○月曜日の朝、5月27日、通勤
君命召、不俟駕行矣。郷党篇十七
君主からの召し出しがあれば、(重臣として)早急に宮殿に趣く為、馬車に馬をつなぐ時間すら惜しんで歩き出された。
「比喩的表現であり、例えば浴衣や普段服でも着替えずに宮殿に赴く、訳では無い、重臣としての心掛けを述べられた」
#論語
「或いは孔夫子ほどの人である、君主から危急の召し出しがあるような政治状況のなかでは、自宅に居ても直ぐに飛び出せる準備はされてる、その上で馬車も待たず、歩き出されたのだ」
「風雲、下克上の時代を感じさせられる句でもある」
「また、孔夫子は先王(堯帝・舜帝)の教えに忠実足らんと一生を過ごされた方だ、周王朝に思い入れもあり、祖国でもある周公旦を初代とする魯の国が陪臣に乗っ取ろうとする惨状に深く憂いを抱かれている、故に馬車も待たずに宮殿に向かわれたのだ、とも解釈出来る」
#三行詩
○月曜日の朝、乗り換え
「電車で座る、横に座る人あり、酒臭い息で手を抑えず咳をし、こちらに足を組む」
「繰り返し咳、嚔、酒臭い、泥の着いた靴がズボンに当たりそうだ」
「通勤電車ルールその1、睨まず速やかに席を離れること、選択肢がある不愉快な事象、人の相手はしないこと」
#三行詩
○火曜日の朝、通勤
入大廟、毎事問。郷党篇十八
宮殿の宗廟(周公旦を始め、歴代の魯の君主が祀られている)に参拝されるときは、側に控えている礼法専任の役人に一つ一つ作法を確認された。
「宮殿にある宗廟での作法は、側に控える役人に問うのが、この場合の礼法であるからだ」
#論語
「時と場合、場所に合致することが礼の眼目であり、あまたの礼法に精通することは手段に過ぎない」
「目的は、君主の宗廟に礼法正しく参拝することにある、自らの礼法の知識を誇ることではない」
「儒家のいう君子とはマーベル映画のスーパーマンである必要はない、天下を泰平にする為、中庸をもって自らの善を世界に及ぼすのだ。易経・繋辞上伝第五にある『一陰一陽これを道という。之を継ぐものは善なり』と」
#三行詩
○水曜日の朝、通勤
朋友死無所帰、曰、於我殯、郷党篇十九
友人が亡くなる。身寄りの者がおらず、誰も葬儀をしようとしない。孔夫子はいわれた、私のところで殯 (かりもがり)をしよう。
「(亡くなった)友人との縁を大切にし、その為なら葬儀の費用など惜しまない、孔夫子らしいと思う」
#論語
○水曜日の朝、電車内
「席が空いていた、座る、正面に酷い風邪らしき人あり、咳、嚔の嵐」
「なるほど、そこそこ混んでいる車内で空いたままの席は、何かある」
「凄い咳と鼻水だ、永遠と思う位に止まらない、相対性理論は通勤時でも経験出来得るということか」
#三行詩
○木曜日の朝、通勤
朋友之饋、雖車馬、非祭肉、不拝。郷党篇十九
友からの贈り物を受け取るとき、馬や馬車のような高価なものでも、友の祖先を祀る祭祀で用いた肉以外は、拝礼することはない。
「この場合の主は祭祀にあり、拝礼という動作は、それだけ宗教的尊厳に基づいた動作であると思われる。もちろん、高価な馬車や馬を頂いたときに礼をしない訳ではなく、それ相応の礼を行うのは当たり前のことだ」
#論語
「祭祀、鬼神、先祖、生け贄、生肉、炎、洞窟」
「単語を並べるだけでも、六万年前の原始人類が浮かび上がる」
「ラスコー洞窟、アルタミラ洞窟、コスケール洞窟、等々の洞窟壁画、これも現代への連なりなのだ」
#三行詩
○金曜日の朝、通勤
寝不尸、居不容。郷党篇二十
眠っていても無様な姿になられることはない。自宅では不必要に居を正すことはせず、落ち着いていて穏やかな様子であられた。
「孔夫子の人となり、日常生活でのご様子が伝わってくる」
#論語
「この句、孔夫子は日常でも中庸を体現された、聖人故に、と解釈する識者もいる」
「そこはそこ、寝ているときまで聖人崇拝の対象とするのでは、もはやその視点そのものが中庸から遠いと思う」
「中庸という超人行動はない、故に中庸なのだ、孔夫子はまず人間であり、次に聖人なのだと思う」
#三行詩
○金曜日の朝、電車内
「ほぼ満員電車の中を、進行方向逆に乗客を押しのけて進む人あり」
「もはや何かに取り憑かれている、ドンと押された」
「マッソスポラ菌に感染したゾンビセミは感染者を増やすべく接触を繰り返す、何か、車内では人を押し退けて移動せねばならぬ気がしてきた」
#三行詩
○金曜日の夜、自宅
「アマプラVでザ・ロック放映、映画館で1996年に観て、今も観ている」
「音楽良し、ストーリー良し、脇役にS・コネリー、E・ハリス、良き時代の映画だ」
「主役のN・ケージの最高傑作だと思う、私生活では8億5千万円の借金とか、破天荒なれど面白い人物なのだろう」
#三行詩
「映画、ザ・ロックに出てくるショーン・コネリー演じる元スパイのような老人になりたい、と、1996年の私は思った」
「しかし、自分が老いる、ということリアルに実感しだした今日このごろ」
「映画の登場人物にはなれない、積み重ねだ、その人の本質は(何をどうしようが)変わらない、変わらないことに人間の本質、面白味がある、と2024年の私は思う」
#三行詩
所感)
■つれづれ、論語、学問の根っこ
学問の道とは、天下泰平、苦しむ民を救うため、学問に励んで自らの仁徳を広げ、周囲に仁徳を及ぼすことだ。君子に仕え、仁政により天下を泰平にすることだ。
ならば仁者とは、終生学び続け、他人を救うことを第一とし、あたかも修験僧のような生き方をせねばならぬのだろうか。
孔夫子の教えの根本である仁、忠恕、自らを誠にして人を思いやるとは、或いは義、自らの悪を憎むとは、儒教的な修行僧になることを強いるような一種の側面はある、ここは否定は出来ない。
しかし、仏教とは違う。視点(目的)はあくまで現世、今、見える目の前にある。
自らの内面を幸せに出来ず、他人を幸せにすることなど出来るものだろうか。
論語を学ぶとは、人の内面を幸せにする、孔夫子の善徳を学び、まず、自らを幸せとせねばならない。
論語をお経のよう奉り、儒学を学ぶ後人には指導と称して罵詈雑言をいう、自ら儒学の先達と称する人たちは、果たしてその内面は幸せなのだろうか。
論語は、日常生活における仁徳の実践を学ぶ書だ。学ぶ、考える、実践する、省みる。
これを繰り返し、自らの内面を磨き、善に至らせる為の書だ。
私利私欲の小人である自らを自覚し、父母から受けた慈愛を徳の根本とし、この慈愛を家族に広げ、友人に広げ、地域に広げる。
善を行う、広げることが楽しくて仕方がない。
暗い私利私欲の情念から離れ、内面は幸せで満たされる。
いわば、論語の根っこのところが、抜け落ちた、ある種(書店で並んでは消えていく類い)の啓蒙本として捉えている人が多いように昨今思う。
論語の中核を学ばず、理解せず、道徳奨励、立身出世、自己啓発、啓蒙活動をいくら邁進しようが、流行歌の類いと変わらない。
心が、内面からポカポカと暖かくなる、孔夫子の仁に包まれている感覚こそ、論語を学ぶ醍醐味だ。
言葉を追う(実践なき脳内作業)だけではここに至らない。
論語を読む(学ぶ)、考える、日常生活で実践する、省みる、再び論語を読む(学ぶ)、繰り返す。
1年、3年、・・年、日常生活で、生きた孔夫子の世界が広がってくる。
ここが楽しい。別に超人、見え透いた君子行動、他人のための善人になる必要はない、日常生活は変わらない、ただ内面は変わる、視点が変わる、判断が変わる、自己肯定感、自分らしき思い、行い、人生に面白味を感じるようになる、と思う。
■つれづれ、論語、日本人の根っこ
論語が嫌い、という人がいる。
戦前、戦中の道徳教育、その結果とを併せ持って、戦後、確かに論語は廃れた。
その当時を経験した人にとっては、戦禍と同類視する存在であり、民主主義こそ新しき思想だとする、これは理解出来る。
祖父が戦争に行き、シベリアで2年間抑留されていたと、伯父から初めて聴いたのは父の一周忌の会食の時だ。
戦禍を体験した人にとって、あの時代の教育に良い印象がないのは当然のことだ。
しかし、論語が日本に伝わったのは西暦513年、そして、西暦604年には、聖徳太子が十七条憲法の冒頭にこう掲げている。
夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條。
一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。
『おたがいの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ。ところが人にはそれぞれ党派心があり、大局をみとおしているものは少ない。だから主君や父に従わず、あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。しかしながら、人びとが上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらは道理にかない、何ごとも成しとげられないことはない。』(ウィキペディア参照)
冒頭の『一曰、以和爲貴』、和をもって尊しとなす、とは、論語、学而第一の言葉だ。
この十七条憲法第一の現代語訳を繰り返し読むと、孔夫子の教えと近似していることは明らかではないか。
有子曰、礼之用和為貴、先王之道斯為美、小大由之、有所不行、知和而和、不以礼節之、亦不可行也。学而十二 論語
有子はいう、礼とは和を以て貴いとする。堯帝・舜帝が定められた礼とは何と美しいことであろうか。しかし、小も大も礼に過ぎるのは良くない。和を以て和を知るようでは礼から外れてしまう。礼の本質とは尊ぶことであり規範・規律を守る、守らせることでもある。和のみでは物ごとは上手く行かないものだ。
「礼の本質とは尊ぶことにあり、規律・規範を守る、守らせるからこそ礼は和となる。何を尊ぶのか、例えば祭祀に於いては目の前の台や器、飾り物ではない、先祖代々の連なりを理解し、今の自分があるのは父、祖父、曽祖父・・等のおかげであると感謝する、自分の内にある連なりを尊ぶのだ」
※四端録 三行詩第百四章(学而第一②)
聖徳太子は論語の影響を強く受けている。西暦600年代の日本人の道徳観は、既に論語の影響を強く受けている。
歴史を省みれば、最初に論語が伝わり、仏教の影響を受け、日本古来の神話と三つ巴になった思想が日本人の根っこであるのは事実だ。
この事実は、司馬遼太郎のいう、戦前から戦後まで(ノモンハンから第二次世界大戦まで)の暗黒の時代を以てしても、消え去ることはない。
戦禍の反省と戦争を繰り返さない誓いは、論語の、孔夫子の教えと反目しない。
戦争を絶対悪とし、人が人を殺めることを否定する。
孔夫子の教えが日本人の根っこにあることは、大戦後に価値観がひっくり返っても変わらないのだ。
むしろ、変わったのは、自国の歴史を学ぶ、省みる、民族としての連なりを否定する、戦後からの一部の人たち、及びその人たちが行った教育の結果ではないかと思う。
戦禍を省みることは正しい、しかし省みることが過ぎてしまい、原爆を落とされながら落とした国にその罪を問うことはなく、いま現在自国の領空内、何処であろうと最優先に飛ぶ(飛行する権利を有する)外国の軍用機(爆撃機、攻撃機、戦闘ヘリ)に違和感すら抱けない。
つまるところ、「暗黒の時代」以前の自国の歴史からも目を背けてしまった。
日本人としての連なり、アイデンティティが薄くなる一方に思える、思わざるを得ない今日この頃。
これも、一国の戦禍といえるかも知れない。
戦後77年、未だ戦後は終わってはいない。