四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第二十四章

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月曜日の朝、

 

「些細なこと(マスクの針金がない)なれど違和感覚える月曜の朝」

 

「子の学生服、照れた顔、まったく大きくなったもの」

 

「二月も終わる、老いると月日が早い、車内はいつものメンバー、よし」

 

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月曜日の朝、

 

「駅のトイレ、ロール紙をいくら回しても紙が出ない、つまらないこと」

 

「仕方なし、むずっと紙を指で引っ張り出した」

 

「ホームで電車到着、入れ替わりの乗客に昔の同僚とよく似た人をみた(目線が合った)」

 

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月曜日の夕方、

 

「ホームの前に立つ人、鼻水くしゃみ飛沫飛ぶ、並ばずに右方後方待機中」

 

「後の人も並ばずに、左方後方待機中、次の人は奥後方待機中…さらに…」

 

「電車きた、例の人が手前に立つと皆さん奥に散らばった」

 

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月曜日の夕方、

 

「そろそろ花粉、顔痒し、掻くと赤面、我慢で落屑、風に飛ぶ」

 

「パソコンに積もる落屑、払うと宙に舞う落屑、アトピーとは辛いもの」

 

バケット帽子を深く被り、人混みを歩く、家に帰ろう」

 

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月曜日の夜、

 

伊藤仁斎先生の「論語古義」を写経しては意味を考える」

 

「仁斎先生曰く、『孟子七篇の書物は論語の註釈である。だから孟子の意味がわかって初めて論語の意義を明らかにすることできる』」

 

孟子好きとしては、嬉しい言葉が並び、深夜まで写経が止まらぬ(もう寝よう)」

 

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火曜日の朝、

 

「寝不足、写経とウクライナ戦争気になり数時間ほど」

 

「全てを知ることは不可能、故に知らなければならぬことを知る、学ぶ」

 

「故に、詳細な本が必ずしも良い訳ではない、学ぶ人のTPOに応じた選択こそが重要」

 

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火曜日の夕方、

 

「春の雨を穆然と見ている、路には傘の色々、ホームに電車」

 

「車内で目つきの鋭い人がいる、出口を睨んでいる、今、脚を組んだ」

 

「アナウンス、出口を向いて並んで立つ乗客たち、終点だ」

 

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水曜日の朝、

 

「迷いあり易サイコロを振る、艮為山四」

 

「本田済先生の本で読み解く、老荘的な境地と」

 

「これまで積み重ねた学問、儒学で解釈し腑に落ちる」

 

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水曜日の朝、

 

「親バカ過ぎて、現状を正しく捉えていない」

 

「子のこととなると常軌を失う、反省が必要」

 

「親子となると、これまでの経験が生きぬ、ただ狼狽(恥ずかしきこと)」

 

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水曜日の朝、

 

易経とは難解だ、文章だけなら暗号の様、これを読んで即理解出来る人は天才のみか」

 

「識者による解釈こそ本文であり、素人が手を出せるものではない(と思っている)」

 

「識者にも色々いる、東洋思想、儒学を本当に学ばれた人の本が優れていると思う」

 

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水曜日の午前、

 

「良き市民、良き納税者、良き投票者でありながらも、自国の政治には疎いと言わざるを得ない」

 

「東大を出たエリートさんに任せとけばよい、では通じない時代になってきている」

 

「少なくとも、自国の防衛費を即答出来ず、防衛費がNATO基準で1.24%であることを答えられない」

 

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水曜日の午前、

 

「少なくとも本好きであり、歴史関係は大好きだ」

 

「しかし、リアルな今日の歴史には目を向けず、過去ばかり見ていたことは否定出来ない」

 

「今の政治、リアルな歴史(日本史・世界史)に目を向けるとする(人任せではなく、政治に対して自らの考えを持とう)」

 

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水曜日の午後、

 

「後方の安全なところから、若者を戦場に行かせる老人一人」

 

「その老人に付きまとい、利権に群がる側近たちとその企業」

 

「二十三兆円を持つ老人よ、地獄の門は開いている、その身一つで帰るがよい」

 

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木曜日の朝、

 

「左目が痛い、右靴の紐が解けた、寒い、眠い」

 

「最近塩分依存甚だしい、イカ塩辛、キムチ、ふりかけ、大根おろし…」

 

「血圧が高いから怒りっぽいかも知れぬ、そう、私は昔から温厚な人だった」

 

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木曜日の朝、

 

「ここ最近、報告書に追われて身体を動かしてない(年度末だ)」

 

「よし、今日はバリバリと手脚を動かそうではないか」

 

「軽やかな足取りのデブも居ていい、踊る脂肪、美しい鼻歌、オペラ!」

 

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木曜日の朝、

 

「私は自分がよい人だと心底思っている、故に性格が悪く、自己中である」

 

「悪筆ではあるが、件の通り、周囲には悪筆も個性だと嘯いている」

 

「デブで悪筆で、身だしなみも性格も悪いが、たまによい人になる、そう、「えんぴつで論語」を買ってみた」

 

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木曜日の夕方、

 

「踏切の音、アナウンス、ホームに入る電車、今年に入り四十回目」

 

「駅名のアナウンス、英語の発音のイントネーションにいつも違和感」

 

「挙動不審の人が車内をウロウロしている、目線を合わせない、腰を落として肩の力を抜く」

 

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木曜日の午後、

 

「良かった、不審者風の若い人、途中で下車(鉄ヲタか)」

 

「車内でいきなりジョーカーでは、無傷では逃げれぬ、咄嗟に身体も動かない」

 

「嫌な世の中、嫌な他人、嫌な自分、と車窓の風景を眺めた(ヤレヤレ)」

 

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木曜日の夜、

 

論語古義を写経するも、孟子に戻る、心が求めている」

 

『万の物は皆我に備わる。身に返りみて誠あらば、楽しきことこれより大なるはなし。努めて恕いやりして行う。仁を求むるにこれより近きみちはなし。』

 

「今夜は、この言葉を繰り返し写経する、何回も、繰り返す」

 

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金曜日の朝、

 

「独裁者の天誅に国民一人当たり百円出すとか…」

 

「戦争で人が亡くなる報道が日常風景となる自らの感覚に怖気立つ」

 

孟子が心に響く、儒家とは戦争を否定する、国家によって人が人を傷つけることなど在ってはならない」

 

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金曜日の朝、

 

「私は独裁者は嫌いであるが、かと言ってアメリカやNATOが正義の味方とは思わない」

 

「同じ穴の狢ではあるが、少なくともましな方が良いと思うだけだ」

 

「今どきのプロパガンダとそれを繰り返すマスゴミも好きではない、一人の市民としての生きる権利が守られる世界であれば良い」 

 

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金曜日の朝、

 

反戦デモがロシアであり全員逮捕された、そして全員ウクライナの戦場に送る法案が国会に提出された」

 

「ロシアの大統領は、今だに堅固な国内権力基盤を持っている」

 

ソ連邦スターリン時代と同じく議会政治が崩壊し、皇帝(ツァーリ)の治める中世に逆戻りしている」

 

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金曜日の午後、

 

「歴史は繰り返す、近現代史を読み返そう、争いと私利私欲、反省と忘却…」

 

四書五経、読むのでなくて書いている、遅々として進まずとも良し」

 

「安物ノートとHBのえんぴつ、卓上ライト、静かな時間」

 

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金曜日の夕方、

 

「週末は、朱子の小学と論語古義の写経メイン、ああ用事あった」

 

「梅田でちょい飲みの誘惑を、なんとか振り切る」

 

Amazonサファイアボンベイ・ジンなるものを買う、今夜初めて飲んでみる」

 

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金曜日の夕方、

 

「AmazonPrime、ピカードシーズン2が今日からだ、楽しみ」

 

「新スター・トレックシリーズは大好きだ(DVDは揃えている)」

 

ジャン・リュック・ピカードに再び逢えるとは、とても楽しみだ」

 

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金曜日の夜、

 

「さあ、飲もう、冷凍庫でガンガンに冷やしてストレートで…」

 

「レモン炭酸水でハーフハーフで…」

 

「47度故に、このへんで終わろう、もう充分だ、満足した(また来週)」

 

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金曜日の夜、

 

「さて、日課の「えんぴつで論語」をするとする」

 

「この本、極めてまともである、白文は明治書院 新釈漢文大系から」

 

「作者は、安岡正篤先生の孫にあたる人、いわゆる当たりの本だ(買って良かった)」

 

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金曜日の夜、

 

「先生の真剣勝負のお答え、感謝の言葉のみ、ありがとうございます」

 

論語とは、そこまで偉大なのかと、率直に、腰が抜ける思いあり」

 

「薄っぺらく読み過ぎた、書いて書いてやり直そう」

 

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Twitter質問箱へ投稿した質問の返答に関して

 

土曜日の午後、

 

伊藤仁斎先生は、論語を「最上至極宇宙第一の書」とされた」

 

「己の学問が浅く、孟子の剛毅さを好む」

 

「一字、一字、論語を筆写する、いつかは「宇宙第一の書」を理解出来る日がくると願って」

 

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土曜日の午後、

 

朱子の小学を筆写していると、孝経に興味を惹かれる」

 

「今はキャパオーバーだ、いつかは購入するとしよう」

 

詩経講談社学術文庫版は持っている、面白くない、いま一度読み返そう」

 

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土曜日の午後、

 

「小学を読んで、兼ねてから疑問に思うことを先生に質問する」

 

「先生からは「立場に応じた徳を養うこと」と解釈するとのお答えをいただく」

 

「蔑視ととるか、養うととるか、学問の積み重ねの差に天地の開きを感じる」

 

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土曜日の午後、

 

「どうも孟子といい小学といい「養う」は私の学問の道の鬼門らしい」

 

「先生は、質問箱を再開された、絶好の機会ではあるが、くだらない質問をせぬ様に気をつけねば」

 

「去年の八月から儒学を学び初めるも、遅々と進まず、非才とは私の為にある言葉のようだ」

 

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土曜日の夜、

 

「棘子成曰く、君子は質のみ。何ぞ文を以て為さんと。子貢曰く、惜いかな、…(論語 顔淵第十二)」

 

「この場合の「質」は本質の意味で良い、問題は「文」をどう解釈するのか」

 

「文を「飾る」ではしんどい、これを「礼」と取って意味が初めて通じる、論語とは難しい」

 

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土曜日の夜、

 

「棘子成曰く、君子は質のみ。何ぞ文を以て為さんと。子貢曰く、惜いかな、…(論語 顔淵第十二)」

 

「この「文」を、「外見の美しい」と訳する本(平凡社)もある」

 

「私的には、ここは「礼」であるべきであるとは思うが、平凡社に喧嘩を売るなど、とても出来そうにない」

 

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土曜日の夜、

 

「棘子成曰く、君子は質のみ。何ぞ文を以て為さんと。子貢曰く、惜いかな、…(論語 顔淵第十二)」

 

「ここで貝塚茂樹先生の「文」の意味は、「装飾があるのもないのも同じだ」とある」

 

「なるほど、これはわかる、しかし最初の「礼」の解釈からすれば少しずつ異なってくる」

 

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土曜日の夜、

 

「棘子成曰く、君子は質のみ。何ぞ文を以て為さんと。子貢曰く、惜いかな、…(論語 顔淵第十二)」

 

「さらに私の大好きな金谷治先生は「装飾は質朴のようなもの(どちらも必要だ)」と訳された」

 

「なるほど、これまで四冊の論語を読むも、私には金谷先生がぴたりとくる」

 

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土曜日の夜、

 

「ここで五冊目に、仁斎先生の論語古義はどう述べているのか」

 

『文も質も必要だが、文のほうが大事で、質のほうはそれほどでもない』

 

「五冊の論語の同じ箇所を読み比べると、解釈が微妙に異なってくる、徳に仁斎先生は、現代の識者とは異なっている」

 

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土曜日の夜、

 

「さらに論語六冊目、諸橋轍次先生は、「文も質も必要な如く必要」と訳されている。」

 

「どの訳者も識者として時代を代表される先生であるが、それぞれ微妙に違う」

 

「ただ、今回読み比べてみて、諸橋轍次先生の「論語の講義」は端的かつ明確に述べているなと感じる」

 

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土曜日の夜、

 

「ここで七冊目として、狩野直喜先生の「論語研究」を読む」

 

「古今和漢漢学者の論語の解釈とは一定せず、漢唐と宋儒、仁斎先生と徂徠も同じではない」

 

「…「己が尤も安心する所、納得する所に従うより外に致方なし」とある」

 

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土曜日の夜

 

「六冊の論語と、論語研究書を揃えるも、狩野直喜先生の総括が全てを語っている」

 

論語を学ぶとは、「己が安心・納得」出来る書と、春秋時代の史実、当時の社会の状態を知り、古語(漢文)を知ることが肝心となる』

 

「挫折ばかりの学問の道、ただチョコレートをむさぼる(寝る)」

 

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日曜日の午後、

 

「風強く寒い日曜の午後、用事は徒労に終わり気持ち入れ替えウオーキングへ」

 

「宇まで抜けるような青空、身を切るような寒風、気持ち良し」

 

「気分転換にヨアソビメドレーを聴く、若い人の音楽も良いものだな、と思う」

 

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日曜日の午後、

 

論語の写経、テキストを変えてみる、明治書院論語古義→論語の講義へ」

 

「漢文の勉強を再開する、試行錯誤、挫折も悪くない(次が見える)」

 

「学問の道とは孤独なもの、机に向かいえんぴつを走らせる、自らの心を磨く」

 

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日曜日の午後、

 

「歩く、歩く、歩く、森の中を、ただ歩く」

 

「よし、心と身体、整った、良き週末、充電終わり」

 

「さあ、明日からも戦える、自分の人生だ、最後まで戦え、最善を尽くせ」

 

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日曜日の午後、

 

「私は老子がわからない、かねてより何故かと考えている」

 

形而上学的な何かが、既に心にある故に、心に響かないのではないか、と仮定する」

 

「私の心の形而上学的なものとは、つまるところ歎異抄に尽きる」

 

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日曜日の午後、

 

「若い頃はストア哲学に夢中になるも、苦い社会経験と父を亡くしてから気付く」

 

歎異抄の言葉とは、私にとっては、一語、一語が形而上学的な何かを持つ」

 

「かと言って信仰はない、宗教心も皆無だ、多くの無宗教者の一人だ」

 

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日曜日の午後、

 

「何故、信仰心がなくとも、己の形而上学的なものが歎異抄と言えるのか」

 

一遍上人絵伝・語録を読み、私は確信にいたる」

 

「信仰心が無い人にも、念仏札を渡す故事が一遍上人絵伝にある」

 

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日曜日の午後、

 

「仏を、信じようと/信じまいと関係ない、念仏を唱えた者は全て救われる、という他力本願の思想に衝撃を受けた」

 

「難しいことは正直わからない、しかし、形而上学的な自己及び他者、さらに世界の存在をどう捉えるか、という長年の問題は、私にとっては解決済みとなった」

 

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日曜日の午後、

 

「父の訃報を聞き、病床で冷たくなった父の額を触った時、確かに自分の中の一部が失われたことを、私は実感した」

 

「幸い子に恵まれた今、私は刻一刻と父の立ち位置に近づいている、いつかは、病床で冷たくなった私の額を触る子の情景、これも実感出来る(その気持ちも)」

 

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日曜日の午後、

 

「齢五十にして儒家をめざす私には、当然ながら死後の世界やスピリチュアル的なナニカは、全く相容れない」

 

「亡父も無神論者であったが祖母を供養するには最大限のことを行った」

 

「ここで、私は、自分がこの国の人間、日本人であることを強く感じる、連なりを感じる」

 

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日曜日の午後、

 

「私にとって、形而上学的なものとは、言い換えれば先祖代代からの「連なり」なのだ」

 

「自分の中の「連なり」を言葉で表せるようになった、心から思えるようになったのは、儒学を学んだおかげだ」

 

「さあ、そろそろ家に帰ろう、家族が待っている、晩ごはんはなんだろう」

 

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所感)

■連なり

亡父は文章を残さなかったし、子供の相手を積極的に行うタイプではなかった為か、正直どういう人であったのか、今だによくわからない。

最後の入院中にも見舞いにいくも、「元気か?」「元気だよ」で会話は終わる。

いろいろと聞き出そうと会話をするも、会話が弾むことはなく、なんだか禅問答のような会話となり、仕方なく、世間話をすると、「つまらないことは言うな」と言う。

確かに、会話ではなく伝わるものはある、が、祖父母のことやご先祖のことは、聞かねばわからない。

結局、子供の頃に感じた父の匂いや言葉が今となっては父の思い出となってしまった。

 

省みれば、私も父となり子もいる。

しかし、私という人がどのような人であるのか、当然ながら十二歳の子は知らない。

今、子は父のブログなど絶対見ないと反発している。

しかし、子が大人になった時、このブログを見ることもあるかも知れない。

その意味では、このブログは長い長い遺言でもある。

子が自らの「連なり」を感じるのは若い頃では難しかろう。

歳をとってから授かった子故に、成人後はそれほど私たち両親は生きてはいない。

であれば、このブログはこれからも生きている限り続けていこう。

私が亡くなったあと、子が今の私くらいなった時に、時空を超えてこのブログを通じて父と子で会話しているかも知れない。

 

追伸)

■父より子へ

今日のパパとママとの口喧嘩は、君の知っている通りパパが負けたが、正義はパパにある。

パパはわざと負けたのだ(負けるが勝ちということもある、特に夫婦喧嘩はここが肝心だ)。

 

#自由律 #日記 #雑記 #儒学