日曜日の午後、
「呉子曰く、戦争に際しての害は猶予すなわちためらいが最大である」
「全軍の受ける災害は狐疑すなわち疑惑から生まれる」
#呉子
日曜日の午後、
「敵味方、両軍向き合い敵の将軍がわからない場合はどうするのか」
「まず犠牲部隊を編成し逃げることを第一として敵を攻める」
「敵軍の出方・行動を逐一観察し、知将ならば戦い避け、愚将ならば捕虜にすることは容易と判断する」
#呉子
日曜日の午後、
「大軍を動かす者は平坦な動きやすい地形で戦うように務める」
「少数の兵を動かす者は狭く険しい地形で戦うように務める」
「敵が大軍で味方が少ない場合、兵が一対十は狭い土地、十対百は険しい山坂、千対万はデコボコの多い活動しにくい土地で戦うのを最善とする」
#呉子
日曜日の午後、
「狂暴な侵入者が国内に攻め込み、物資を略奪している、どうすれば良いか」
「まず砦の守備を厚くして、勢いの強い略奪者の相手はしない」
「夕方、戦利品で持ち物は重く、追撃を恐れ早く陣営に引き上げようとし、隊列が途切れたところを追跡し攻撃せよ、必ず打ち破れる」
#呉子
日曜日の午後、
「人間には短所もあり長所ありそれぞれの使い方がある」
「気勢には盛り上がりもあり衰弱もあり潮時は必ずある」
「たとえ一人でも決死の賊が野原に潜伏すれば、千人が追うとしても、急におどり出て自分に危害を加えるかと、千人全員が恐怖を抱くもの」
#呉子
日曜日の午後、
「呉起は武侯に対して山河の形勢は徳には及ばないと説く」
「しかし楚では厳しく荒々しく無慈悲であったために、その身を滅ぼしてしまった、悲しいことだ」
#呉子
日曜日の午後、
「子供の頃、家の近くが川の上流で夏は泳いでいたことをふと思い出す」
「淵に潜って小さなゴム付銛で魚を突いていた」
日曜日の午後、
「川で悲しい事故が毎年起こるが無理はない」
「淵は数メートルの深さがあり、透明感があれば潜れば深さの感覚を失う」
「魚を追うのに夢中でいつの間にか川を泳げる様になったが今は無理だ」
日曜日の午後、
「夏休みに毎日川で泳いでいれば、川の危ないところが子供でもわかってくる」
「慣れれば身体が沈む場所も平気になり、逆らうのではなく敢えて沈んで抜ける」
「流れもそうで、あかんところはそもそも泳がない、理性より身体が感じる水の感覚で泳ぐ」
#自由律俳句 https://t.co/wFlAgx9Lt0
日曜日の午後、
「田舎故に周囲に誰も居らず自己責任が川で泳ぐルール」
「夏は子を連れてプールに行くが、プールではその感覚を教えられない」
「ゲームも無い時代故に山や川、捨てられた車が遊び場であった」
日曜日の午後、
「私たちの頃は大人からの押し付けが少なかったが、今の子供はいろいろあって大変だと思う」
「丸い爆竹は私の常の装備で、ポケットに入れて投げてはパパンと鳴らす」
「公園を二分しロケット花火で集団戦が普通の時代」
日曜日の午後、
「今ならリアルマイクラであろうか、山の木の上に秘密基地も作る」
「ダンボールや枯れ木を用い、結構立派な基地で、お菓子や雑誌を持ち込む」
「いずれも、ガキ大将のもと年齢上下した周囲の子たちで遊ぶ」
日曜日の午後、
「私たちより前の世代の子供たちは爆竹がなかった」
「故に、ガチで石投げ合戦をして遊んでいたと聞き、かなり引く」
「戦国時代の様に聞こえるが、昭和の小学生とはこのような感覚ではないか」
日曜日の夜、
「学問の道に迷いあり、易サイコロを振ってみた」
「学問の道に関しての是非は、巽兌二、心に誠さえあれば、求めずして応援を得、爵位を得るであろう」
「孟子を学ぶに関しての是非は、震坤初、凶」
#易経
日曜日の夜、
「易経を学ぶに関しての是非は、乾兌四、吉」
「論語を学ぶに関しての是非は、乾坤五、大凶」
「老子を学ぶに関しての是非は、離巽上、大吉」
#易経
日曜日の夜、
「孫子を学ぶに関する是非は、兌巽五、咎なし誉なし」
「孟子を学び、再び壁に激突する、今は少し離れよとのことか」
「しばらく老子に留学しよう、金谷版老子(現代語訳のみ)を中心に、蜂屋版老子(岩波文庫)と比較しながら学ぶとする」
#易経
月曜日の朝、
「カラスがカアと鳴きゴミ収集車の排気音、ホームに人」
「今週は五日出勤ぼちぼち行こう、いつも通りで」
「また悪夢三流喜劇が終わらない、喜劇とわかっても真面目に演じる」
月曜日の朝、
「断酒は問題なし五勝二敗、量も減る、酔う後に不快感」
「子の中学校へ行く準備中、いろいろあるが少しずつ」
「人生は儒学の仁の心、死生観は仏教の称名念仏、といったところか」
月曜日の朝、
「トイレに入ると鏡に短髪で目の鋭いガラの悪るそうな男が映る、誰か」
「まあまあふうふう、尖らない尖らない、眉毛はハの字にしていつも通りに」
「ひらパー兄さんの歴代ポスターを思い出そう、ここは大阪お笑いのメッカ」
月曜日の朝、
「無言の朝の通勤電車、そうこの雰囲気こそスタート地点」
「子のことが気にかかるも、まあ親に似て不器用、今年も無理かバレンタイン」
月曜日の午後、
「普段より三十分早く登校した我が子、聖バレンタインは微笑まず」
「今年も母から渡すチヨコレイト」
「お菓子メーカーの陰謀論を父子で話し合うは今年もか、否、嬉し(放課後から翌日にかけて収穫3個恥ずかしそうにチョコを食べる子)」
火曜日の朝、
「昨夜は老子を写経するも心響かず」
「学問の道を見失った模様、こういう時もある」
火曜日の朝、
「不思議だ、一遍上人の理(信不信を問わず念仏を唱えれば往生)で言えば、全てが既に帰結していることになる」
「伝導も不要であるし一切は不要でありただ念仏が残るのみではないか」
「→臨終の前に一切の自らの書を焼き捨てた一遍上人(納得、いや、凄まじき様としか)」
火曜の午前、
「信仰心は未だに皆無なれど、歎異抄を好む」
「筆写して、素読していた時も過去にある」
「腹が据わるというか、覚悟とはどのようなものか、心に響く」
#歎異抄
火曜日の午前、
「歎異抄はひろさちや版を好む、今のがぼろぼろなのでもう一冊を実家に置いている」
「数多ある歎異抄の中で、何故ひろさちや版なのか、実はよくわからない(色々読んだが一番心に響く)」
「岩波文庫の教行信証にも挑戦したが、私には難解過ぎてギブアップした」
#歎異抄
火曜日の午前、
「昨夜の老子、金谷版、諸橋版、蜂屋版の一章を白文含めて全て筆写する」
「金谷版で心に響かぬ、ということは私に欠陥があるのだ、あるいは今は読む時期ではないのかも知れぬ」
「と書きながらも、李 卓吾の本をネットで安価で買う(吉田松陰先生が好んだとのこと)」
火曜日の午後、
「健診結果、概ね数値下がるも悪玉コレステロール値が145→182と増える」
「中性脂肪値は412→72と下がるのは頑張った(断インスタントラーメン)」
「ファーストフードとお菓子と間食を止めねばならぬ、辛い決断なり」
火曜日の午後、
「肝機能検査の値は概ね微弱するGOT29→25、GPT36→34、GTP41→37」
「GPTが引っかかるも、まあ下がっている、このまま節酒は続けよう」
「問題は、やはり悪玉コレステロール182、年齢的に良いとはいいかねる」
水曜日の朝、
「また悪夢、ブラック会社に住み込みで働き先輩から金をせびられる(けっこうリアル)」
「朝入れたマスクも落とした模様、予備を使う」
「調子が悪い時もある、一陰一陽これを道という」
水曜日の午後、
「子の小学校でクラスター発生、学年違い」
「同じ職場の異なる部署でコロナ陽性報告あり、お子さんが陽性反応」
「迫るオミクロンと今日も乗る通勤電車、明日は我が身か眼前にくしゃみの人」
水曜日の午後、
「電車内立っている人かなりいる、しかし吊り輪をつかむ人まばら」
「この路線ここからかなり揺れる、躊躇なく吊り輪をつかむ」
「ガタンゴトン、きた、耐えきれずにに慌てて吊り輪をつかむ人たち、ふっ勝ったぞ(意味なし)」
水曜日午後、
「人混む電車内この時間帯に足を組み前に伸ばし座る感性が不快」
「最後まで足を引っ込めなければまだ許せる」
「きょろきょろと周り見て人を見て引っ込める位なら、最初から出すな」
水曜日の夜、
「学問の道に迷う、しかし文字を読まぬと落ち着かぬ」
「こういう時は、山川の日本史に限る(意外と今の状態を楽しんでいる)」
「日本人の私が言うのもなんだが、日本史とは、日本人の歴史とは素晴らしいものだと心の底から思う」
木曜日の朝、
「弱肉強食一分の富める者が世界の四割の富を独占する」
「コロナ禍で富める者は益々冨み、多くの中間層が貧困層へ」
「目の前の作られた世界、作られた偽善、極一部の貴族たちと搾取されるべく生まれ死ぬ奴隷たちの繰り返し」
木曜日の朝、
「『この世界は間違っている』と碇ゲンドウは言った」
「現実は『この世界は間違っている』と言う者は自己責任、努力を放棄した敗者と見做した」
「実は『この世界は間違っている』とは密かに皆思っている、口には出さないだけだった」
木曜日の朝、
『世の中の楽しみは、この生にとって、たかだか運命の恵みにすぎない』
『世界の中には、いかなる価値もない、仮にあるにしても、その価値にはいかなる価値もない』
『梯子を登り終えたら、その梯子を投げ捨ててもらわねばならない』
木曜日の午後、
「地金相場かつてない位に高騰する、売る地金さえあれば今頃はと夢をみる」
「そもそも、相場が安い頃に買う才覚など微塵もなし」
「毎日コツコツとリーマン人生、時勢の山あれども上がれず谷あれども下がれず(あゝ平々凡々たる我が身かな)」
木曜日の夜、
「『口論になったら負けよう』とのtweetを拝見する、うん、なるほど、美味しいところは全部持っていく主義の人らしい」
「頭の中身が良いだけ、仕事が出来るだけ、否、言うこと行うことが面白い人、こういう人は皆に好かれる、人が付いていく、凄い人もいる」
#自由律
木曜日の夜、
「ショスタコーヴィチ、チェロ協奏曲第一番を聴きながら今宵も就寝する」
「易経とは、どれほどの魅力があるのか、浅学非才の身なれば、なんとなくとしか」
「ひたすら背筋して、身も心もズタズタになるまで背筋して、寝るとする(不眠・腰痛対策)」
金曜日の朝、
「また悪夢、ブラック前職で無言で階段に立つ同僚たちの横を下に向かい降り続ける…地上に着くと巨大な墓碑が眼前にあり…そこには皆のあだ名と」
「毎夜に渡り悪夢三昧、文字通り悪夢であるが、奇妙な懐かしさも(不思議)」
金曜日の朝、
「電車の遅れ、ホームが人で混み合っている」
「混み合う車内で人を押し退けどしどしと歩く人がいる」
「駅に停車するごとに人が増え、ほぼ満員電車と化し、うっかり降り過ごす(話す乗客もなくアナウンスと車掌さん咳込む音、ガタンゴトンの響き)」
金曜日の夕方、
「今夜は気分転換に宇治拾遺物語を読もうと思う」
「李卓吾の本が今日は来るはず、楽しみ(陽明学左派とはなんぞや)」
「伝習録、現代語訳ながら読み進めることが出来ない、あゝ浅学非才の我が身かな」
#自由律俳句 https://t.co/zZGaaqtA3H
金曜日の夕方、
「また止まる、ここ最近よく止まる、止まってくれるな通勤電車」
「今週はきれいに仕事が出来た、まずまずかと」
「土日は冬の雨続くとか、まあ、どちらにしろ本を読むことには変わりない」
金曜日の夕方、
「焼き鳥と生ビールの誘惑を振り払い毅然として電車に乗る」
「未練たらたら車内で座りながらも、あゝ焼き鳥のことに想い焦がれる」
「おのれオミクロンこの恨み晴らさでおくべきか(腹減った)」
金曜日の夜、
「この本が古本屋で200円で売られている現実、もちろん即買いする」
「宇治拾遺物語は、面白いいいいいいいいいいと思う、本当に」
「古文をじっくりと味わい、現代語訳、注をまったりと読む(幸せ)」
金曜日の夜、
「…よみにくい…デスマス調で…」
「李卓吾を述べてはいるが…論点が何処にあるのか…」
「そもそも…いったい…何を…、よし、浅学非才、故に後廻しとするとする、本棚へ」
金曜日の夜、
「AmazonPrime、映画ジャンク・ヘッド、文句なしの傑作」
「広がる世界観、空間の美しさ、美化されていない登場人物、素晴らしい」
「ここ最近観た映画では一番か、今から即二度観する、音楽も地味ながら良し、監督が堀貴秀という人、しかと覚えた」
#自由律 #ジャンク・ヘッド https://t.co/l9Li3flmaH
金曜日の夜、
「梅田東通りの古本屋さんで二十数年前に買って本棚で寝かせていた」
「宇治拾遺物語が目覚めたのだ、今昔物語集も書斎の机にスタンバイする」
「少なくとも、いま、好きな本に囲まれて、小さな書斎のこの空間に癒やされている」
土曜日の午前、
「皇帝ダリア寒風の中で退位され墓標ひと本」
「また来年、入りかわりに春の萌しあちこちに」
「マラソン大会が開かれている、沿道からは頑張れ、頑張れ、ファイトの声」
土曜日の午前、
「竹林、心做しか緑が濃くなっている様な気も」
「昨夜のスペース大変勉強になる、学問とは詰まって当たり前とは面白い」
「百冊の読後を誇るより、一冊を数十年読み続けることの剛毅さよ」
土曜日の午前、
「省みれば、自らに合った方法で良い、一冊の中の一句に真剣に向かい合う」
「そろそろ学問の道を再開しよう、白文、書き下し文を筆写し、一句一句、自分で考え、考察する」
「自ら考えたことであれば間違ってもいい、点数よりも積み重ねが一番だ」
土曜日の午前、
「菜の花に心癒やされ春近し、旅を誘う季節到来」
「咲き始めた白梅、紅梅の枝ぶりの黒と花の色との美しさ」
「春めく心と寒風に当たりくしゃみ一つ、春よ来い、早く来い」
#自由律俳句 https://t.co/T3eThv2D8h
所感)
■二月も後半へ
悪夢にうなされ健康診断の結果におどされた位の平々凡々たる日々。
#自由律 #日記 #雑記 #儒学