四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第三十一章

日曜日の午後、

 

「良い天気だ、サンドイッチとコーヒーと本を持って森で過ごそう」

 

「サンドイッチは、1分もかからずに消えてしまった、、、」

 

「西洋哲学はストア哲学しかまともに読んだことはないが、学問の薫りはなんとなくわかる」

 

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日曜日の午>後、

 

サルトルやウイトゲンシュタインは数冊読んだ、が、面白いが続かない」

 

アリストテレスは、岩波文庫を揃えた、表紙と目次は繰り返し読んだ」

 

デカルト岩波文庫)は、面白いが続かない、未だに最後まで読めない」

 

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日曜日の午後、

 

モンテーニュもエセーを揃えたが未だに表紙と目次から進まない」

 

「こうなると、読書ではなく、表紙を眺めるコレクターになってしまった」

 

「故に、私は読書家では決してない、名著コレクター、いや、表紙と目次を眺めるのが好きな表紙オタクだ」

 

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日曜日の午後、

 

岩波文庫中村元先生の仏教経典も手に入る限りは本棚に並んでいる」

 

「まともに読んだのは、原始仏教経典の前から3冊くらいか」

 

「名著の表紙と目次収集オタクである私は、自室の本棚を前にしてうっとりする(これが現実だ)」

 

 

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日曜日の午後、

 

「自らの毒にも薬にもならない本の山を前に、時たま苦笑する」

 

「まあ、人さまにご迷惑をおかけするわけでもなし」

 

「最新の釣果(?)は、春秋社、一遍上人全集、七千円也」

 

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日曜日の午後、

 

「基本、岩波文庫青本ベースなので、柳宗悦著「南無阿弥陀佛」を読むのは必然的であったが、この本で一遍上人を知る」

 

「そこで、件の春秋社の全集に辿り着く、惚れ惚れするくらいの名著だ」

 

「装幀も素晴らしく、中身もきちんと書かれている、つど眺めてはニタニタする」

 

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日曜日の午後、

 

岩波文庫一遍上人語録は繰り返し読んでいるので、内容に衝撃は受けない」

 

「このような世代を越えて残る良書を直に触り、装丁を丹念に確認し、紙の匂いを嗅ぐだけで幸せを感じる」

 

「オタクとはこういうものか、興味がない人からすれば怪しい人であるが、仕方がない」

 

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日曜日の午後、

 

「同様に、歎異抄も探しているが、未だに出会えない」

 

歎異抄は、岩波文庫よりはひろちさや版が良い、暗記するくらい読んだ」

 

「信仰心は皆無な為に、プロ(仏教家)の本は少し違う、私の好きな表現ではない」

 

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日曜日の午後、

 

「名著の表紙オタクとして、ファーブル昆虫記ははずせない逸品だ」

 

岩波文庫は全冊集め、時々読んでいる、私の好きなタイプの本だ」

 

「当然ながら、沼に近い、海外を含めれば選択肢が無数にあり、手が出せない」

 

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日曜日の午後、

 

「若い頃は漫画も集めていた、ゴルゴ13やバイオレンスジャックちばてつや手塚治虫…」

 

「部屋中、本で埋まり、布団以外踏み場所がなくなる、積み重ねた本が崩れてくる」

 

「引越しの度に地獄の様を経験し、十数年前の引越しを機に、岩波文庫以外は処分してしまった」

 

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日曜日の午後、

 

「聞けば、妻の父、義父は相当な読書家で、若い頃は下宿の底が本で抜けた伝説を持つ」

 

「ご挨拶に赴いたときは、断捨離されており、棚に数冊の本が並ぶ程度であった」

 

「義父の影響もあり、本を処分すること、本当に必要な本は何かと考えるようになった」

 

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日曜日の午後

 

Amazon Primeにてオリバー・ストーンがロシアのプーチン大統領を取材したドキュメンタリーを観る」

 

「やはり、とてもキレる人物であると感じたことと、ロシア側からみたものの見方考え方がわかる」

 

「それでも、侵略戦争を始めた、虐殺者のイメージは終生変わることはなかろう」

 

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日曜日の夕方、

 

季氏(魯国の家老、季平子)、

泰山(代々、全ての国を統べた帝がその証として封禅の儀を行う地)にて祭儀を執り行う。

 

孔子、季氏に仕えている弟子の冉有にいわれた、

 

この愚かな祭儀から聖なる泰山の伝統を守ることは出来なかったのか。

 

冉有はいう、かなわず。

 

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日曜日の夕方、

 

孔子いわれた、

 

なんということか、

 

我が弟子が側にいながら、聖なる泰山の伝統を守ることも出来ない。

 

礼の根本とはなにかを問うた魯の国の人、林放とにも及ばないとは。

 

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月曜日の朝、

 

「考えている、思いやりの心→善悪の判断か、思いやりの心→人を尊ぶこと」

 

「ということは、善悪の判断→人を尊ぶことか、人を尊ぶこと→善悪の判断か」

 

礼記を再読せねばならぬ、また、論語ではどう述べられているのか、検証が必要だ、自分はどう考えるかが学問の道」

 

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月曜日の朝、

 

論語、八佾第三に『曰く、礼は後なるか』とある」

 

「『子夏はいう、先に心(思いやりの心、仁)があり、後に礼(人を尊ぶこと)がある』と」

 

論語とは一つで貫かれている、一つとは、自ら考えることも問われている」

 

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月曜日の朝、

 

「ふと気付く、電車の優先座席を図体の大きい若者たちが占領し大声で喚いている」

 

「会話からすれば朝帰りであろう、回りは老人や、脚の不自由な人が立っている」

 

「彼らのような世代をつくってしまった私たちにも責任はある、他人ではなく自分を思いやる人たちを」

 

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月曜日の朝、

 

「彼らは、私たちの鏡でもある、怒りすら今日は湧かない」

 

「道徳が疎かになり、力強い者の理屈がまかり通る世の中か」

 

「だからこそ、孔子の教えが今の世で、この国で必要なのだ、学問の道こそ人の根元を育てるもの」

 

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月曜日の午後、

 

「来週はGWか、歳を取ると月日が早い、少し前が入学式だったはず」

 

「なんとなく陶淵明漢詩が浮かんだが直ぐ消えた、確か菊と酒の…」

 

「最近、自室で酒を呑む時は孟子を吟じている、心に沁みる」

 

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月曜日の午後、

 

「なんとなく老人になった気がする、きっと気のせいだ」

 

「ついこの前は青年だった、あり得ない、気のせいだ」

 

「私は若い、私はヤングだ、食欲など増す一方ではないか」

 

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月曜日の夕方、

 

孔子はいわれた、

 

君子とは、互いに勝ち負けを競い、争うことはない。

 

ただ、一つ例外があり、礼の作法に則った弓矢を射る行事はある。

 

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月曜日の夕方、

 

弓を射る前に、礼により定められた作法を行い、

 

互いに譲りあいを元として競技に臨む。

 

そして、勝者は礼に基づき酒盃をいただく。

 

この様は、君子以外のなにものでもない。

 

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火曜日の朝、

 

「今朝は寒い、眠い、ホームで遭難しそうだ、着込んで良かった」

 

「また夢、何かの本を永遠と書き写している、意味のない言葉ばかり…」

 

「朝食は、塩昆布と湯漬け、禅寺のお坊さんになったつもりで戴いた」

 

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火曜日の朝、

 

「見上げる人もいれば、見下ろす人もいる」

 

「飛行機の窓から見る地上の風景は好きだ、単純化した点と線にそれぞれを思う」

 

「登山はしないが、山脈を仰ぎ見るとワクワクする気持ちはある」

 

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火曜日の朝、

 

「右のくつ下がハズレ、歩くと直ぐに下がる、その度に上げる」

 

「眠たいと余計なことを考えなくて良い、気怠い朝の通勤時間」

 

「ふと、世界征服をする人とは根底に愛があるのか、憎しみか、私利私欲か…つまらないことを考えている」

 

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火曜日の午後、

 

「少し忙しかった、腹減った、通しマスクが不快な暑さだった」

 

「深呼吸して奥底のイライラを吐き出した、さあ、趣味の時間だ」

 

論語に戻ろう、一つ、一つを積み重ねて、一つで貫く」

 

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火曜日の午後、

 

子夏が問うた、

 

詩経の衛風、碩人篇にある、

 

『笑窪あらわに、可愛い口元、白目にくっきりとした美しい黒い瞳、白さに対して際立つ彩りの絢』

 

とは何を述べているのか。

 

孔子はいわれた、

 

絵を描くに、白い胡粉は最後に用いること。

 

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火曜日の午後、

 

子夏はいう、

 

先に心(思いやりの心、仁)があり、後に礼(人を尊ぶこと)がある、と同じ意か。

 

孔子はいわれた、

 

我に、気付きを得させたのは商(子夏)だ。

 

これより共に詩経について語らん。

 

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水曜日の朝、

 

「また夢をみる、簡単な口頭質問を永遠に受けている、終わらない」

 

「今日はローペースでいこう、三速まで上げずに、アイドリング走行で」

 

「週中だ、仕事は逃げない(残念ながら)、ぼちぼちいこう」

 

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水曜日の朝、

 

「私も視力は良くない、そしてマスクでメガネが曇るのは嫌う」

 

「結果、マスクを取り眼鏡はかけない、故に人の表情はわからない」

 

「慣れると、見えないということも悪くない、パソコンさえ見えれば問題ない、ここ三年はノー眼鏡だ」

 

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水曜日の朝、

 

「自分から無駄話はしない、会話は笑顔で聞き方メインのキャッチボールを大切に」

 

「で、ノー眼鏡で困らない(もちろんノー運転だ)」

 

「元から万事大雑把、周りも一老人の眼鏡の有無など気にもしない、目では見えないが、必要なことがわかればそれで良い」

 

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水曜日の午後、

 

アトピー悪い、いきなりだ、軟着陸させなければ」

 

「紫外線か、落ち着いて、帽子を深くかぶり、直射日光は避ける」

 

「マスクがしんどい、顔が良くない、顔の皮が浮いている、触れば剥ける」

 

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木曜日の朝、

 

「顔面より浸出液止まらず、アトピー酷し、午前中のみ会社へ、休む段取り」

 

「まもなく感染症で高熱の予定、毎年この時期に全て出る」

 

「原因不明、対処策は水分制限と紫外線に当らないこと、発熱対策のみ」

 

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木曜日の朝、

 

「早くも寒気を堪えながらホームで電車を待っている」

 

「後ろの三十代らしき人から、駅名とこの電車で着くのかを尋ねられる」

 

「お兄さん、と語りかけられたが故に親切にお答えする、なんせお兄さんだ、ご老人、と尋ねられたら日には対応は異なる」

 

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木曜日の午前、

 

「それでは退勤する、病院へいこう、やはりしんどい」

 

「明日も、午前中は顔を出さないと、段取りは全て組んだが」

 

「水分制限が効いて顔の浸出液は止まる、喉の渇き、悪寒、来たか感染症

 

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金曜日の朝、

 

「クラッシュした肌は微風にも痛むが、用事につき午前中のみ出勤する」

 

「今回のアトピーリバウンドの原因がマスクと疲労とは、如何ともし難い」

 

「医師の指示通り安静にする、浸出液は減った、顔はマスクが黄色くにじむ為に困る」

 

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金曜日の朝、

 

「考え方を変えれば、金曜日午後からフリータイムではないか」

 

「外ではマスクを取れない為に、行動は制約される、あと日光の下も✕か」

 

「なんとなくヴァンパイアの気持ちが理解出来る様な気がする(幸い血は飲みたいとは思わないが、酒と焼き鳥で昼酒は魅力的だ)」

 

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土曜日の朝、

 

アトピー悪化止まらず、まいった」

 

「一番のポイントは、過去の惨状に戻るかもと心が動揺している」

 

「ここは、持ち直しが必要、自室で掻き毟るくらいなら外へ出よう」

 

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土曜日の朝、

 

「現状分析、顔の浸出液止まるも痒み大△、身体は痒みがで始めている△」

 

「心✕、アトピー悪化に衝撃を受けている、近年で一番酷い」

 

「要は、心対応が必要だ、自室で安静は逆に悪化した(昨日)」

 

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土曜日の朝、

 

「紫外線の問題はあるが、家に居ないことが一つ」

 

「水分制限の引き締めとノーマスクが二つ」

 

「適度な運動で三つ、よし、この土日の活動方針は決まる、着地点は月曜日に働ける状況に心身を戻すこと」

 

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土曜日の朝、

 

孔子はいわれた、

 

夏王朝で行われた礼に関する作法を、我は能く知るも、

 

夏王朝の末裔である杞の国には、今ではその礼の作法は残されていない。

 

殷王朝で行われた礼に関する作法を、我は能く知るも、

 

殷王朝の末裔である宋の国には、今ではその礼の作法は残されていない。

 

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土曜日の朝、

 

何故なら、杞の国と宋の国では、礼の作法を記した木簡や竹簡は失われてしまい、

 

礼の作法を伝える賢人も、それを子孫に伝えることなく世を去ってしまったから。

 

もし、残っていれば、礼の作法の証として示せるのだが。

 

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土曜日の朝、

 

孔子はいわれた、

 

魯の国に仕えし時、君主である文公により祖先を祭る「蹄」の祭祀が行われた。

 

文公は、古来からの礼の作法を無視して、自ら思うままに祭祀を執り行った。

 

故に、臣下として執り行う「灌」(神酒を地に捧げる)の後は、祭祀を見るには堪えなかった。

 

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土曜日の朝、

 

論語を買う、意訳する時に解釈が別れる場合がある為」

 

「学而第一を繰り返し読んでいる、諸橋轍次先生の解説がピタリとくる」

 

貝塚茂樹先生の、新説も興味深いが初学者には何が新説かわからない」

 

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論語 朱熹の本文訳と別解 https://t.co/VRPMTibHXQ

 

土曜日の朝、

 

「少し、論語のことを考えていたら気が晴れた」

 

「落屑がスマホに積もり、一気に現実に引き戻された」

 

アトピーとは宿病だ、三十年苦しみ続けている」

 

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土曜日の朝、

 

「手持ちの本は金谷版論語、スタンダードと呼ぶに相応しい王道か」

 

「惜しむらくは、解説が少なく、この本一冊で完結は難しい」

 

「久方ぶりに読んでいる、ぐいぐいと引き込まれる」

 

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論語 (岩波文庫 青202-1) https://t.co/YpXVczMYMc

 

土曜日の午前、

 

「昨日は医師の指示通り、会社を早退後は安静にしていた」

 

「しかし、イライラが止まらない、身体を動かすのが習慣化している」

 

「気付いたら、素振り用木刀をノーカウントで小一時間振っている」

 

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土曜日の午前、

 

「昔は深夜の公園で長大な素振り用木刀を振っていた」

 

「残念ながら、昨今は木刀を公園で振れる状況ではない」

 

「鉄棒も考えたが抜けると室内では穴があく」

 

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素振刀フリセンマグナム 両手素振刀 室内素振り用ストレス解消グッズ ダイエット器具 https://t.co/8WEHurP0ob

 

土曜日の午前、

 

「やはり、延々と森を歩いていると調子が良い」

 

「武道は合気道形意拳しか知らない、故に素振りは合気道で教わった形となる」

 

「合気丈術も形は教わっているが、鍛錬してないので今は無理だ」

 

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土曜日の午前、

 

ある人、祖先を祭る「蹄」の祭祀について問う。

 

孔子はいわれた、

 

我、知らざるなり。

 

(魯の国に仕えている以上、君主の文公が執り行った国の大祭である先祖を祭る「蹄」の作法の誤ちを述べるわけにはいかない)

 

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土曜日の午前

 

ただ、

「蹄」の祭祀を心得る(古来からの礼の作法を受け継ぐ)者であれば、

 

天下を治めることなど掌に玉を転がすようなことであろう。

 

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土曜日の午後、

 

「父がアトピー悪ければ、子も痒いと外から帰る」

 

「やはりこの時期、アトピー持ちは辛い、痒い、痛い」

 

「かといって空調を入れた室内にいれば悪化する、ひたすら運動して肌を順応させるしかない」

 

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土曜日の午後、

 

ウオーキングしてるとたまに出会う、スピード、順路が同じ人」

 

「そういう時は、しばし止まって歩調をずらす」

 

「今日の人は、止まるタイミングまで同じだ、お互いなんて邪魔なんだろう」

 

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土曜日の午後、

 

ウオーキングは良い、心が落ち着いてくる、森の緑にも癒やされる」

 

「自由律を思いながら歩くと、ほぼエンドレスで続く」

 

「人がいない時は文庫本片手に読書、あるいは音楽を聴く、自宅と変わらない」

 

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土曜日の午後、

 

「外が明るいと、なんとなく部屋に居れない」

 

「一日中部屋に居るなど堪えられない、雨の日も出かける」

 

「昔は、休日はスーパー銭湯で過ごしていたが、今は森がお気に入りだ」

 

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土曜日の午後、

 

「なんせ、外でも自室と同じだ、歩くのは苦にならない」

 

「それでも一日20キロほどだ、たいしたことではない」

 

スマホの記録では40キロが一日、30キロが四日、休日に歩いたことがあるらしい」

 

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土曜日の午後、

 

「昔から、何かにハマると止まらない、木刀素振りの時は毎深夜に一刻」

 

「たいがい身体を壊して終わる、その度に妻からお説教だ」

 

「スケボーはハマる前に止めてしまった、地に足が着かないのは向いてない」

 

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土曜日の午後、

 

「ジョギングは頑張ったのだが、膝を痛めてしまった」

 

「その点、ウオーキングは今のところ良いことしか思い浮かばない」

 

「どんどん淡白になっている、賭け事も止めてしまった」

 

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土曜日の午後、

 

「昔、臨済録正法眼蔵の本にハマり、やたら座禅をしていた時があった」

 

「ある日参禅しようと思い、近場の禅寺へ赴く、毎回、門をくぐる度にお布施を払い、お堂に入るのも払い、参禅もお布施を払う、けっこうな金額」

 

「参禅に興冷めしてしまった、本は今でも読み返す」

 

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土曜日の夕方、

 

「参禅は、良い師との出会いがなかった、巡り合わせが悪かった」

 

「良い師との出会いは、運だ、合気道形意拳は出会えた」

 

「さあ、暗くなっきた、そろそろ家へ帰ろう」

 

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土曜日の夜、

 

先祖を祭る祭祀とは、そこに先祖が居ている様に執り行う。

 

神を祭る祭祀とは、そこに神が居ている様に執り行う。

 

孔子はいわれた、

 

祭祀とは、自らも行わなければ、先祖や神を祭ったことにはならない。

 

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所感)

アトピー再発する

参った、

今回は思い当たるところが全くない。

家庭も職場もストレスもかかっておらず、子は中学校へ進み、自身は儒学に取り組み、ウオーキングも順調な充実した日々だ。

原因不明で、顔から浸出液が垂れだして止まらない。

参った。

 

仕事も転職四年目に入り会社に順応してきた。

私は、バカが大好きだ。

自分自身をバカの脳筋の体育会系と自称するからには、良くも悪くもそういう連中に共感を感じる。

幸いにも、今の会社は脳筋の体育会系陽キャラが揃っており、月1回に集まる管理職研修での各部署の同僚たちが好きになってきた。

中小ブラック企業の管理職から、一部上場企業へ転職を決めた人間としては、大手独特の尊大不遜を警戒していたが、中に入れば杞憂に終わる。


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ならば、自分の為さねばならぬことは決まっている。

アトピーで全身から浸出液を垂れ流そうが、妻と子を養わねばならない。

 

十数年前、アトピー性皮膚炎が最悪化し、運良く阪南中央病院に53日入院することが出来て、前後120日休職した時も同じことを繰り返した。

 

ひたすら歩くのだ。

 

主治医の阪南中央病院、皮膚科部長佐藤健二先生はいわれた、

運動が大切です。

病室に閉じこもってはいけません。

入院中も、退院後の療養期間も、どんどん表へ出て運動して下さい。

 

それから、朝起床して夜就寝するまでの間、ひたすら歩く、歩いて自らの地力を回復させる。

バカの脳筋、体育会系の地力、今こそ。

 

「歩く、歩ける、という人としての最も単純な行為の尊さよ」

 

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