四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

三行詩 第百三十六章(郷党第十②)

f:id:aristotles200:20240608183820j:image

○日曜日の朝、6月2日、ウオーキング

 

子見斉衰者、雖狎必変、郷党篇二十一

 

喪服を着た人を見れば、たとえどんなに親しき仲でも顔色を改めて慎まれた。

 

「死は万人に訪れる、避けがたい、故にその存在に怖れ、慎む。人の範疇を越えた鬼神に接するが如く、死の事実は事実で受け入れる、哀悼の意を示すも深入りはしない。孔夫子の教えは生者の為にあり、死者(ご先祖)には(祭祀で)畏敬と感謝を心から捧げる、のみで良い、と思う」

 

#論語

 

○日曜日の朝、森

 

「子、食欲に開花せり」

 

「弁当や牛丼は一つでは足らない、食後は菓子パンを、お菓子を口にする」

 

「料理好き故に、独り台所に立ち、妖しき匂いのするナニカをつくる、食べる、冷蔵庫がほぼ空に、実はナイアーラトテップの類いではなかろうか」

 

#三行詩 #妖神グルメ

 

○日曜日の夕方、ウオーキング

 

「Chicago、Hard to Say I'm Sorryを聴きながら森を歩いている」

 

「超ド田舎の中学生にとって夕方5時からのサンテレ、洋楽番組は世界への扉だった」

 

「当時買ったレコードがChicagoのこのアルバム、四十年の歳月を経て、アマプラMでも聴いている」

 

#三行詩

 

「五十三を越えてから、過去が現在と一つになる感覚に陥っている」

 

「半世紀の積み重ねが一つの個性を完成させたか、或いは新しい挑戦に疲れた老化現象か」

 

「どちらにしろ、過去を振り返るのも中々楽しい、当時の音楽や本は、鮮明に過去の記憶を呼び起こす」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

見冕者与瞽者、雖褻必以貌、郷党篇二十一

 

位冠をつけた人や目の見えない人に出会うと、その関係の親しきを問わず、礼法に則り、形を改められた。

 

「形を改めるとは、姿勢を正し、礼儀正しくお辞儀をする、周囲に凛とした気が流れること」

 

#論語

 

「礼とは規律である、ともいえる」

 

「規律正しき組織とは美しい、ましてや衣冠高き高官や(盲目の)医官を前にして、背筋が伸びるのは当たり前のことだ」

 

「組織とは仲間ごっこではない、規律正しく、本来の目的に向かって行動する集団だ、(高官である)孔夫子は身を以って示されたのだ」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、通勤

 

凶服者式之、式負版者、郷党篇二十一

 

車上で喪服を着た人に会えば、横木に手をかけて頭を下げられ、戸籍簿を持った役人に会っても車の横木に手をかけて頭を下げられた。

 

「時と場所、場合に応じた敬い方、礼式があることと、戸籍簿も当時は敬うべき対象であったのだろう」

 

#論語

 

「現代でも、ひと昔前は道に霊柩車が通ったときは頭を下げる風習があったと記憶にある」

 

「弔うということが如何に特別なことであるか、古代中国も現代日本も変わらない」

 

「戸籍簿は、おそらく国の象徴、的な意味合いで敬わられていたのではないか、現代では市役所の車に、少なくとも頭は下げない」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、一休み

 

「今年は半藤一利さんの本を集めて読んでいる」

 

「艦長は艦と運命をともに沈むべし、とは『暗黒の時代』からの話しらしい」

 

「発言した人は、戦後も長生きした、半藤さんは憤っている」

 

#三行詩

 

ノモンハン事件から第二次世界大戦までの日本史を、司馬遼太郎さんは『暗黒の時代』と呼んだ」

 

「半藤さんはいう、自分で決断する、責任を取るリーダーが、当時、何人いたのだろうか、組織という得体の知れぬ意思決定に従うだけがリーダーではない」

 

半藤一利さんの本は面白い、戦後、生き残った当事者に直に会って取材している、文章に重みがある、取敢えずは書店・古書店で見かければ未読の本は購入することにしている」

 

#三行詩

 

「戦後七十七年、戦後は未だ終わってはいない」

 

「当事者の責を問うとは別に、『暗黒の時代』の歴史学的検証とその共有、伝承は必須事項だ」

 

「人の功罪、多々あれども『時代のうねり』そのものを検証、二度と再発させない取り組みが恒に行われてこそ、戦後の終わりかも知れない」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、通勤

 

有盛饌必変色而作、郷党篇二十一

 

たくさんの御馳走を用意されたときには、驚きのあまりに立ち上がる動作と、主人へ感謝のお礼を述べること。

 

「いつの時代でも人は食べることに関心がある、生きるとは食べることであるし、美味しいとは、良く生きることなのだろう」

 

#論語

 

「驚くという動作が、ご馳走を前にして必ずしも行わなければならない礼法なのだろうか」

 

「本来の礼法とは先王(堯帝・舜帝)の時代の普通であり、物ごとに対する気持ちを表したものだ」

 

「要は、物ごとを尊ぶという心、姿勢が重要なのだ、別に毎回驚く必要はない、T.P.Oに正しければ良い」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

迅雷風烈必変。郷党篇二十一

 

雷鳴響き、暴風吹き荒れる日には、顔色を変えて居住まいを正しくされた。

 

「自然、天には敬意を払われ、山、川の鬼神を敬うも、自らとは遠くし、怪奇現象や不可思議な出来事に関心を払われることは無かった」

 

#論語

 

「雷鳴や暴風を前にしても心が乱れない、何故なら、自らの命は天命であると知っているからだ(敬うも恐れない、天命を信じ、自らを信じ、如何なる現実も受け入れる覚悟がある)」

 

「毀誉褒貶、運不運、生まれてきた時代、自らの範疇を越える事象に悩む、苦悩しても無駄なのだ」

 

「しかし、雷鳴や暴風の前では、恐れ慎む動作を行う、何故なら天に敬意を示すことが、この場合の礼(物ごとを尊ぶこと)であるからだ、リアリストでありながらも時代の中庸から逸れることはない」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、通勤

 

升車、必正立執綏、郷党篇二十二

 

車に乗られるときには、肩幅に足を広げ真っ直ぐに立ち、つり革を両手で軽く握られた。

 

「2m16㎝と伝えられる孔夫子の長身だ、さぞかし車上に立つお姿が似合われたと思う、当時、車は貴族や大夫(大臣)しか乗れぬ特別な持ち物であった」

 

#論語

 

「弟子の子路が、いつかは高価な毛皮を羽織り、車に乗りたい(友人たちにも自由に使わせたい)といった、あの車だ」

 

「現代の感覚なら、ギーヴス&ホークスのオーダー・スーツを着て、ロールス・ロイスPHANTOM Series IIの後部座席に乗っているようなものか」

 

「腕時計はパテック・フィリップのカラトラバ Ref.5119 、靴はジョン・ロブあたりで、現代人の格好をしても、孔夫子ならさぞかし似合われると思う」

 

#三行詩

 

「もちろん、孔夫子はその様な品を積極的に求めない、欲もない(礼に正しければ求める)、しかし自然と揃っている」

 

「大金持ちである弟子の子貢とかが、普通に用意してそうな気がする」

 

子路は大喜びするだろう、師匠の晴れ姿を見て、嬉しさのあまり涙するかも知れない、子路は快男児であり、私利私欲も少ない、要は、師弟、ともに、いい男なのだ」

 

#三行詩

 

○金曜日の夜、自宅

 

「ジャック・ルーシュのプレイ・バッハを聴きながら、ちくま文庫中島敦全集3を読んでいる」

 

ハイボールをちびちび、素敵な時間だ」

 

「亡父はこの曲集が大好きで、少年の頃から車内ではこの曲がエンドレスで流れていた、車窓から見た夜景の記憶と共に、今でもたまに聴く」

 

#三行詩

 

「よく父は、助手席に少年の頃の私を乗せてドライブに行くのを好んだ」

 

「道中は常に無言(会話した記憶がほぼない)、ソアラの皮シートの匂いと、エンドレスで流れるプレイ・バッハ」

 

「そのころ父は父なりに人生を悩んでいたのだろうと思う、直ぐに車酔いする私にとっては、あまり心地よいものではなかったが、無言で共に居た時間、匂い、音は、はっきりと記憶に残っている」

 

#三行詩

 

「今は父の立場にいる、私は無言が多いが、子はよく喋る、森で共に散歩する時には色々なことを話してくれる」

 

「大人の結論を一言で話すことは容易い」

 

「しかし、私は言葉少なく相槌を打つことしかしない、亡父とも(言葉無くとも)そんな時間を過ごしていたのだと、思い返しながら歩いている」

 

#三行詩

 

所感)

■学問の道

論語の変化が面白い。日本語、現代語訳された無数の論語の数々。

大学教授から教師、在野の研究者からアマチュア、タレントやブロガー、そして過去から現在、無数といっても良いくらいの論語の現代語訳が存在する。

 

初学の頃は、トンデモ論語に腹が立った。

しかし、Twitter(X)のフォロワーさんの縁で、根本通明先生の論語講義に出会える機会を得た。

学問とは、学び、実践し、省みて、また学ぶ。

 

今は、自分の中で軸となる孔夫子が存在する。

 

論語は鏡なのだ。学問の積み重ねは如実に解釈に現れる。浅ければ浅く、深ければ深い。

軸を得た、学んだ今、トンデモ論語でも論語に変わりはないと気付く。

初学で出会う論語も、50年学んだあとの論語も、孔夫子は同じことを語られるのだ。

 

論語の本質は、人の進化にある。

人の本質は、学ぶ私たち次第にある。

故に、論語は常に私たちを磨く鏡なのだ。