○月曜日の朝、5月13日、通勤
郷人飲酒、杖者出斯出矣、郷人儺、朝服而立於乍階。郷党篇十
郷里の人たちとの宴会では、杖をついた老人が退席するのを終えてから退席された。郷里の儺(大晦日に鬼や邪気を祓う儀式)では、疫病神や災厄を払う行列がくると、礼服を着て、宗廟の階段の立って迎えられた。
「儺(おにやらい)とは、現代の日本にも残る節分の原型とされる。子供の頃から撒いていた大豆、鬼の仮面、掛け声は、二千五百年前の中国まで遡ることが出来る、興味深い」
#論語
○月曜日の朝、乗り換え
「人生万事塞翁が馬の故事は、ゼミの最後の日に教授から送られた言葉だ」
「解釈は年齢とともに変わる、曰く、諦めるな、曰く、なるようになるさ」
「人生の面白味とは春夏秋冬、移り変わることにある。変化は受け入れる、克服出来るか、或いは消え去るだけさ」
#三行詩
○月曜日の夕方、通勤
「心も風邪をひくときがある、疲れたら休む、重荷を放り投げるのも善きことだ思う」
「しかし休むと、逃げるは同意語ではない」
「逃げるとは、どうであれ戦略的撤退、あるい戦術的撤退であるべきだ、また、休むのであれば文字通りに休むべきだ」
#三行詩
「休む、とは逃げることではない、あくまで目的は困難たる現実と再び戦う為にある」
「目的を見失った休むや逃げるとは、リスキーであり今、現在を失いかねない」
「人生、転落するときもある、ままならぬ、しかし、生きるとは食らう、眠る、為に戦い続けるものだ、転落した先でも戦いは待ち受ける」
#三行詩
○火曜日の朝、通勤
「悪夢見る、健全なる判断が働かず不愉快極まりない結末を迎えた」
「人とは何と不愉快な存在であろうか、唯、道徳のみが彼ら彼女ら動物との境界線となる」
「道徳とは何か、忠恕、自らを誠にして人を思いやること、礼節こそが人を人らしくし社会的存在へと昇華させる」
#三行詩
○水曜日の朝、通勤
問人於他邦、再拝而送之。郷党篇十一
他国への使者を送るときには、使者に再拝をして送り出すこと。
「目的が敬いのであれば、当然ながら、その行為に対する敬う(礼)動作は自然と生じるものだ。ふと、映画ゴジラ-1.0の後半〜最後のシーンを思い出す」
#論語
○水曜日の朝、電車内
「ビジネスパーソンにおいて、時間の管理とは必然だ」
「目的ありきで、今する、先延ばしする、しない、論理的思考が求められる」
「故にか、休日は時間の無駄使いを楽しみたい、それすら目的を持ってであろうが、少なくとも私にとって寝貯めとは必然的な帰結である」
#三行詩
○水曜日の朝、一休み
「私はびびりで臆病者である、故にこの歳まで生きている」
「私は凡人である、凡人になれることが如何に奇跡であるかを経験した凡人である」
「他人や集団の価値観や美的感覚とは、自らではない、自らそれらを生み出すことが、生きる、一つの目的と言って良い」
#三行詩
○水曜日の夜、自宅
「で、あるべき、だからこそ、今日も働く、働いた、積み重ね、とは毎日の当たり前にある」
「故に、今宵も就寝まで今日の報酬、自らの趣味の時間を楽しむ」
「好きな書を紐解き、音楽を聴く、そしてアマプラVで映画を観る、楽しきことだ」
#三行詩
○木曜日の夕方、通勤
「一国の道徳とは、成立過程において宗教的な倫理観の影響下にあり、現在もそこは変わらない」
「故に、学校での道徳の授業は歯抜け観が否めない」
「非宗教的道徳エッセンスがオリジナルに敵う訳もなし、賛否あるとは思うが、論語の素読、論語を学んではどうだろう」
#三行詩
○金曜日の夜、自宅
「値三百円なり、これも縁らしい、即購入する」
「どうやら今年は荘子と縁があるらしい、これも学運かも知れぬ、とてもワクワクしている」
#三行詩
○金曜日の夜、自宅
「全訳荘子(全3巻揃)著者 公田連太郎編述 出版社アトリエ社」
「安いのか高いのか、正直よくわからない、が、ネット古本屋売値のままに即買いする」
「かの公田連太郎先生の著作である、この道を学ぶ一人として是非とも手に入れたい、手に入れた、とても嬉しい」
#三行詩
「好きな本を読める時が少しでもあれば、とても好ましく思う」
「学問とは広がりだ、終わりなく興味は広がり続ける」
「成果とか、鍛錬とか、から少し距離が開いてきた、今を踏まえて過去の偉人たちの世界に遊ぶ、このまま向こうへ、異世界転生とかも良いかもしれぬ」
#三行詩
○金曜日の夜、自宅
「学問の道とは、牢獄にもなり新世界にもなる」
「目的は何処にあるのか、と常に問うこと」
「しかしながら目的至上(学問)が必ずしも正解とは限らない、愚かで生身の人でも良い、その人を善性肯定することはその人の善性に繋がるのだ、これも孔夫子の教えの一つではないか」
#三行詩
○金曜日の夜、自宅
「知らない、ということを知ることが最大の喜びである」
「休日、図書館や大規模書店に遊ぶと、だいたい蛍の光が流れるまで居る」
「幸い、人生の相方(妻)も同じタイプだ、しかし子は違うらしい、明らかに苦痛であると度々主張し、明るい時間に退店させられている」
#三行詩
○金曜日の夜、自宅
「人は裏切る、という人がいる」
「この場合、結論が曖昧であり、如何なることがその人の正義か、白黒を明らかにせねばならぬ」
「私利私欲の小人の主張する正義もある、どれだけの血が流れ、無数の墓標が建てられたか、世の中に正義は無数にあり、都合のよい正義を好む人も無数にいる、こういう人が裏切るのだろうと思う」
#三行詩
○土曜日の午前、病院
「近所にある整形の待合室、窓ガラスから日光が差し込み眠けを誘う」
「10人待ちとか、じっくり本でも読もう」
「待合室の自販機からオロナミンCを買う人あり、それを見て同じく買う、久しぶりだ、冷たく甘く炭酸が心地よい」
#三行詩
所感)
■病院のこと、つれづれ、亡父のこと
私は病院が大嫌いだ。虫唾が走る、行きたくないし、見るのも嫌だ。
医師が患者を診るあの眼、笑顔でありながらも眼は、ヴォルデモート卿の様に常に冷徹極まりない。
側に控える看護士も怖い、顔の表情を消し、常に(ふざけんなよお前、的な)無言の圧を発している、ベラトリックスそっくりではないか。
冗談はさておき、ふと、亡父の病院嫌いも徹底していたことを思い出す。
晩年、総合病院に運び込まれた時、過去のカルテが存在しない(数十年、病院に行ったことがない)ことを担当医からこぼされた。
流石に、こうはなりたくない。且つ子もまだまだ父親がいる年齢だ。
皮肉なことに、死病を患い余命宣告を受けた父は、そこからそういう病院で1年半ほど過ごす。
そういう病院なので見舞いにいくと、父がいう、同室さん、昨夜お寺さんに行ったで、と。
入院中、父は、一度も弱音を吐かなかったと記憶に残る。
見舞いにいくと、最初は満面の笑顔で元気か?、と尋ねてくる、が、そうそう会話がなくなる。
仕方ないので会社の話しとか、漫然と話すと、仏頂面になって横を向き、ぷいと、つまらん事を話すな、という。
家では、煮ても焼いても食えない父であった。
しかし外面はよく、子どもの時など、同年代の従兄弟たちから、良いお父さんでいいなー、などと言われて言葉が詰まった記憶がある。
見舞いに行ったときに父が度々述べたことは、何ごとも、ぶれるな、ということだった。
欠点も多かったが、苦学して国立大学を卒業し、頭が良く、物事の本質を的確に捉える人だったと思う。
父含めて父の兄弟、全員が七十代の前半に同じ死病を原因として亡くなった。
従兄弟たちと、やっぱし僕らもこうなるのかな、と話したが、その年代まで残り二十年を切った。