四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第五十九章(里仁第四)

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○月曜日の朝、10月31日、通勤

 

「子曰く、利に放りて行えば、怨み多し。里仁十二」

 

「孔夫子はいわれた、私利私欲に流されて生きれば、同類から恨まれて争いが止むことはない」

 

「私は特別だ、私が被害者だ、私だけなら、と私たちは皆思っている」

 

#自由律 #論語

 

○月曜日の朝、電車内

 

「いつもの二人組が横にきた、シャツに関して話している、今日は実験室に入るらしい」

 

「先手はノッポ、次にメガネが沈黙で応える、意地悪メガネが押されている」

 

「行ったことのない研究所への行き方を如何にも慣れた口調でいうメガネ、立場が違うと相手にしないノッポ」

 

#自由律

 

○月曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、能く礼譲を以て国を為めんか、何かあらん。里仁十三」

 

「孔夫子はいわれた、国を治めるに礼(規範)と譲り合い(互いに尊ぶ)以外に何があろうか」

 

「根本には仁があり、仁の広がりが礼となり譲となる」

 

#自由律 #論語

 

○火曜日の朝、通勤

 

「子曰く、位なきことを患えず、立つ所以を患う。里仁十四」

 

「孔夫子はいわれた、地位や名声が無いことを気に病むより、自ら仁に立って人を救おうとしたのかを思うこと」

 

「志あっての地位や名声である、私利私欲の隣人に惑わされてはいけない」

 

#自由律 #論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「昨夜よく眠れず今朝は高血圧、今は亡き人、出来事を思い出す」

 

「意地悪メガネを最初の電車の同じ車両で、ノッポを次の電車のホームで目の前に立っているのを見る」

 

「三番目に乗り換えた電車の同じ場所でで三人は集合する、うち一人は他人だが」

 

#自由律

 

○火曜日の朝、電車内

 

「会話が弾まない、意地悪メガネに含むところがありそうだ、沈黙、沈黙」

 

「今日は火曜日だね、、、、正月何処に行くの、と、ノッポから話す」

 

「別に何処も、、とメガネ、次に田舎の話題、メガネはサイタマ人らしい」

 

#自由律

 

○火曜日の朝、一休み

 

「高血圧で吐き気、頭痛、今日はデスクでゆっくりしよう」

 

「関西の人なので、サイタマ人のイメージが映画「跳んで埼玉」に偏る、本当なのだろうか」

 

「関東は十回くらいしか行ったことがない、グンマーとか、よくわからない」

 

#自由律

 

○火曜日の朝、二休み

 

「帰宅時に寄るスーパーの入口に、たまに同じ子犬がつながれている」

 

「見かけ可愛いいが、お婆ちゃんなどが寄っていくと大声で吠えてぐるぐる回る、気が荒い」

 

「昨日私も話しかけたが、大声で吠えられた、心の中でこの子犬をケルベロス命名する」

 

#自由律

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「己を知ること莫きを患えず、知らるべきことを為すを求む。里仁十四」

 

「世の中や周囲から一目置かれないことを嘆くらいなら、今日、一日、仁を実践したのか省みること」

 

「自らを厳しく責め過ぎるのも仁に遠い、大きく暖かな仁を自らにも広げること」

 

#自由律 #論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

「子曰く、参よ、吾が道は一てこれを貫く。曾子曰く、唯。里仁十四」

 

「孔夫子はいわれた、参よ、私の道は一つで貫いている、弟子の曾子はいう、はい、と」

 

「孔夫子は忠恕を貫かれた、仁から広がる礼、義、智、ともに忠恕から始まる」

 

#自由律 #論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「車内、親子、幼子二人を横一列の椅子に座らせるも窓側を向いた、幼子が動く度に横の老人のズボンに靴が当たる」

 

「目前に立つ父親はそれを見ても何もいわない、ほっておく父親をみて老人、靴が当たる度に幼子の脚を軽く叩く」

 

「靴が当たる度に叩く老人、何も言わない父親、きょとんとする幼子たち、なんとなくシュールではないか」

 

#自由律

 

○水曜日の朝、電車内

 

「いつもの二人組、ノッポの鞄は膨れている、しきりに消防士の話しをしている」

 

「ノッポは感動しているらしい、今朝は熱いノッポだ、メガネに口を挟ませない」

 

「謎の二人組だ、サイタマ人で、研究所に通い、客商売らしい、言動は知性的でもある」

 

#自由律

 

○水曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。里仁十六」

 

「孔夫子はいわれた、君子とは仁を行うが故に義に明るく、小人とは私利私欲に猛るが故に小利を見逃さない」

 

「君子の視点とは天があり、小人の視点とは目の前しかない」

 

#自由律 #論語

 

○水曜日の夜、自宅

 

「天の下、仁に包まれつつ温々と世を過ごす、儒家とはなんと幸せな存在か」

 

「世の中の毀誉褒貶から離れ、自らの仁に向き合い、礼に基づき、義に生きる」

 

儒家とは、他人を救う前に、まず自らの心を仁で満たすべきではないか(自らを救えずに他人を救えるものか)」

 

#自由律

 

○水曜日の夜、自宅

 

「苦行のように学問の道を述べられる先人がいる、仁とは遠いと思う」

 

「厳寒の中でも大きな太陽の陽射しに包まれれば、暖かく感じる」

 

論語とはとても暖かいものだ、人の可能性を、人の未来を述べている」

 

#自由律

 

○水曜日の夜、自宅

 

「なんとなくTwitterが楽しくなってきた、波長の合うtweetにワクワクする」

 

「馴れ合いは嫌いだ、挨拶の素晴らしさは認める、しかし言葉とは重たくあるべきだ」

 

「えっへん、どうだ!、と自らを誇れば良い、どんどん誇れ、見知らぬ友よ!」

 

#自由律

 

○金曜日の朝、通勤

 

「子曰く、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。里仁十七」

 

「孔夫子はいわれた、仁を実践している人を見ればその真似をし、不仁の人を見ればその行いを自らに照らし合わせる」

 

「周りの仁も不仁も、自らの徳を広げる為に活かすこと」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、父母に事えては幾く諌め、志の従わざるを見ては、また敬んで違わず、労えても怨みざれ。里仁十八」

 

「孔夫子はいわれた、父母に間違いがあれば諌め、拒否られたら一旦は引いて見守る、決して見放してはいけない」

 

「父母からの恩は消えることはない」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の夜、自宅

 

「化け物とは無関心の集合体ではないか、また、無責任の結晶でもある」

 

「仁も義もなく一方的な社会的正義を振りかざし、生け贄を今日も屠る」

 

「普通にTVで見かける、ネットで人気者、次々と消えては現れるピエロの類い、民意の化け物」

 

#喜ぶ大衆と細く笑む世襲エリートたち

#自由律

 

○金曜日の夜、自宅

 

「義とは基本独りだが、正義を掲げるとはその他大勢を求めている」

 

「省みれば人類史に残る忌わしき虐殺とは、常に一方的な正義による決断だ」

 

「仁に正義はない、仁とは義であり、中庸を以って天の道を歩むのだ」

 

#自由律

 

○金曜日の夜、自宅

 

「巨大な思考形態の積み重ね、というよりは大きな大きな思いか」

 

「忠恕とは、突き詰めれば誠となる、誠とは突き詰めれば思いだ」

 

「思いが世の中を救う、孔夫子の思いは、誠は、二千五百年を経ても世の中を包み込む」

 

#自由律

 

○土曜日の夜、自宅

 

「夕方、子とラグビーの練習へ、のち形意拳の練習」

 

「右脚ふくらはぎに肉離れ発生する、中ほどに爆発したような痛み」

 

「哀れかな、老いたのだ、子の肩をかりて家路へ着く、情けない」

 

#自由律

 

所感)

■肉離れ

動くとふくらはぎに痛み、歩けない。

治療法は安静第一らしい。

明日の仕事はかなり怪しい。駅の階段など無理だろう。

明日、会社を休むのであれば、医者に行って、無駄なレントゲンや湿布を処方される無駄な時間を体験せねばならない。

 

Twitter

経営者が変わり、社員の半数が一斉解雇され世の中に物議を醸し出している。

私のような捻くれ者からすれば労働者の視点からは反発を感じるが、そもそもTwitterの社員とは世界でも高収入のエリートたちではないか。

どちらも嫌い、が本音であるが、世界一の資産家の肩を持つ人は少ないのであろう。

仮に、Twitterフェイスブック化してこれまでの利用者が激減しても、恐らくはビジネスチャンスとばかりに新たなTwitterが起業されるであろうし、儲からないなら二つとも消えるだけだ。

 

■雑感

コンビニのアルバイト・パートで働いてても家族を食わせるほどの収入はない、だから今の世の中無理ゲーだよね、との記事を読む。

 

確かに現実を述べている、そしてその不満と変革を求める期待を代弁しているかのように読める。

しかし、警鐘と変革とは異なる。

この人は、警鐘ビジネスで儲けている人だ。

人を煽りたてるだけで解決策をなにも提示しない。良くて、海外ではこんな事例ある止まりだ。

 

人の誠が希薄になるばかりの時代ではあるが、その原因は、自ら思い、考えることをやめて、他人が加工した綺麗なもっともらしい、工業製品のような思いに、身も心も委ねてしまっていることにある。

警鐘ビジネス屋さんの言葉に感動し、変革ビジネス屋さんの演説に拍手する。

 

コンビニのアルバイト・パートで家族を食べさている人もたくさんいる。ただ苦しいだけだ。

だが、家族を養うという立派な思い、誠がそこにあり、家族が生きている現実ある。

素晴らしいことではないか。

 

警鐘ビジネス屋さんや、変革ビジネス屋さんの甘い言葉とは、彼ら彼女ら一般市民の味方のようでいて、実は毒を吐き、彼ら彼女らを食い物にしようとしているだけだ。

 

一部の人たちは贅沢な暮らしを楽しんでいる。

だから、私のいうことに怒り、喜び、手のひらで踊れという。

このような人たちが持て囃される時代とは危険だ。

怒り、喜ぶのは良い、しかし一番大切な、自ら考えること、思いを他人に委ねてしまっている。

 

本質は、楽に儲かる・苦しいし儲からない、ではなく、家族の為に働き、家族を養い、家族の為に生きることだ。

その為に思い、実践することが人としての生き方だ。

そして、世の中に警鐘を鳴らす、変革するとは、このような個の思いを凝縮した誠から始まる。

 

一人の誠でも、世の中はひっくり返せる。

 

省みれば、今の世の中、強い思いや誠を備えた人を見る機会が減る一方に思える。

しかし、家族の為に、家族を養う為に一生懸命働いている人はいる。

彼ら彼女らの思いこそ、本来の人の姿であるし、この思いを広げることで世の中は変わっていく。

 

家族に思う心を、少し友人に広げる。

家族を思う心を、少し隣人に、社会に広げる。

 

普通のお父さん、お母さんが立ち上がる、思いを広げることが今、この国にとって一番大切なことだと思う。

強い思いや、誠とは、突き詰めれば忠恕(自らを誠にし、人を思いやること)から生まれる。

自らを修め、家族を思い、その思いを周りへ広げる。思いは誠となり、その集合が国を思うことへつながる。

その根本がなしに国を愛することは出来ないし、国とは、家族を、市民を、幸せにする存在であるべきだ。

(養豚場のように管理される市民と少数の世襲エリートたちが治める世界などくそっ喰らえだ)

三行詩 第五十八章(里仁第四)

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○日曜日の朝、10月23日、ウオーキング

 

「元から独学であったが、蛇足が消えて気分すっきり爽やかだ」

 

「迷いなく、真っ直ぐ進む、学問も形意拳と同じく基本を徹底する」

 

儒学の基本であり、根本である論語を全文、白文から意訳してみよう」

 

#自由律

 

○日曜日の朝、マクド

 

「さて、日課となったマクドで朝食のち資格勉強へ」

 

「結果を夢見るより、過去問を1問でも解くとしよう」

 

「過程こそ物事の真実であり、流れる水であり続けること、留まるな」

 

#自由律

 

○月曜日の朝、通勤

 

「君子仁を去りて悪にか名を成さん。君子は食を終うる間も仁に違うことなし。里仁五」

 

「君子が仁から離れてどうして君子であろうか、君子とは例え食事中でも仁から離れることはない」

 

「常に仁であるとは、孟子にいう、浩然之気を養うことともいえる」

 

#自由律 #論語

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

「風邪、薬のせいか眠たい、座れば5分ほど車内で意識が消える」

 

「今日の方針は職場で休養、ゆっくりと休もう」

 

「駅のトイレも行列だ、皆同じ表情を浮かべている、犬とか猫もこんな顔だ」

 

#自由律

 

○月曜日の朝、電車内

 

「電化製品を積み上げ、大きなトランクを抱える家族連れ、中国語だ」

 

「この時間の空港行きは、途中前後に電車が別れてややこしいが正解だ」

 

「欧米人とか、よく間違えたまま乗っている、車掌さんも乗客も何も言わない」

 

#自由律

 

○月曜日の夕方、通勤

 

「造次にも必ず是に於いてし、顛沛にも必ず是に於いてす。里仁五」

 

「忙殺されるほど忙しかろうが、思いもかけず転倒しようが仁から離れることはない」

 

「四字熟語「造次顛沛」の語源、令和の世にこの熟語を使う人を見たことは未だない」

 

#そうじてんぱい

#自由律 #論語

 

○月曜日の夕方、乗り換え

 

「組織から高齢の熟練者(叩き上げ)がどんどん引退する、不安しか感じない」

 

「貴重な中堅はますます業務が切迫し、若手はきちんと教育を受けれない」

 

「叩き上げの五十代が組織で不足している、過去にリストラで放り出した付けが、じわじわと忍び寄る」

 

#自由律

 

○火曜日の朝、通勤、

 

「子曰く、我未だ仁を好む者、不仁を悪む者を見ず。里仁六」

 

「孔夫子はいわれた、仁を好み実践する人、不仁の行いを憎む人を未だ見たことがない」

 

「そして、本来の仁の素晴らしさ、不仁を憎むことの大切さを次項で説かれる」

 

#自由律 #論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「駅構内で、ケンシロウとユリアそっくり(服装)の人を見かける」

 

「脳内に「愛をとりもどせ!! 」のサビがリフレインしている」

 

「YouはShock 愛で空が落ちてくる〜、今日は北斗の拳風にキャラ変してみよう」

 

#クリスタルキング

#自由律

 

○火曜日の朝、電車内

 

「例の二人組が会話している、昨夜は残業して今週は辛いらしい」

 

「今週はどれだけ忙しいのか、お互いに競い始めた」

 

「そして会社批判で落ち着いた、曰く、ストーリーが出来ていないらしい」

 

#自由律

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「仁を好む者は、以てこれに尚うることなし。不仁を悪む者は、それ仁を為すなり。里仁六」

 

「仁を好むとは人として無二の徳を得ているし、不仁を憎むとは仁であると等しい」

 

「好む憎む共に中庸の徳を以って行うことこそ仁であり、好む憎むは枝葉に過ぎない」

 

#自由律 #論語

 

○火曜日の夕方、乗り換え

 

「好むとは仁と成り得る、不仁を憎むとは中庸を以ってせねば、過ぎる」

 

「不仁を憎むことが正義ではない、義とは、まず自らの是非を明らかにすることを一とする」

 

「全てを仁に帰するのが正義であり、不仁・不義の人を叩きのめすこととは仁に遥かに遠い」

 

#自由律

 

○水曜日の朝、通勤

 

「不仁者をしてその身に加えしめず、能く一日その力を仁に用いることあらんか。里仁六」

 

「どんな不仁の人とはいえ、一日あれば仁を思い、仁を実践しない訳がない」

 

「前項の不仁を憎むことから派生して、仁徳とは全ての人の根底にあると孔夫子は説かれた」

 

#自由律 #論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「夜、寝る前に座禅をしている、半跏で脚を組み、臍下に重心を置いて背筋を伸ばす」

 

「数息観も呼吸法もなし、脳みそが停止するまで腰を据えて背中を伸ばす」

 

「良いのか悪いのかわからない、ただ気付くと大きく舟を漕いでいてそのまま布団の中へ」

 

#自由律

 

○水曜日の朝、電車内

 

「いつもの二人組は喧嘩したらしく、メガネ男はわざと無視して他の人と話している」

 

「相方のノッポ男は、スマホを見ながら二人組を見ている、今、下を向いた」

 

「メガネ男はわざとらしく笑い、見せつけている、第三の男はうなずいた、会話はよく聞こえない」

 

#自由律

 

○水曜日の朝、通勤路

 

「昨日、前同僚のMr.Sと話す、氏は有能だがモラハラを生き甲斐としている」

 

「追い出した同僚は片手を越える、故に有能だが未だにヒラのままだ」

 

「関係は良好だ、私にはモラハラは効かない、キレて呼び出した過去がある」

 

#自由律

 

○水曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、民の過つや、各々その党に於いてす。里仁七」

 

「孔夫子はいわれた、民の不仁の行いとは、生まれ育った場所によりその大小がはっきりと別れる」

 

「教育により仁の徳は養われるものであり、学問による徳治政治の大切さを説かれた」

 

#自由律 #論語

 

○木曜日の朝、通勤

 

「子曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。里仁八」

 

「不仁、不義が横行し、民が苦しむばかりの世の中故に、古の聖王(堯・舜)の様な人物が世に現れれば思い残すことは何もない」

 

「大舜とは、善いことを好み、呼吸するが如く善いことをした聖人のこと」

 

#自由律 #論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「発車待ちつつ睡魔に襲われ壁に持たれた、街に鳴り響くサイレンを聞く」

 

「ふっと意識消えて膝カックン、乗り過ごさぬよう扉前に仁王立つ」

 

「いつもの二人組、メガネの自慢話のちノッポの逆襲、眠たくて会話が頭に残らない」

 

#自由律

 

○木曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与に議るに足らず。里仁九」

 

「学問の道を歩み、志に仁を掲げながらも粗衣粗食を恥じるようでは、私(孔夫子)の下で学ぶに足らない人だ」

 

「道に志すとは、天と同じく我が一身を仁たらんと目指すこと」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

「子曰く、君子の天下に於けるや、適もなく、莫もなし。里仁十」

 

「君子、天下のことを論ずるとは、是非もなく、ただ、仁に基づき礼が行われ義に省みるのみ」

 

礼記に、仁礼義の三徳を得た人とは天下をも平らかにするとある」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の朝、乗り換え

 

「自宅のネットが遅くなったので電話したら機械を取り替えてくれるらしい」

 

「終末端末(ONU)の名称すら初めて知る、何となくSF的な薫りがする名称ではないか」

 

「ネットに強い田舎のNに請求書から何やら全て画像でおくり、教えてもらう」

 

#自由律

 

○金曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、君子は徳を懐い、小人は土を懐う。君子は刑を懐い、小人は恵を懐う。里仁十一」

 

「君子は天下の為に仁徳の実践を思い、小人は郷里での生活を思う」

 

「君子は世の中に礼(規律)が行き渡るにはどうすべきかを思い、小人は何処かでお恵みがないかを思う」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の夕方、乗り換え

 

「今週も疲れた、仕事は捗った、昨日セガミニ2がきた」

 

「リアルタイムにゲーセンでしたアウトランアフターバーナーがこの手に」

 

レトロゲームは良いものだ、当時を思い返しながらも即ゲームオーバーだ」

 

#自由律

 

○金曜日の夜、自宅

 

「不思議だ、孟子の狂が、孟子の怒りが、心の根から消えている」

 

「孔夫子の教えとは実践を第一とする、机上の空論を認めない」

 

「根は自らにあり、学問の道とは天にある、学べば学ぶほど自らは天に近づく」

 

#自由律

 

○金曜日の夜、自宅

 

「怒りとは何か、理不尽なこの世界そのものではないか」

 

「だからどうした、と孔夫子は世界を肯定する、だからこそ肯定する」

 

「仁とは、悲しみも、哀しみも、苦しみも、全てを優しさで包み込む、孔夫子は間違ってはいない」

 

#自由律


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○金曜日の夜、自宅

 

「この世界は輝いてる、輝いている、ここが生き物の終着点らしい」

 

「一生懸命生きるとは、輝きを放っている、ことらしい」

 

「光の中では、光輝いても気付かない、そして暗闇に呑み込まれないこと」

 

#自由律

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○金曜日の夜、自宅

 

「望むこと、マイノリティ、開き直り、Yes、他人と同じに吐き気がする」

 

「知らない、アイデンティティ、開き直り、No、他人ばかりの孤独感」

 

「我が子、オール・オブ、なんだこの存在は、Hahaha、ありがとう」

 

#自由律

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○土曜日の夜、自宅

 

「子、ラグビーの試合で負けた、三年生は最期の試合で大泣きしたとか」

 

「夕方、子と形意拳の練習、流派ごとに形が違うことを聞かれる」

 

形意拳とは三体式に根本があり、基本の壁拳から様々に形が派生することを伝える」

 

#自由律

 

所感)

形意拳

自分が習った形意拳の流派を調べてみた。

二十五年前の記憶を遡る。

先生の名前は王さんといい、当時、上海の虹橋体育館で指導を受けた。

開式から明らかに孫式形意拳であるとわかる。

先生からの紹介状をもって、北京の孫剣雲老師のご自宅を訪ねてお昼ごはんをご馳走になっとき、あなたの先生は私の兄弟子の(…以降記憶不明)と北京語で聞いた記憶がある。

孫剣雲老師の兄弟子とは王樹金老師にあたり、王樹金老師の子は王福来老師となる。

王福来老師をググると、私の先生である王さんではない。

しかし、雰囲気や、顔のつくりが似ている。

推測ではあるが、私の先生は王福来老師と同じ一族の人かも知れない。

しかも孫剣雲老師と親しい関係であったということは、王樹金老師のご子息の一人かも知れない。

今となっては推測の域は出ないが。

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三行詩 第五十七章(里仁第四)


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○日曜日の朝、10月16日、ウオーキング

 

「皮膚が秋冬形態に移行済みの為、十月で28度を越える暑さに戸惑っている」

 

「明日から21度くらいらしい、今日の暑さはやり過ごそう、皮膚よ頑張れ」

 

「秋の花粉でアトピーがぐずり出している、気温の変化についていけない」

 

#自由律

 

○日曜日の朝、マクド

 

「早々にマクドへ、資格勉強に取り組む、過去問、過去問、あゝ過去問」

 

「混んでいる、行列だ、まあここまで来たには朝食は食べて帰ろう」

 

「近くのコーヒー店も値上がり、一杯五百円を越えた、ため息しか」

 

#自由律

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○日曜日の午前、自宅

 

最近、Twitterを止めようと思うこと、しばしばなれど思い直す。

癌で亡くなられた方の最期のツイートを拝見する。

 

『あなたの世界は輝いています

 

いつか等しく終わりがくるから

 

楽しんで下さいどうかどうか』

 

Twitterとはもの凄い。

御冥福をお祈りいたします。

 

#自由律

 

○日曜日の午後、ウオーキング

 

金木犀の香りはあまり好きではない、嫌な記憶と結びついている」

 

「生まれ育ちではなく、自らの力で戦える様になってからの方が好きだ」

 

「少年時代とは時に残酷であり理不尽さに満ちている、今が一番だと思う」

 

#自由律

 

○日曜日の夜、自宅

 

「座禅をくむ、臍から下に集中して腹から上をちょこんと載せる」

 

「学問を修養し、仁徳を体得しようと志す人、『志士』こそ我が目指すところ」

 

「齢五十にして学問の道を志し早二年、未だ至らぬ我が身なれど充足の時来たれり」

 

#自由律

 

○月曜日の朝、通勤

 

「子曰く、出でては則ち公卿に事え、入りては則ち父兄に事う。子罕十六」

 

「世に出ては人に仕えて政を行い、家では父母を大切にして敬う」

 

「孔夫子は忠孝を説かれた、人として当たり前のこととされた」

 

#自由律 #論語

 

○月曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、忠信に主しみ、己に如かざる者を友とすることなかれ、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。子罕二十五」

 

「義を重んじ己を誠とする人を友とせよ、足らず過ぎる人とは近づかないこと」

 

「過ちは速やかにに訂正すること、後回しは禍根を大きくするのみ」

 

#自由律 #論語

 

○月曜日の夜、自宅

 

「子とメガドラミニ大魔界村に挑戦する、無敵コマンド入力から難しい」

 

「親子で苦心惨憺してコマンド入力成功する、二人でガッツポーズ」

 

「甘かった、無敵でもガンガン死ぬ修羅のゲーム、BGMは良いなと親子で共感する」

 

#自由律

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○月曜日の夜、自宅

 

「子より形意拳の虎撲子を教えてほしい、父は入門時に三体式のみを一年練習したと答える」

 

「教えるのは容易い、五行拳が出来れば十二形拳は応用だ、だが三体式あってこその五行拳だ」

 

「父は壁拳のみを二十年練習した、同じ系統の虎撲子は出来るが、子には早すぎる」

 

#自由律

 

○火曜日の朝、通勤

 

「子曰く、仁に里るを美しと為す。里仁一」

 

「仁の徳を得てのち、仁を実践する、美しいことではないか」

 

「孔夫子はいわれた、忠恕であること、その為に一生学び、得た仁を広げること」

 

#忠恕/己を誠にして人を思いやる

#自由律 #論語

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「択びて仁に処らず、焉んぞ知たるを得ん。里仁一」

 

「自らの意思で仁を為そうしない、そのような人が物事の是非を知り得ようか」

 

「物事の中心に仁があってこそ、世の中に善いことが広がる」

 

#自由律 #論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

「子曰く、不仁者は以て久しく約に処るべからず。里仁二」

 

「不仁の人とは、自ら不幸を背負い、不安と恐怖から離れることがない」

 

「自分さえ良ければいい人とは、孤独で寂しく、得た小利を守る為に攻撃的な言動が多い」

 

#自由律 #論語

 

○水曜日の夕方、通勤

 

「以て長く楽しきに処るべからず。里仁二」

 

「また、(不仁の人とは)富や名誉を得たとしても、仁無き故に驕り高ぶりて全てを失う」

 

「仁無き人とは、なんと哀れなことか、不安と恐怖に追われ、楽しみも長くは続かない」

 

#自由律 #論語

 

○水曜日の夕方、電車内

 

「仁無き人とは、なんと私たちなのだろうか、常に不安と恐怖が側にいる」

 

「苦しいときは鬼になり、楽しいときは驕り高ぶる」

 

「故に、忠恕の心を離してはいけない、仁こそ人の根本、人を尊ぶこと」

 

#自由律

 

○木曜日の朝、通勤

 

「仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。里仁二」

 

「仁を実践する人とは、如何なる時間、場所、場合でも仁から離れることがなく常に安らいでいる」

 

「一方、智を得た人は仁の安らぎを知り、心乱れることがない」

 

#自由律 #論語

 

木曜日の朝、乗り換え

 

「いつもの二人組が車内の横に立つ、小声で囁やきあっている」

 

「悪だくみか、いや、共通の上司のことを罵っている」

 

「今日は本当に小声だ、近寄る、次は人事移動の噂らしい、二人とも怯えている」

 

#自由律

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○木曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、唯仁者能く人を好み、能く人を悪む。里仁三」

 

「孔夫子はいわれた、仁の人とは善も悪もその姿を正しく見ることが出来る」

 

「故に、仁を得た人だからこそ、人を善へと導き、人の悪を善へと至らしめる」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

「子曰く、富と貴きとは、これ人の欲する所なり。その道を以てせざれば、これを得るも処らざるなり。里仁五」

 

「富や名誉は皆大好きだ、しかし、仁によって得たもので無ければ続かない」

 

「根本に常に仁があるのであれば、付随する富や名誉は受け取る」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の夕方、通勤

 

「貧しきと賤しきとは、これ人の悪む所なり。その道を以てせざれば、これを得るも去らざるなり。里仁五」

 

「貧しさや身分が低いことを人は嫌う。しかし、それが仁であればなんら恥ずべきことはない」

 

「忠恕により貧しい、身分が低い、これも立派な道といえる」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の夜、自宅

 

「昔からの朋友が集まり、今夜、酒席を共にする」

 

「馬鹿話しに花が咲き、真実を少し含みつつ大笑いで盃を干し合う」

 

「どいつもこいつも良か男ぶり、次の再開を誓いつつ乾杯してそれぞれに別れた」

 

#自由律

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○土曜日の夜、自宅

 

「夕方、子とラグビー形意拳の練習をしに大グラウンドへ」

 

「パスとタックル、のち劈拳と崩拳を練習する」

 

「足さばきを中心に教える、打拳ばかりに気が入り、捻りも溜めもなってない」

 

#自由律

 

所感)

論語

これまでランダムで論語の章句を自由律へ意訳してきたが、今週より改めた。

論語は学而第一から始まり二十篇で構成されている。

これまで、学而第一、為政第二、八佾第三(前半)を当ブログにて意訳したものを載せた。

八佾第三の後半も終わっているが、当分は見直しに集中したい。

次は、里仁第四の意訳に取り組む予定であったが、正直、資格勉強に追われ時間が取れない。

ならば通勤時間でツイートしている自由律を、里仁第四の最初から順にしていくことに決めた。

里仁第四の次は公冶長第五へ、全二十篇を順に全て自由律で意訳し、自らどう思うのか考えていきたい。

当然、自らの考えのみでは本来の姿から逸脱する可能性がある為、答えあわせのテキストとして、「明治書院刊行、新釈漢文大系1 論語 」を参考としている。

 

■現状

「齢五十にして学問の道を志し早二年、未だ至らぬ我が身なれど充足の時来たれり」

学問の道が、一つ、新しいところへ行く(進む/退く、は不明ながら)。

過去の高名な学者先生が遺された本や、同門の先人を過剰に意識し、褒め称える鎖自体を捨てた。

 

「基本の徹底」こそ我が信条。

 

儒学とは、「論語」と「孟子」で成りたっている。

この二書以外に気にしなければならない諸々の権威や先輩方が、正直この世界は多過ぎる。

 

そもそも「足らず」も「過ぎる」も中庸から遠ざかる、とは儒学の教えだ。

私は、多くの書や人に阿り過ぎ(自ら客であろうとし)、学問としての主を名著や他人に任せる愚に過ぎた。

 

■今後

もちろん、二書以外の四書五経朱子学陽明学を批判し、また古義学を全肯定するほど愚かではない。

二書をとことん学び、考えて、自らの考えを養ってから戻り、再び学ぶのだ。

 

■雑感

一方、東洋思想に区切っても、次々と儒学経書や次いで老荘思想を学ぶ人たちがいる。

彼ら(彼女ら)は優秀であり、頭脳明晰、天から選ばれた人たちだ。

私は、読み物としては老子荘子を読んだが、学問としては未だ理解出来ずにいる。

 

ネット上や巷によく、「孔子は固っ苦しいから老子が良い」との言葉を聞くが、私的には大胆過ぎる言葉だ。

二年、儒学を学んでも孔夫子の教えを実践出来ず、理解の遅さに歯噛みしている身からすれば、

「孔夫子は固っ苦しい」と一文で片付けれる大胆さんには舌を巻く。

さらに「老子が良い」とは凄すぎる。

形而上学的な老荘思想を理解出来、「良い」と一言で表現出来るとは、モーツァルトゲーテ級の天才だ。

 

■結論

「学問を修養し、仁徳を体得しようと志す人、『志士』こそ我が目指すところ」

在野で、老子を学問として真剣の取り組まれている方を知っているが、難解であり、一生を捧げて勉強しても「足らず」とされている。

同様に易経も同じく、難解極まるらしい(難解さを表現すら出来ない)。

要は、学問とは真剣に学べば学ぶほど「沼」なのだ。

上記を踏まえれば、二書(論語孟子)に限定しても、尚、巨大な山脈が目前に広がっている感は否定出来ない。

学問の進み具合によっては、全二十ある論語も学而第一から郷党第十に限り、繰り返し学ぶのもありかも知れない。

三行詩 第五十六章

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○日曜日の夜、10月9日、自宅

 

礼記にあの原壤が現れた、相変わらずの礼を無視した野人ぶり、と」

 

「原壤の母が亡くなる、貧しい原壤の為に、孔夫子は葬式の世話や面倒を見られた」

 

「孔夫子の幼なじみであり、野人ではあるが何処か愛すべきものがあったのだろう」

 

#自由律 #礼記

 

○日曜日の夜、自宅

 

「楽とは、心から生まれ、心の様々を表したものが音楽だ」

 

「治世であれば穏やかな音色、乱世であれば怨み荒ぶる音色、楽とは、時の政を、民の心を表す」

 

「礼により尊び(お互いに気付き)、楽により親しむ、礼楽として合わせることが人欲を抑え天理の為に必要なのだ」

 

#自由律

 

○月曜日の朝、ウオーキング

 

「私は孟子を好むが、論語との差はなんであろう」

 

孟子の文章は格好良い、しかし刺々しさがあり、時に相手をへこましている」

 

論語は穏やかで相手を包み込む、どちら仁であるか、やはり明白だ」

 

#自由律

 

○月曜日の朝、森の中

 

「子曰く、三人行めば、必ず我が師有り。述而二十一」

 

「優れた人に出会えば優れたところを取り入れ、劣った人に出会えば自らを省みる」

 

「師というものは、主は学ぼうとする自分にあり、出会いは客に過ぎない」

 

#自由律 #論語

 

○月曜日の朝、雨の振る森

 

「死の際まで横に置きたい本とはなんであろうか」

 

「気付く、頼るのは本ではない、何を以て生きてきたかを問うている」

 

「生ある限り学ぼうとする姿勢こそ解であり、最後まで学ぶ(戦う)のだ」

 

#自由律

 

○月曜日の午前、森の中

 

「進む(学ぶ)ことに疲れ、日々を食う寝る働くで終わる」

 

「別にそれでも生きていけるし、最後は同じ骨と灰だ」

 

「哲学、思想、宗教、他の拠り所には困らない、その中で儒学とは学ぶことだ、最後まで学ぶ」

 

#自由律

 

○月曜日の午前、ウオーキング

 

「途中マクドで朝食、何となく暖かい、三連休最終日」

 

「休日の日課に戻ろう、資格と儒学の勉強、夕方は子とラグビーの練習へ」

 

「金がないので何処も行かないが充実はしている、あとは嫁さんのご機嫌のみ」

 

#自由律

 

○月曜日の夜、ウオーキング

 

「連休最終日、更年期、原因不明ながらも心が晴れない、鬱なのか」

 

「経験値から言えば、こういう時は考えても無駄、無駄、無駄だ」

 

「することは簡単だ、ひたすら歩くのみ、心と身体が一つになるまで暗闇を歩き続けている、負けるのは嫌いだ」

 

#自由律

 

○月曜日の夜、ウオーキング

 

「ふと、前職で経営者からこっ酷いパワハラを受けたときを思い出す」

 

「深夜の大グラウンドで一人、朝の三時まで形意拳の五行拳を練習した」

 

「家族持ちとは、仕事で負けても心が負けてはいけない、最後まで戦え」

 

#自由律

 

○月曜日の夜、ウオーキング

 

「十数年前、アトピーで全身の皮が剥け、阪南中央病院に53日入院した」

 

「その時も、微風でも全身激痛ながらも病院の屋上で、三体式から始めた」

 

「私にとって、形意拳とは心の根底にある最後の砦かも知れない」

 

#自由律

 

○火曜日の朝、通勤

 

「誰か能く出ずるに戸に由らざらん、何ぞ斯の道に由る莫き。雍也十七」

 

「最近は、忠恕を疎かにして仁の徳を省みない人が多い、戸から家を出るようなものなのに」

 

「人としての基本的な心構えを省みない小人が、世の中で幅を利かすことを孔夫子は嘆かれた」

 

#自由律 #論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「人を人足らしめる礼もなく、自分さえ良ければ良い人を多く見かける」

 

「弱肉強食、弱者を自己責任と蔑む風潮がマスコミや政府ですら見かける」

 

「我は孔夫子の門に連なる者である、今日も自らの仁を広げ、周囲に忠恕を及ぼすのだ」

 

#人を蔑む→人を思いやる

#自由律

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「君子に三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。季氏八」

 

「君子とは三つのことを畏れ尊ぶ、天命、大人、聖人の言葉」

 

「不条理な世の中ではあるが、人知を超えた天の存在を信じ、常に畏敬の念を忘れることはなかった」

 

#自由律 #論語

 

○水曜日の朝、通勤

 

「子曰く、詩に興り、礼に立ち、楽に成る。泰伯八」

 

詩経を学び古えの良き時代を学び、礼に基づき自らを確立させ、音楽を聴き心の穏やかさを得る」

 

「孔夫子は、詩、礼、楽により人として大切なことを学ばれた」

 

#自由律 #論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「ふと、かけうどんが食べたくなったが、太るのでやめとこう」

 

「電車内で若いのが二人、奇声をあげて笑っている、イラ」

 

「早朝の通勤電車とは、生活に疲れた通勤客と電車音以外は静まり返るべきだ」

 

#自由律

 

○水曜日の朝、電車内

 

「資格勉強、スキマ時間も勉強に充てていく、通勤中は過去問アプリ」

 

「仕事中は、デスクにテキストを広げて空いた時間は目線はここ」

 

「帰宅して、自室に入ったら過去問を常に横に置く、四の五の言うてられない」

 

#自由律

 

○水曜日の夕方、通勤

 

「古者の言を出ださざるは、躬の逮ばざらんことを恥じればなり。里仁二十二」

 

「昔の人とは、一度口にしたことは必ず行う、これを成すに自らの命をも懸けた」

 

「故に、言葉は少なくして、自らの力を養うことに日々努めたのだ」

 

#自由律 #論語

 

○木曜日の朝、通勤

 

「益を求むる者に非ざるなり。速やかに成らんことを欲する者なり。憲問四十六」

 

「有能な人間になりたい、よりは早く一人前として認めてもらいたいと思っている子だな」

 

「村で見かけた子供をみて、孔夫子がいわれた言葉」

 

#自由律 #論語

 

○木曜日の夕方、通勤

 

「已んぬるかな、吾未だ能くその過ちを見て内に自ら訟むる者を見ざるなり。公冶長二十七」

 

「孔夫子はいわれた、どうしようもない、今の世で過ちを見て自らを省みる人を見たことがない」

 

「孔夫子をして「已んぬるかな」、と言わしめた世の中は今も続いている」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

「曰く、人にして恒なければ、以て巫医と作るべからずと。子路二十二」

 

「人として穏やかで安定している所が無ければ、医師や巫人になるべきではない」

 

「別に孟子に『恒産なくして恒心なし』とあり、恒を人としての大切な資質とした」

 

#恒/常に安定している

#自由律 #論語

 

○金曜日の夕方、通勤

 

「寝ぬるに尸のごとくせず、居るに容らず。郷党二十」

 

「屍のように寝ることはないが、家に居る時は所作は正しくも寛がれていた」

 

「孔夫子の日常を垣間見ることが出来る、伸びやかな様子が伝わってくる」

 

#自由律 #論語

 

所感)

論語

毎日二回、朝夕に論語の章句を読んで考えている。

結果(文章、自由律)ではなく、行動(考える)にこそ意味があると信じている。

 

古今、四字熟語や名言となった有名な章句ばかりではなく、日常の風景を述べた章句にも味わいが深く、じっくりと考えていきたい。