土曜日の夜、
「孫子を読んでいる、戦史と絡ませて読むと途方も無い世界広がる」
「抽象概念的に解釈する孫子の曖昧さ、哲学的な孫子の崇高さは正直さっぱりわからない」
土曜日の夜、
「中国古典新書、戦国策(上・下)を購入する(古本屋ネット)」
「明徳出版社、故に外れなし(と思う)、白文、書き下し文、現代語訳で構成」
「明治書院版も欲しいが、高すぎる、平凡社の中国文学大系と迷うも決め手は白文付き」
土曜日の夜、
「さて深夜、今夜は李卓吾をじっくりと読むとする」
「読書のお供は吉川弘文館の『世界史年表・地図』、ノートと鉛筆」
「年代や地名が出る度に、開く年表と時代地図、わからないことはメモ」
土曜日の夜、
「李卓吾、通読終わる、不可解なり」
「李卓吾の思想ではなく、狂狷者との言動、生き方メインで、何が作者は言いたいのか」
「あとがきに、中国への関心を持って欲しい、がメインテーマとしか(不可解なり)」
土曜日の夜、
「陽明学の基本的な説明が、読み終える位の後ろに少しあり、え、ようやく」
「この本は題を間違えている、「吉田松陰と李卓吾、周囲からみた人間像とその晩年」が本の内容」
「筆者の読者モデルは、中国思想の知識がない人向け、しかし李卓吾は普通の人は読まない」
土曜日の夜、
「読み終えても、一向に李卓吾がわからない(浅学非才の我が身故かも知れないが)」
「岩波新書の「朱子学と陽明学」の短い文章の方が、より李卓吾をわかりやすく述べていると思う」
「モヤモヤが溜まる(もう朝の三時)、もう少し岩波新書を読んで寝るとする」
日曜日の朝、
「司馬遼太郎・ドナルド・キーン共著日本人と日本文化 (中公新書 285)を購入する」
「レビューによれば『日本人のモラルの基礎に儒教があるかどうかに関して』の対談とのことで興味を持つ」
「古本であれば、ほぼ送料のみで入手出来る良い時代になったなと思う(楽しみ)」
日曜日の朝、
「結局徹夜で読書(「朱子学と陽明学」岩波新書)して朝を迎えて空腹で眠れぬ」
「朝マックへそっと家を出る」
「正直よく理解していない朱子学も陽明学も(宋明理学とは難解過ぎる)、四書五経を読み込まねば無理なのだろうか」
日曜日の朝、
「暴論ながらも、儒学とは、『惻隠の心は仁の端なり』(孟子)と『万物一体の仁』(程明道)、で充分ではなかろうか」
「人を思いやる心・あわれむ心、学問の道とは仁の心を身につける、広げること」
「そこから三綱領八条目へ、ああ、中庸も重要だ、いや、易学の世界観も…」
日曜日の朝、
「私にとって儒学とは、孟子(からみた孔子)」なのでまだわかり易いが、ガチで易学や宋明理学を学ばれている方は、凄いを越えて怖さすら感じる」
「朝マック到着する、たらふく食べて帰って寝よう」
日曜日の午前、
「古本セールでシェイクスピア『じゃじゃ馬ならし・空騒ぎ』を発見する」
「未読の作品故にラッキーだ、李卓吾のモヤモヤを晴らすとしよう」
「シェイクスピアもかなりの「沼」とわかっているが、儒学の「沼」で溺れている中、藁でも掴む、購入する」
日曜日の午前、
「お気に入りの陽当りの良いベンチで日向ぼっこ」
「パラパラと捲るシェイクスピア」
「今日も読書で終わりそう、不満げな家族の動向に注視する必要あり」
日曜日の夕方、
「AmazonPrimeでアニメ「平家物語」を観る、重盛がかっこよくて面白い」
「登場人物をWikiで開きながら観ていると面白い(脱線しまくるが)」
日曜日の午後、
「午後から食べ過ぎで体調を崩し寝床に伏せる」
「お腹が空いたら体調戻るも無理は禁物、若くない(腹ごなしにまた歩く)」
「家族と読書とウオーキングで良き週末であった、今夜は早く寝よう」
日曜日の夕方、
「いつもの場所で深呼吸、心に溜まった人の毒抜き完了する」
「人は、自らが発する心の毒で自らの心を傷つけている」
「人とはなんと哀れな生き物か、せめて念仏でも唱えるとしよう」
月曜日の朝、
「気温二度で寒い・暗いしかも月曜日とか」
「今週は水曜日が祝日だやる気スイッチON」
「諸行無常、道化演じて花よ夢よと髑髏今日も嗤う」
月曜日の朝、
「平家であらずば人であらず、海の藻屑、海の底にて迎えるは誰ぞ」
「ギラギラする太陽の様な人がいた、やがて肉は腐り骨は焼かれた」
「夢見る夢子さん夢夫くんは夢の中で夢を今も見続ける」
#狂歌
月曜日の朝、
「今ここに立つ、いつかは立たない、病室の天井を眺めている、その先」
「永遠に苦しむがよい、人よ、永遠なる者への信仰を失ったばかりに」
「まあまあまあ今日は皆さんぱーっと行きましょう、明日など忘れて」
#狂歌
月曜日の夕方、
「今日は今から市の無料健診を受けに地元の病院へ」
「肝炎ウィルス、大腸ガン、前立腺がんの検査」
「会社の健診で肝臓が引っかかり、無料ならついでにと大腸と前立腺も」
月曜日の夕方、
「学問の道、そうか広げ過ぎたのだ、孔孟をじっくりと学ぼう」
「先生のtweetは常の指針、今回も救われた、ありがとうございます」
月曜日の夜、
「…筆写、筆写、筆写、やはり詰まる大好きな孟子でも(身の丈に合わず楽しめない)」
「アドバイスいただい先生や先輩方には申し訳ないが、いきなり孔孟、でなくても良い」
「筆写は小学から始める、これなら書き下し文でも理解出来そう、背伸びは止めた、現実に向き合おう」
火曜日の朝、
「何を怒っているのか、まさか墓場まで持っていけるとでも」
「貸したものは与えたこと、よりは返せと思う気持ちこそ鬼、鏡に映る己の顔を見よ」
「忘れるとは、人に与えられた長所であり救いでもある(借りた方にも、そして貸した方にも…)」
火曜日の朝、
「良く生きることとは、運命に逆らわず、素直に己の領分をわきまえること」
「君はシーザーか、あるいはアウグストゥスとでも、よく鏡を見るがいい、何処にでもいる老人にしか過ぎない」
「神への感謝の心はなくとも、この世界を創造した存在への敬意はあろう、祈りたまへ」
火曜日の午後、
「さあ、明日はお休みだ、帰って小学の筆写を進めよう」
「前回読んだ時よりも理解が進む、儒学関連の中公新書や岩波新書を読んだ甲斐はあった模様」
「週末に買った本がそろそろ来る頃か、戦国策と司馬遼太郎、楽しみ」
火曜日の午後、
「三十代、ストア哲学にハマった時期があり、今朝はセネカの倫理書簡集の言葉が頭の中でリフレインする」
「岩波書店「セネカ全集」は、1、5、6、のみ、残りはそのままに」
「今の価格では手が出ない、あの時買っておけば良かったと、少し後悔」
#自由律
火曜日の夕方、
「岩波文庫の「自省録」は、繰り返し、繰り返し、憑かれたように読んだ」
「悲しいとき、楽しいとき、悔しいとき、嬉しいとき、常に側にあった」
「故に、セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス、ストア哲学とは良いものだと今でも思う」
水曜日の午後、
「昼から目眩収まらずもウオーキングへ血圧か、帰宅したら計ってみよう」
「五十肩、夢でも痛み、引っ張ると、スポッと腕抜けサイコガン」
「くらくらする、やはり帰ろう、食欲ないのは良くない兆候」
水曜日の午後、
「コンビニでコーヒー買うも声が小さく、三度きかれる」
「お酒飲まずで、二日酔い、くらくらしていて千鳥足、帰ろう家に」
「深呼吸して呼吸整え丹田に、腰を落として肩の力を抜く」
水曜日の午後、
「うん、効いた、くらくらは収まらぬが気が戻り、食欲も戻る」
「腹ごなしと、血圧を下げる為、ゆっくりと歩き続けよう」
「今寝込むと夜眠れぬ、寝れば治る安直さは老いには効かぬ」
水曜日の午後
「ドットの世界に旅立ったファミコン世代の一人として、こういう曲はたまに聴きたくなる」
「ファミコン版ウィザードリィや女神転生の音楽などは典型ではないか」
「ファミコン音源の同曲を聴くと、あの世界に再び帰ってきたかのような気になる」
#自由律
水曜日の午後
「若い人の音楽はとんと聴かない、ただたまに偶然聴く(You Tubeで指が当たる)と、良いものだなと思う」
「ただ、どうせ聴くなら、サザンや長渕、B'zになってしまう」
「子に聴かせると、今、小学校では流行ってはいないと言う、もったいないことだ」
#自由律
水曜日の午後、
「家族への土産にマクドでポテトを買う」
「帰り道は、ショスタコーヴィチ/チェロ協奏曲第一番を聴きながら」
「二時間歩き、心も身体も整った、よし、明日からも戦える」
水曜日の夜、
「いわゆる、ハマる、時間が溶ける、人とは音なのだ」
「この「THE FIRST TAKE」というYouTuberチャンネルは良いと思う」
「私のような流行り知らず、クラッシックばかり聴く人間には大変ありがたい」
木曜日の朝、
「奇妙な夢を見る、田舎のNが登場し駅前でマントを羽織っている」
「Nは言う、久しぶりだなAよ、おれはクリスタル・ボーイだ」
「Nはそういうとマントを投げ捨てた、残念ながら彼は透明ではなかった」
木曜日の朝、
「小学は心にすっと入る、論語古義は論語を一文ずつ解説している故に仁斎先生に直接指導を受けているかのように写経する」
「二書とも、今までにない形で腑に落ちる、あとは継続だ」
木曜日夕方、
「ウクライナ紛争、最悪の事態へ、この世界とはなんと暴虐無道なことか」
「各々の正義という曖昧なものの為に戦争がおこるのであれば、正義など無い方が良い」
「戦後七十七年、歴史の何を学んだのか、今、この瞬間も空爆、侵攻が進む、戦争に反対する」
木曜日の夜、
「楽しみにはしていたが、開戦の日の今日は心乱れて読む気になれぬ」
「しばらく本棚で寝かせるとする、願わくば、市民に犠牲者が出ませんように、戦争が早く終わりますように」
金曜日の朝、
「寒い、眠い、暗い、なんという不愉快な朝なこと(鴉の鳴き声)」
「深呼吸、自らの仁の心、昨夜の仁斎先生の言葉(論語古義)」
「論語、一句一行の意味を深く考えること、伊藤仁斎先生に学んで良かったと思う」
金曜日の午後、
「今週終わる、晩飯はカレーとのこと」
「今晩は気合い入れて、朱子の小学と論語古義の写経に取り組もう」
「何かに集中する、集中出来ることは幸せかも知れない」
土曜日の朝、
「今日は子の中学校正服の採寸へ」
「入学式からもう六年、父は老け子の身長は母に並ぶ」
「父にとっては未だ四つ足小僧、パ〜パ〜と笑った頃の印象のまま、親バカ也」
土曜日の朝、
「親の立場に立ってみれば、子が成人してからの恩返しなど想定外(ナマ言うな)」
「恩返しなど要らぬ既に報酬は貰っている、共に生きている、成長を見守るこの時こそ」
「あと六年したら親子で酒を飲める、本当に楽しみ(長生きせねば)」
土曜日の朝、
「昨夜、久しぶりに学生時代の写真を見る」
「そう、山のフドウ時代の頃、筋肉質のシックスパックの時代」
「そして、銘菓ひよこ饅頭のような体型と化した、今を省みてため息をついた」
土曜日の午後、
「中学校の正服その他購入終わる、店員さん慣れている」
「図書館へ、安岡先生の「小学を読む」と「王陽明」は当たり、蒙求も」
「のちサイゼリヤへ、白ワインをちびちび呑みながら読書の夕べ」
aristotles200の人間力は↓
コミュ力・・・31
発想力・・・・43
知力・・・・・65
気力・・・・・95
行動力・・・・71
気力に長けています。
aristotles200の子、あなたの人間力は↓
コミュ力・・・13
発想力・・・・99
知力・・・・・42
気力・・・・・59
行動力・・・・61
発想力に長けています。
aristotles200の妻、あなたの人間力は↓
コミュ力・・・70
発想力・・・・65
知力・・・・・96
気力・・・・・57
行動力・・・・69
知力に長けています。
土曜日の夜、
「花粉、到来する、くしゃみ鼻水止まらぬ」
「読書、集中出来ぬ、芋焼酎をグイっと呑んで寝るとする」
「Amazonでガンプラを購入、フォロワーさんの影響らしい(楽しみ)」
土曜日の夜、
「芋焼酎を呑むが、くしゃみ、鼻水収まらず(とても眠れぬ)」
「自由惑星同盟と銀河帝国、相互の正義とは極論、クロとシロ相乱れる(内部腐敗と改革)」
「全てのマスコミが同じ姿勢の報道を見る、七十八年前と既視感(イラク・ガザと比べて、いや、気のせいか)」
#自由律 #NoWar https://t.co/d3HHGXI76F
土曜日の夜、
「くしゃみ連発、家族に訴えるも、寄るな来るなと塩対応」
「冷静に考えよう、花粉症とは、詰まるところ鼻が原因だ」
「ティッシュを両鼻に詰め、さらなる日本酒を一杯用意する(今度こそ)」
土曜日の夜、
「よし、効いた、さらには、睡眠導入本を次々と導入する」
「昭和40年に刊行された辻静雄著「ヨーロッパの味」はこの三十年間読み続けている」
「今はなき、古きヨーロッパを美食を通じて体感出来る、夢の様な本(往年のラセールよ、マキシムよ、永遠たれ)」
#自由律 #辻静雄 https://t.co/voTRz0daIE
土曜日の夜、
「だめ、効かぬ、くしゃみ止まらぬ、とても眠れぬ」
「先ほどの「ヨーロッパの味」、暇つぶしにAmazonで検索、値段にびびる」
「古本屋のカーゴセール200円で購入した本が、今や30172円に(日本酒をグイっと呑む)」
土曜日の夜、
「ブックオフで¥200で買った本が今やAmazonで¥30,172とは」
「古本とは面白い、まあ、売るつもりはないので関係ないが」
「そろそろ本気で寝るとする(呑み過ぎた、なんとか寝れそうだ)」
日曜日の午後、
「ヨブ・トリューニヒトの様なコメントをする政治家がいる、日本人の恥」
「ガンダムきたる、無想にて組み立ててみよう(そんな時間が欲しかった)」
「常に何かを考えるのはよそう、本を読まない日があってもいい」
日曜日の午後、
「「日本人と日本文化」中公新書読み終わる」
「とても面白い、「日本というお皿」という表現はとても考えさせられる」
日曜日の午後、
「また夢、渓谷を彷徨い水に飲み込まれて起きたらスマホにその画像があって驚いた夢」
「夢の中の夢でを見るとは、映画インセプションを思い出す」
「日中はもう暖かい、ダウンは暑く脱いでジャージで日課のウオーキング」
日曜日の午後、
「よし、身も心も整った、明日からまたサラリーマンに戻ろう」
「昨夜の鼻炎には参った、今夜は夜ふかしせずにすぐ寝よう」
「週末食べて寝て、銘菓ひよこ饅頭化すすむお腹かな」
日曜日の午後、
「お酒臭い人がいた、過去の自分を見るようでギョッ」
「ブラック勤めの時は、週末は凄く呑み、寝て終わる」
「収入は下がったが転職して本当に良かった、家族と共に過ごし本を読む時間もたっぷりある」
日曜日の午後、
「おお偉大なるビッグマックよ、至高の食べものに栄光あれ」
「身体の銘菓ひよこ饅頭化もはや止まらぬ、なら皿まで行こう」
「美味かっった、また来週会おう、おお愛しのビッグマック」
日曜日の夕方、
「鴉が騒いでいる、今日は夕陽が見れた、そろそろ帰ろう」
「B'zの古い歌のサビが脳裏に浮かぶ、曲名は思い出せない」
「今日の晩飯なんだろう、腹減った、食べることが大好きだ(全くだ)」
所感)
■日記
振り返れば、最近よく体調を崩している。
毎日、自由律をtweetしていると自分の状態が良くわかる。
まあ、食べ過ぎが大半の原因故に、今週は食に慎もう。
ガンダムプラモデルは、どうやら子のものらしく、既に宣言された。
戦争については句にて自分の考えを述べた。
他国への侵略行為、戦争は決して許されることでなない。
戦争に激しく反対する。
一方で、マスコミの偏向報道には気付かざるを得ない。
イラクやガザの時の日本の報道と、今回のウクライナ紛争の報道とは明らかに違う。
善悪二元論的な、まるでハリウッド映画のような報道となっている。
少なくとも、ガザの時も市民が犠牲になり、Twitterでその情報をリアルタイムに見ていたが、日本の報道はかなり遅れてから、且つ一斉に、しかも今回の様な善悪二元論ではなく、歯切れの悪い(中立的な)報道であったかの様に思う(もっとも市民の犠牲者の映像が出回ってからは変わったが)。
世の中一寸先は闇、己の無知が恐ろしいが、無知である方が幸せなのかも知れない。
及び、ロシア通とされる日本の政治家の薄っぺらいポピュリズム発言は、同じ日本人として恥と思うし、自国の政治家に幻滅を感じる一方なのは私だけであろうか。
#自由律 #儒学 #日記 #雑記