の持ち味らしいが、考えることが多すぎる」

 

「常に何かを思考している、心躍れば書かざるを得ない、止まらない、バーストしだした」

 

#三行詩

 

○月曜日の午後、喫茶店

 

❖ 巧妙な支配

 

「個を、共同体である国家に取り組み国家という共同体の為に生きるべく教育する」

 

全体主義とは、戦後を契機として実際には、より巧妙な手法で世界に広がる一方ではないか」

 

「大衆の願望が合法的な手段でヒトラースターリン、独裁者を生み、戦後、独裁者が退場した後にも、国家が独裁者の手法を引き継いだのだ」

 

#三行詩 

 

❖ 見えない鎖

 

「現在、個は国家に隷属する、税金を納める、(世界の64カ国が)徴兵に応じる、国民の義務を課せられている」

 

「その代償に国家は個を庇護し、安全を保証する、人権を認める」

 

「しかし、取り組み方がハード(独裁政権、強制統治)からソフト(情報操作、洗脳)に変わっただけで、世界中の個が国家に隷属している状況に変わりはない」

 

#三行詩

 

❖ 儒学の終焉

 

「新しき世界では、孔夫子の教えである父母の慈愛(忠恕)から、人間が人間である為の基本形である仁・礼・義・智は過去の遺物とされた」

 

「新たに国家への貢献が第一とされ、生産性を上げる、競争を是とした納税義務が当たり前の、効率化された社会が実現され、人間は国家のパーツとなる」

 

「そして現代の秩序正しき世界のパーツであるaristotles200は、儒学を学び、この世界に初めて違和感を覚えた。

働き蟻として育てられ共同体の為に働くことは必ずしも真理ではなく、一つの強制された選択肢に過ぎない。

実は今の世界は、民主主義の皮を被った全体主義社会ではないか、と」

 

#三行詩

 

❖ システムの奴隷

 

「同時に、情報操作された世界で生きる鉄則を思い出す、馬鹿なことだ、私は映画マトリックスの主人公、Mr. Andersonではない」

 

「妻子がいて、職がある、あと12年働けば定年退職、妻と過ごす老後が待っている」

 

「変わるには私は老い過ぎている、この効率化された秩序正しき世界で、一つのパーツとしての人生を終えるのだ」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、雨、通勤

 

❖ 聡明さの落とし穴

 

子張問明。顔淵六

 

子張は問う、聡明であるとは、どのようなことですか。

 

「子張は才が高く、意が広く、門戸を張って、人の感情などに拘らない。

『過ぎたるはなお及ばざるが如し』先進十五では、夫子から『過ぎたる』と評された。

自己中心的傾向の強い人物。夫子の門下は個性的な人物が多い」

 

#論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

❖ 哲学の旅

 

「カント入門 (ちくま新書 29)をAmazonで購入する」

 

岩波文庫青帯のカントは揃えているが、入門から学び直そうと思う」

 

「当然ながら儒学の仁徳とカントの道徳律との比較を行う、目的の有り無しでやる気も違う、楽しみだ」

 

#三行詩

 

❖ デジタル時代のアナログ

 

「幼少期はスマホファミコンもない(アポロ14号が月に到着した年に生まれた)」

 

「内向的な性格は昔からで、大好きなレゴブロックで何かを作ってはご機嫌さんの子供だった(二つ下の妹に『作品』を壊されては泣いていたが)」

 

「今、ブログ作成がレゴブロックのように思う、あれこれ言葉を組み立てて何かを作る、幼き頃の遊び心を取り戻したかのように、楽しくて仕方がない」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、通勤

 

❖ 言葉の力、闇と光

 

浸潤之譖、顔淵六

 

(子張から聡明であることを問われ)水が染み込むが如き巧妙な悪口、讒言(を行わないこと、乗らないこと)

 

ナチスゲッペルスは、『嘘も百回言えば真実となる』という言葉を残している」

 

#論語

 

❖ 偽りの仮面

 

「世の中、悪に学ぶ人の何と多いことか」

 

「対象は、常に社会的な弱者だ、水の染み込むが如く巧言令色を繰り返す」

 

「貴方の苦しみに共感する、私は味方だ、と最初に白馬の騎士となる、次に救いを説く、貴方だけに紹介している、皆救われている、私は世界を良くしようしている善人だ、と繰り返す」

 

#三行詩

 

❖ 善悪の選択

 

「君子は及ぼすものだ、直接的に救いはしない(例えば青い服に赤いマントは羽織らない)」

 

「一方、悪人は常に弱者に寄り添う、甘い言葉と搾取は等交換だ」

 

「悪は世の中に蔓延している、故に自らの仁を広げる、及ぼすのだ、善とは自らが成るものであり、他人の善とは本人限定であることが多い」

 

#三行詩

 

○水曜日の午前、一休み

 

❖ 道徳の崩壊

 

アーレントのいう凡庸なる悪を週末にかけて考察した」

 

「ならば、世の中に溢れかえる弱者を虐げる悪とはなんだろうか」

 

「悪とは利己主義であり、非道徳主義である、さらに合理的且つ効率的な思考、行動を伴うものだ」

 

✳三行詩

 

❖ 道徳の問い

 

ソクラテスは、悪は知らず知らずのうちに犯すものとした」

 

「カントは、自己の利益や感情に基づいた行為を悪とした」

 

サルトルは、人間は自由な存在であり自由故に悪を行うとした」

 

#三行詩

 

❖ 普遍的な問い

 

「古今の大哲学者が、悪という存在、現象を否定出来ない」

 

「もはや人は悪である、少なくとも悪を内包することは否定し難い事実であると認めざるを得ない」

 

「弱者を虐げる悪を紐解こうとしたが、人そのものが悪なのだ、という起点から儒学と比較していきたい」

 

#三行詩

 

❖ 儒学の答え

 

「人とは悪である、との起点に対する儒学の返答は、人とは目的に向かって歩み続ける存在であり、それを見失えば手段として悪に陥ると説く」

 

「学問の道(目的)を歩まぬから私利私欲、目耳鼻口腹の欲望ままに人は悪(手段)に走るのだ」

 

「学問の道とは、忠恕(自らを誠に、人を思いやる)であり、先王の教えを学ぶ・実践する、言い換えれば自らの仁徳を広げる・周囲に広げることだ」

 

#三行詩

 

❖ 不仁の時代

 

「ここで本来の命題である、いじめ、差別、搾取、詐欺、悪徳商法、脅迫といった、弱者を虐げる悪とは何か」

 

儒学であれば、欲望のままの行いは悪だ、弱者を虐げる悪も多様化した悪の一形態にしか過ぎない」

 

「弱者を食い物にする悪とは、枝葉であり、人そのものの道徳性が希薄になっている。

人が学問の道(目的)を捨ててしまったことが多様化した悪に溢れかえる社会、来たるべき不仁の世界(手段)をもたらしたに過ぎない」

 

#三行詩

 

❖ 正義の実現

 

「では、弱者を虐げる悪に、どう対処するのかは儒学では孟子が答えてくれる」

 

孟子易姓革命を是とする、仁をそこない、義を破るような輩は(君主であろうが)、もはや人間ではない、畜生と同じだ、畜生を放伐(討伐)するのに何の遠慮があろうか、と」

✳四端録 三行詩42章より抜粋

 

「そして天命を待つのだ、悪相手に自らが傷つく必要が何処にあろうか、必ずや成敗の時は来る」

 

#三行詩

 

❖ 美しき世界

 

「悪のない『美しき世界』という理想を実現出来得る思想に、孔夫子の教え、儒学がある」

 

「学問の道を歩み、仁徳を世の中へ及ぼす、一方で弱者を虐げる悪人は人間を否定をし、人を噛む畜生のように扱う」

 

「現代哲学は、全てを包み込もうとして悪の存在を持て余している様に思う、むしろ是々非々を明確にした儒学こそ、『美しき世界』へと人を導くのではないか」

 

#三行詩

 

❖ 儒学の理想

 

「ならば、儒学の述べる『美しき世界』とは何か、先王の教えのもと、自らが主体的に考える多様性を認める世界に他ならない」

 

吉田松陰先生は『新しき世界』を前にして幕末の動乱期に処刑され、西郷さんは『新しき世界』、明治維新を成し遂げるも、やがてはその世界にも失望し西南戦争で命を落とされた」

 

「宗教的に一律化された天国が『新しき世界』でない、孔夫子(儒学)の述べる新しき世界とは、土臭く、家族睦まじく助け合う、家から地域へ地域から国へ、国から世界へ、仁礼義智信がお互いに満ちている、人間が人間らしく生きている世界に他ならない」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

❖ 身を切るような嘘

 

膚受之愬、顔淵六

 

(子張から聡明さを問われて)身を切る様な切実を装った嘘を(信じて行うことが無い)、

 

「悪人は同情心にもつけ込んでくる、貴方は幸せなんでしょう、私は不幸なんです、お金ください、必ず返します(直ぐに忘れる、また借りにくる、繰り返す)」

 

#論語

 

❖ 道徳のジレンマ

 

「困った人を助けるのが孔夫子の教えであるが、自業自得の者や、ペテン師、詐欺師を助ける(騙される)必要が何処にあろうか」

 

「しかし、夫子は幼なじみで礼を知らぬ原壌を(これも縁であろうと)助けた例もある」

 

「結局は窮地にある弱者(犯罪者でも)を知れば、何かしらの助けを行うのが夫子の教えであり、仁徳を看板として生きる者の義(自らの正しさの為に行うこと)かも知れない」

 

#三行詩

 

○木曜日の夜、森

 

❖ 時空を超えて

 

「森の中を走っている、星空を見上げて、巨大隕石で滅んだ恐竜の時代、現在、そして遥かなる未来を思う」

 

「数百万年、或いは数百億年のちには、ここいらも金星化しているらしい」

 

「時間軸は違えど、過去・現在・未来、この場所には変わりはない、恐竜が吠える原野を、暗やみの森の中を、灼熱の荒野を、私は走っている」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、通勤

 

❖ 子張の問いへの答え

 

不行焉、顔淵六

 

(子張が問うた聡明とは、との問いに対して、水が染み込むが如き巧妙な悪口、讒言や、身を切る様な切実を装った嘘を)行わない、行われ(騙され)ないことだ。

 

「聡明なる子張が騙されるはずはない、であれば夫子は、何事にも出過ぎる子張を暗に『不行焉』と戒めているのだ。才能に恵まれた子張は自己中心的なところから人から恨まれることが多かったのだろう」

 

#論語

 

○金曜日の夜、自宅

 

❖ 変わらないもの

 

「夕方、軽く梅田で呑み、古本屋さんへ、ロバート・A・ハインラインの『銀河市民』を見つけて即購入する」

 

立風書房刊、60年代SF風の表紙絵が良い、これだけでも買いだ」

 

「二十代前半、ハインラインは全作貪る様に読んだ、宇宙、勧善懲悪、成長物語、来たるべき自らの暗き未来を予想して胸の奥底に湧き上がる黒き絶望を意識しながらも、自らを主人公に投影して夢中になって読んだのだ」

 

#三行詩


○金曜日の夜、自宅

 

❖ 新たな視点

 

加地伸行先生の『儒教とは何か 増補版 (中公新書 989)』を紀伊国屋梅田本店で購入する」

 

「加地先生の本は初めてだ、出だしから興味深く、帰りの電車内でも読み耽る」

 

加地伸行先生は、孔夫子を儒教的側面から深く考察された現代の大家だ、一文字、一行、一章に目から鱗が剥がれるように感じるのは、他にこの切り口から説いた本を読んだことがないからかも知れない」

 

#三行詩

 

○金曜日の夜、森

 

❖ 生きること

 

「根本は怒りだ、世の中の理不尽、不公平、暴力、この世界そのものに対しての純粋な怒り」

 

「強いから毅いのではない、毅さとは覚悟と潔さ、万人が備えしものだ」

 

「存在を賭けて最後まで戦え、生ぬるく生きるな、しなやかさと、たおやかさと、そして鉄の意志」

 

#三行詩

 

■つれづれ、土曜日の夕方

茶店ちくま新書のカント入門を読んでいる。

入門にもかかわらず難解だ、唸る。

日本語で書かれている本なので、ぼんやりとは理解出来るが、この書を理解して変化した未来像が見えない、暗やみのままだ。

仮に、時間をかけてこの入門を読み終えたとしても、今の自分にプラスとなる箇所を見い出せない。

よって、カントさんの自画像と目次を精読したのち、書斎の本棚で再登場待ちとする。

 

■是々非々

家人に当ブログの批評をお願いした。

・家人B(妻)はいう、ChatGPT(AI)の育成画像はこのブログ合わないと思う。

・家人C(中三の子)はいう、(三行)詩に題名がないと意味がわからないよ。

 

是々非々は受け入れる、速やかに訂正したい。

直近ブログも徐々に訂正して行こうと思う。