土曜日の夜、8月13日、自宅
「日中、子の宿題を教える、残り数学プリント一枚と国語、行けるか」
「夕方、子とラグビーの練習、雨のほうが楽だが腰をひねる、腰痛が、、」
「子の誕生日プレゼント、アイアンマンシャーペンを買う、喜んでいる」
月曜日の朝、通勤
「匹夫も志しを奪うべからざるなり。子罕第九」
「三軍(三万七千五百人)を率いる将軍でも討伐することは出来るが、志を抱いた士とは(三軍に攻められようが)その志を挫かせることは出来ない」
「世の中で最も高貴且つ無二のものとは、一人の人が抱く志である」
月曜日の朝、乗り換え
「仁とは、繋がりであり常にここに在る、毀誉褒貶、どれほどのものか」
「増えれば凹む、減れば凸る、大笑いしてどかっと座れ、今、ここ」
月曜日の昼、通勤
「論の篤きにこれ与すれば、君子者か、色荘者か。先進編二十一」
「言葉に誠があるとしても、行いに誠がなければ君子ではない」
「美しい言葉を並べ立てるから仁なのではない、実践するから仁なのだ」
#剛毅木訥は仁に近し/子路第十三
月曜日の昼、乗り換え
「マクドでテイクアウト、妻と子が帰りを待っている」
「子の宿題、ラスト国語を今日で終わらそう、間に合った」
「明日から通常シフト、今日がお休み最終日、楽しもう」
火曜日の朝、通勤
「季康子、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、政とは正なり、顔淵篇十七」
「魯の家老、季康子が政を尋ねた、孔子はいう、正しいことを行うこと」
「上に立つ者こそ善いことを率先して行う、年長者は敬い、子弟を慈しむこと」
#孝悌
火曜日の朝、乗り換え
「忠とは難しい、親に行えても、組織では慈しみ無き忠の強制がある」
「私利私欲の暴君が求める過重労働、対価なき責任、そして過労死」
「故に隠棲するか、否、孟子のいう「放伐」こそ至極当然ではないか」
#放伐/暴君、暗君を追放する、正す
火曜日の夕方、通勤
「志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無し。身を殺して以て仁を成すこと有り。衛霊公篇九」
「志士や仁者とは、生き死にに拘らず仁を成すことを一とする」
「仁を成すとは、私心を離れ、民の苦しみ悲しみを我がものとし、命をかけて不仁と戦うことをいう」
火曜日の夕方、乗り換え
「大衆を扇動する威勢のよい言葉に踊らされてはいけない」
「志士仁人とは自ら先頭に立つ人であり、共に並ぶ者は友人たちである」
「市民を戦場へと駆り立て、宮殿の会議室から檄を飛ばす者とは根底から違う」
水曜日の朝、通勤
「その言にこれ作じざるときは、則ちそれこれを為すに難し。憲問二十一」
「出来もしないことを言わない、美辞麗句を述べない鵜呑みにしない」
「薄っぺらい他人の評価を気にするより、自らの仁を広げる、志を抱く、同じ志の友と語り合うこと」
水曜日の朝、乗り換え
「儒家とは口弁ではなく行いで示す人をいう」
「人の悪口をいう前に自らの仁の狭さを嘆くこと」
「何のために省みるのか、自らの仁を広げるため、大きな大きな仁に既に包まれていることを感じるため」
#仁/万物一体の仁(程明道)
水曜日の夕方、
「色厲しくして内荏らかなるは、諸を小人に譬うれば、それ猶穿愉の盗のごときか。陽貨十二」
「身分は高く、外面はご立派なれど内は私利私欲に塗れている、まさに盗っ人猛々しい」
「ノブレス・オブリージュ、身分に応じた義に殉じてこその高貴であり、小人の出る幕ではない」
木曜日の朝、通勤
「子曰く、上礼を好めば、則ち民使い易し。憲問四十三」
「世の中に礼(規範)が浸透すれば、各々の立場の為すべきことが明らかとなる」
「上が礼を重んじればこそ、民に礼が行き渡る」
木曜日の朝、乗り換え
「礼(規範)とは人を尊ぶことを要とし、根本には仁がある」
「礼あっての仁ではなく、大きな仁の内にある広がりを礼、義、智、信とする」
「根本の仁を忘れ、人を尊ぶことなく得体不明の礼(言動)をする人を見かける、良くない」
木曜日の夕方、
「日にその亡きところを知り、月にその能くするところを忘るること無し。学を好むと謂うべきのみ。子張五」
「子夏はいう、及ばぬことを毎日学び、学んだことを毎月振り返る。学問を好む人といえる」
「日々学び、月々確かめる、継続は力なり、好きこそものの上手なれ」
金曜日の朝、通勤
「子曰く、予言うこと無からんと欲す。陽貨十九」
「理は私の言葉にあるのではなく、天地万物にある、と孔子は弟子を戒めた」
「陰陽巡るも太極の内にあり、目先のことに心奪われてはならない」
金曜日の夕方、通勤
「子、四つを絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし。子罕四」
「私利私欲、強談威迫、頑迷固陋、我田引水、孔子はこの四つの悪徳を絶たれた」
「孔子は、つまらぬことに時を費すことなく、天の命を果たそうとされた」
金曜日の夕方、
「孔子は、春秋・戦国時代に大きな仁で弱肉強食の世を変えようとする」
「忠恕、誠の心と人を思いやることにより、近くから遠くへ、苦しむ民のいない世を実現しようとされた」
「故に、令和の世といえども儒家とは、自らの仁を広げ、治国平天下の一石ならんとするのだ」
所感)
■小人という人たちがいる
恥を知る、ということが極端に少なく、世界は自分たちの為にあると思い、驕り高ぶるか、妬み怨むしかない人たちだ。
このような小人と日常生活で関わる機会を得ると不愉快千万な気持ちになる。
しかし、儒学を学ぶと、彼ら彼女らに関わるよりは経書でも開いたほうが有意義であると気付ける。
もちろん、自分が優れているからではない。
至らぬ自分だからこそ、儒学を学ぶのだ。
小人とは関わらぬこと、相手にしないこと。
怒るだけ自らが損をするし、彼ら彼女らは例え追い払おうが、あちこちに湧いてくる。