四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第五十八章(里仁第四)

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○日曜日の朝、10月23日、ウオーキング

 

「元から独学であったが、蛇足が消えて気分すっきり爽やかだ」

 

「迷いなく、真っ直ぐ進む、学問も形意拳と同じく基本を徹底する」

 

儒学の基本であり、根本である論語を全文、白文から意訳してみよう」

 

#自由律

 

○日曜日の朝、マクド

 

「さて、日課となったマクドで朝食のち資格勉強へ」

 

「結果を夢見るより、過去問を1問でも解くとしよう」

 

「過程こそ物事の真実であり、流れる水であり続けること、留まるな」

 

#自由律

 

○月曜日の朝、通勤

 

「君子仁を去りて悪にか名を成さん。君子は食を終うる間も仁に違うことなし。里仁五」

 

「君子が仁から離れてどうして君子であろうか、君子とは例え食事中でも仁から離れることはない」

 

「常に仁であるとは、孟子にいう、浩然之気を養うことともいえる」

 

#自由律 #論語

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

「風邪、薬のせいか眠たい、座れば5分ほど車内で意識が消える」

 

「今日の方針は職場で休養、ゆっくりと休もう」

 

「駅のトイレも行列だ、皆同じ表情を浮かべている、犬とか猫もこんな顔だ」

 

#自由律

 

○月曜日の朝、電車内

 

「電化製品を積み上げ、大きなトランクを抱える家族連れ、中国語だ」

 

「この時間の空港行きは、途中前後に電車が別れてややこしいが正解だ」

 

「欧米人とか、よく間違えたまま乗っている、車掌さんも乗客も何も言わない」

 

#自由律

 

○月曜日の夕方、通勤

 

「造次にも必ず是に於いてし、顛沛にも必ず是に於いてす。里仁五」

 

「忙殺されるほど忙しかろうが、思いもかけず転倒しようが仁から離れることはない」

 

「四字熟語「造次顛沛」の語源、令和の世にこの熟語を使う人を見たことは未だない」

 

#そうじてんぱい

#自由律 #論語

 

○月曜日の夕方、乗り換え

 

「組織から高齢の熟練者(叩き上げ)がどんどん引退する、不安しか感じない」

 

「貴重な中堅はますます業務が切迫し、若手はきちんと教育を受けれない」

 

「叩き上げの五十代が組織で不足している、過去にリストラで放り出した付けが、じわじわと忍び寄る」

 

#自由律

 

○火曜日の朝、通勤、

 

「子曰く、我未だ仁を好む者、不仁を悪む者を見ず。里仁六」

 

「孔夫子はいわれた、仁を好み実践する人、不仁の行いを憎む人を未だ見たことがない」

 

「そして、本来の仁の素晴らしさ、不仁を憎むことの大切さを次項で説かれる」

 

#自由律 #論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「駅構内で、ケンシロウとユリアそっくり(服装)の人を見かける」

 

「脳内に「愛をとりもどせ!! 」のサビがリフレインしている」

 

「YouはShock 愛で空が落ちてくる〜、今日は北斗の拳風にキャラ変してみよう」

 

#クリスタルキング

#自由律

 

○火曜日の朝、電車内

 

「例の二人組が会話している、昨夜は残業して今週は辛いらしい」

 

「今週はどれだけ忙しいのか、お互いに競い始めた」

 

「そして会社批判で落ち着いた、曰く、ストーリーが出来ていないらしい」

 

#自由律

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「仁を好む者は、以てこれに尚うることなし。不仁を悪む者は、それ仁を為すなり。里仁六」

 

「仁を好むとは人として無二の徳を得ているし、不仁を憎むとは仁であると等しい」

 

「好む憎む共に中庸の徳を以って行うことこそ仁であり、好む憎むは枝葉に過ぎない」

 

#自由律 #論語

 

○火曜日の夕方、乗り換え

 

「好むとは仁と成り得る、不仁を憎むとは中庸を以ってせねば、過ぎる」

 

「不仁を憎むことが正義ではない、義とは、まず自らの是非を明らかにすることを一とする」

 

「全てを仁に帰するのが正義であり、不仁・不義の人を叩きのめすこととは仁に遥かに遠い」

 

#自由律

 

○水曜日の朝、通勤

 

「不仁者をしてその身に加えしめず、能く一日その力を仁に用いることあらんか。里仁六」

 

「どんな不仁の人とはいえ、一日あれば仁を思い、仁を実践しない訳がない」

 

「前項の不仁を憎むことから派生して、仁徳とは全ての人の根底にあると孔夫子は説かれた」

 

#自由律 #論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「夜、寝る前に座禅をしている、半跏で脚を組み、臍下に重心を置いて背筋を伸ばす」

 

「数息観も呼吸法もなし、脳みそが停止するまで腰を据えて背中を伸ばす」

 

「良いのか悪いのかわからない、ただ気付くと大きく舟を漕いでいてそのまま布団の中へ」

 

#自由律

 

○水曜日の朝、電車内

 

「いつもの二人組は喧嘩したらしく、メガネ男はわざと無視して他の人と話している」

 

「相方のノッポ男は、スマホを見ながら二人組を見ている、今、下を向いた」

 

「メガネ男はわざとらしく笑い、見せつけている、第三の男はうなずいた、会話はよく聞こえない」

 

#自由律

 

○水曜日の朝、通勤路

 

「昨日、前同僚のMr.Sと話す、氏は有能だがモラハラを生き甲斐としている」

 

「追い出した同僚は片手を越える、故に有能だが未だにヒラのままだ」

 

「関係は良好だ、私にはモラハラは効かない、キレて呼び出した過去がある」

 

#自由律

 

○水曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、民の過つや、各々その党に於いてす。里仁七」

 

「孔夫子はいわれた、民の不仁の行いとは、生まれ育った場所によりその大小がはっきりと別れる」

 

「教育により仁の徳は養われるものであり、学問による徳治政治の大切さを説かれた」

 

#自由律 #論語

 

○木曜日の朝、通勤

 

「子曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。里仁八」

 

「不仁、不義が横行し、民が苦しむばかりの世の中故に、古の聖王(堯・舜)の様な人物が世に現れれば思い残すことは何もない」

 

「大舜とは、善いことを好み、呼吸するが如く善いことをした聖人のこと」

 

#自由律 #論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「発車待ちつつ睡魔に襲われ壁に持たれた、街に鳴り響くサイレンを聞く」

 

「ふっと意識消えて膝カックン、乗り過ごさぬよう扉前に仁王立つ」

 

「いつもの二人組、メガネの自慢話のちノッポの逆襲、眠たくて会話が頭に残らない」

 

#自由律

 

○木曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与に議るに足らず。里仁九」

 

「学問の道を歩み、志に仁を掲げながらも粗衣粗食を恥じるようでは、私(孔夫子)の下で学ぶに足らない人だ」

 

「道に志すとは、天と同じく我が一身を仁たらんと目指すこと」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

「子曰く、君子の天下に於けるや、適もなく、莫もなし。里仁十」

 

「君子、天下のことを論ずるとは、是非もなく、ただ、仁に基づき礼が行われ義に省みるのみ」

 

礼記に、仁礼義の三徳を得た人とは天下をも平らかにするとある」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の朝、乗り換え

 

「自宅のネットが遅くなったので電話したら機械を取り替えてくれるらしい」

 

「終末端末(ONU)の名称すら初めて知る、何となくSF的な薫りがする名称ではないか」

 

「ネットに強い田舎のNに請求書から何やら全て画像でおくり、教えてもらう」

 

#自由律

 

○金曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、君子は徳を懐い、小人は土を懐う。君子は刑を懐い、小人は恵を懐う。里仁十一」

 

「君子は天下の為に仁徳の実践を思い、小人は郷里での生活を思う」

 

「君子は世の中に礼(規律)が行き渡るにはどうすべきかを思い、小人は何処かでお恵みがないかを思う」

 

#自由律 #論語

 

○金曜日の夕方、乗り換え

 

「今週も疲れた、仕事は捗った、昨日セガミニ2がきた」

 

「リアルタイムにゲーセンでしたアウトランアフターバーナーがこの手に」

 

レトロゲームは良いものだ、当時を思い返しながらも即ゲームオーバーだ」

 

#自由律

 

○金曜日の夜、自宅

 

「不思議だ、孟子の狂が、孟子の怒りが、心の根から消えている」

 

「孔夫子の教えとは実践を第一とする、机上の空論を認めない」

 

「根は自らにあり、学問の道とは天にある、学べば学ぶほど自らは天に近づく」

 

#自由律

 

○金曜日の夜、自宅

 

「怒りとは何か、理不尽なこの世界そのものではないか」

 

「だからどうした、と孔夫子は世界を肯定する、だからこそ肯定する」

 

「仁とは、悲しみも、哀しみも、苦しみも、全てを優しさで包み込む、孔夫子は間違ってはいない」

 

#自由律


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○金曜日の夜、自宅

 

「この世界は輝いてる、輝いている、ここが生き物の終着点らしい」

 

「一生懸命生きるとは、輝きを放っている、ことらしい」

 

「光の中では、光輝いても気付かない、そして暗闇に呑み込まれないこと」

 

#自由律

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○金曜日の夜、自宅

 

「望むこと、マイノリティ、開き直り、Yes、他人と同じに吐き気がする」

 

「知らない、アイデンティティ、開き直り、No、他人ばかりの孤独感」

 

「我が子、オール・オブ、なんだこの存在は、Hahaha、ありがとう」

 

#自由律

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○土曜日の夜、自宅

 

「子、ラグビーの試合で負けた、三年生は最期の試合で大泣きしたとか」

 

「夕方、子と形意拳の練習、流派ごとに形が違うことを聞かれる」

 

形意拳とは三体式に根本があり、基本の壁拳から様々に形が派生することを伝える」

 

#自由律

 

所感)

形意拳

自分が習った形意拳の流派を調べてみた。

二十五年前の記憶を遡る。

先生の名前は王さんといい、当時、上海の虹橋体育館で指導を受けた。

開式から明らかに孫式形意拳であるとわかる。

先生からの紹介状をもって、北京の孫剣雲老師のご自宅を訪ねてお昼ごはんをご馳走になっとき、あなたの先生は私の兄弟子の(…以降記憶不明)と北京語で聞いた記憶がある。

孫剣雲老師の兄弟子とは王樹金老師にあたり、王樹金老師の子は王福来老師となる。

王福来老師をググると、私の先生である王さんではない。

しかし、雰囲気や、顔のつくりが似ている。

推測ではあるが、私の先生は王福来老師と同じ一族の人かも知れない。

しかも孫剣雲老師と親しい関係であったということは、王樹金老師のご子息の一人かも知れない。

今となっては推測の域は出ないが。

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