○月曜日の朝、11月14日、通勤
「子、子賤を謂わく、君子なるかな、若き人。魯に君子なかりせば、これ焉にか斯を取らんと。公冶長三」
「孔夫子はいわれた、魯の国に君子がいないというが、弟子の子賤がいるではないか、子賤は十分に君子である」
「子賤は単父という地方の邑の長官をしていたらしい」
#自由律 #論語
○月曜日の朝、乗り換え
「2億5千年前に遡り、ソテツとゴキブリの夢をみた、よく眠れたらしい」
「フアミコン版「アトランティスの謎」の音楽が脳裏に流れている、今週は無理ゲーか」
「資格勉強は今夜から再開しよう、休肝日は三日目に、脚はましに」
#自由律
○月曜日の朝、電車内
「駅でホスト風の人二人、韓国映画で観たかのような髪形/格好をしていた」
「昨日、子に丸坊主を薦める、冗談だと思っている、通じない」
「丸坊主は格好良いと思っている、保育園の頃は親子で丸坊主だったぞ」
#自由律
○月曜日の夕方、通勤
「子貢、問うて曰く、賜や何如。子曰く、汝は器なり。曰く、何の器ぞや。曰く、瑚璉なり。公冶長四」
「弟子の子貢が問う、私の評価を教えて下さい(弟子の評論が続く為に)、孔夫子はいわれた、汝は器だ。どんな器ですか?。瑚璉(礼器では最も貴い)の器であろう」
#自由律 #論語
○月曜日の夕方、乗り換え
「孔夫子は為政第二にて「君子は器ならず」といわれている」
「子貢は莫大な富を築いた、また、魯や斉の国の宰相を歴任したらしい」
「有能な人であり、孔夫子が亡くなられた後、六年間、墓の近くで喪に服したとのこと」
#自由律
○火曜日の朝、通勤
「或るひと曰く、雍は仁にして佞ならず。子曰く、焉んぞ佞を用いん、人を禦ぐに口給を以てすれば、しばしば人に憎まる。その仁を知らず、焉んぞ佞を用いん。公冶長五」
「ある人、家臣の雍という人を評して、仁であるが弁舌が下手で使えないという。孔夫子はいわれた、弁舌が上手く、人を口八丁に言いくるめてもあとで恨まれるだけだ。雍が仁か知らないが、弁舌の下手なことなど取るに足らないことだ」
「言葉巧みで見かけが堂々としていることが仁ではない。学識豊かであることが仁とは限らない。それぞれの仁があり、それぞれの義があるが、実践してこその仁であり、義である。口八丁手八丁や美文・檄文を誇る人たちに注意すること」
#自由律 #論語
○火曜日の朝、乗り換え
「昨夜、脈拍が高くなり眠れぬ、手や腕のツボを押すが効かない」
「座禅しても下らない、布団の中でなんとなく般若心経を呟く」
「そのまま眠れた、朝、血圧は高いが脈拍は落ちついている」
#自由律
○火曜日の朝、電車内
「子、試験前だというのに寒い中で夜練習に出かける、ラグビー部の自主練らしい」
「試験の点数が低い子ばかり、何故今の時期にと疑問を呈するが、一応黙る」
「そうか、脳筋集団故に試験前のストレスが溜まっているのだ、わかり易いが、帰宅のちすぐ寝たぞ」
#自由律
○火曜日の夕方、通勤
「子、漆雕開をして仕えしむ。対えて曰く、吾は斯をこれ未だ信ずること能わず。子説ぶ。公冶長六」
「弟子の漆雕開を仕官させようとするも、私の学問は未だ至りませんと断りがきた、孔夫子は喜ばれた」
「仁の実践を思い、自らを力足らずとした弟子の成長を喜ばれた」
#自由律 #論語
○火曜日の夕方、乗り換え
「きりきりしてはいけない、自らの仁とは皆でポカポカ暖かタイプだ」
「触れれば切れるような武道的な仁も見たし、孤高を貫く学術的な仁も知っている」
「仁とは中庸であり、その時、その所、その場合に合った思い・行いを善しとする、もちろん、その人にも」
#自由律
○水曜日の朝、通勤
「子曰く、道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従う者は、それ由か。子路これを聞きて喜ぶ。子曰く、由は勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所なからん。公冶長七」
「孔夫子はいわれた、世の中に仁が行われなくなって久しい。こうなれば筏に乗って外国に行ってみようか。喜んで従ってくれるのは弟子の子路か。子路、これを聞いて喜ぶ。孔夫子はいわれた、ああ、子路は相変わらず勇に過ぎる。そういえば筏を作る木が無かったな」
「巨大な筏船を建造し、孔夫子と弟子たちが外国を旅する、というのも面白い。子路はアクション担当だろう。本題は、世の中で仁が行われなくなったことを孔夫子が嘆かれたことにあり、次いで直情径行の子路が登場し、最後は現実に戻る。なんとなくパイレーツ・オブ・カリビアン風の映像が浮び楽しくなった。」
#自由律 #論語
○水曜日の夕方、通勤
「孟武伯問う、子路仁なるか。子曰く、知らざるなり。また問う。子曰く、由や、千乗の国、その賦を治めしむべし、その仁を知らざるなり。公冶長八」
「魯の国の家老の息子である孟武伯が問うた。孔夫子の弟子の一人である子路は仁といえますか。孔夫子はいわれた、仁であるかはお答え出来ません、しかし、大国において大将軍として一国の軍政を任せられる人材です」
「質実剛健、直情径行、その人となり武人であり、論語に登場する弟子の中では最も登場回数が多い。孔夫子と子路のことを小説にした中島敦の「弟子」は傑作だと思う」
#自由律 #論語
○水曜日の夕方、乗り換え
「駅のキオスクで行列、店員さんは行列を見ても商品を棚に入れ続けている」
「しぶしぶレジへ戻る店員さん、案の定、先客のお釣りをカルトンに投げている」
「順番がきた、細かいお金がないのかきつい口調で聞かれた、当然ながら、カルトンにお釣りを投げられた」
#自由律
○木曜日の朝、通勤
「求や何如。子曰く、求や、千室の邑、百乗の家、これが宰たらしむべし、その仁を知らざるなり。公冶長八」
「では弟子の冉有は仁ですか。孔夫子はいわれた、仁であるかは答えらませんが、行政の才に優れており、地方の長官などに適しています」
「孔夫子は、どの愛弟子も仁だとはいわない。尋ねる側に仁がないのであれば、答えられなかったのではないか」
#自由律 #論語
○木曜日の朝、乗り換え
「ものごとは心に基づき、心を主とし、心によってつくり出される」
「善いと思ったことが、本人にとっては苦痛ということもある」
「腹を据える、腹をくくる、脳や心臓ではなく、何故心ではなく腹なのだろうか」
#ブッダの言葉
#自由律
○木曜日の夕方、通勤
「赤や何如。子曰く、赤や、束帯して朝に立ち、賓客と言わしむべし、その仁を知らざるなり。公冶長八」
「弟子の公西華はどうですか。孔夫子はいわれた、仁であるかは答えらませんが、重臣として国を代表して外交を任せれる人材です」
#自由律 #論語
○木曜日の夕方、乗り換え
「要は、日常生活を、普通の人生を歩めれば良い、本当に辛い病気だ」
「標準治療とステロイド外用剤による依存性副作用、選択肢は患者側にある」
「少なくとも、初見の乳児性湿疹に最強ステロイドを処方する医師がいる現実は周知すべきだ」
#アトピー性皮膚炎
#自由律
○金曜日の朝、通勤
「子、子貢に謂いて曰わく、汝と回と孰れか愈れる。公冶長九」
「孔夫子、弟子の子貢にいわれた、汝と顔淵、どちらがより仁を実践しているのであろうか」
「天才である顔回と比べられ、何ごとにも有能である子貢はどう答えるのか」
#自由律 #論語
○金曜日の朝、乗り換え
「犬の糞を駐輪場にさせる飼い主と、何もしない管理会社と、毎朝踏みかける私かな」
「M塾に通わすには月五万以上、そもそも入塾テストが難しい、もはや親のステータス」
「試験前に勉強せず漫画を読む子、キレる嫁さん、ドスンバタンと起こされてため息をついた」
#自由律
○金曜日の朝、電車内
「この寒いのに、超ミニでホームに立っている、サイヤ人とか」
「大声で騒ぐ若い二人、右手にフラミンゴピンク色の大きな紙袋、目立つ」
「車掌さんの名前プレート、旧字体で凄くレアだ、初見した、少し嬉しい」
#自由律
○金曜日の夕方、通勤
「対えて曰く、賜は何を敢えて回を望まん。回は一を聞いて以て十を知る。賜は一を聞いて以て二を知るのみ。子曰く、如かざるなり。吾も汝とともに如かざるなり。公冶長九」
「子貢はいう、私如きがどうして顔回と比べれましょうか。顔回は一を聞いて十を知ります。私は一を聞いて二を知るくらいです。孔夫子はいわれた、その通りだ。私と比べても顔回は優れている」
「論語に登場する天才顔回は早逝したせいかエピソードが少ない、ヒロアカの無個性とも似ている、かの孔夫子と同格とは凄まじい。個人的には孟子に登場する舜帝が大好きだ、イメージがジョジョのワムウなのはご愛嬌」
#自由律 #論語
○土曜日の夜、自宅
「午前中は病院をハシゴ、図書館により弁当を買い帰宅、のち読書、昼寝」
「夕方、子とラグビー、形意拳の練習、子はテスト勉強で鈍っている」
「図書館でかりた本をほとんど読了、『イスタンブールで朝食を』が白眉」
#自由律
○土曜日の夜、自宅
「この本は面白い、レシピ付きで、旅の本でもある」
「様々な人との出会いがメインだ、美味しい料理、美酒が華を添える」
「旅に出たくなった、世界へ」
#自由律 #サラーム海上
isutanburu having breakfast on the Orient Gourmet Journey
○土曜日の夜、自宅
「勉強になった、興味深い、学術的、巨大な研究対象としてのレポート」
「ただ、金言名句を論語に求めることとは、仁ではないなと率直に思う」
「私の追い求める、ポカポカとした、全ての人を包み込む仁とは違う」
#自由律
○土曜日の夜、自宅
「資格勉強中なれど、息抜きに正月用の本を探す、古本屋ネットで上下2,200円で買う」
「なんとなく直感が告げる、そろそろ明治書院版の荀子を読む時期だ」
「論語あっての孟子・荀子だ、どちらも大きな、大きな仁を述べている」
#自由律
新釈漢文大系〈5/6〉荀子 上/下巻
所感)
■子のアトピー性皮膚炎
子の命の恩人である堺市の佐藤小児科が閉院されるらしい。
せめてもと、メールでお礼を申し上げた。
子のラグビー部での画像も送ると、たくましくなって、と佐藤美津子先生は喜ばれていた。
子は保育園の頃、アトピー性皮膚炎で全身の皮が剥けて大変なことになった。
仕事中の夕方6時頃、妻から電話があり、子のステロイド治療を拒否するのであれば児相に通報すると小児科医から言われたときき、病院に赴く。
小児科医はステロイド治療をあくまで薦めた、私はアトピー性皮膚炎で阪南中央病院に53日間入院し退院した直後でもあったし、脱ステロイド治療以外は、はっきりと断った。
未だアトピー性皮膚炎でぼろぼろの容姿の父親をみて、小児科医もそれ以上は言わなかった。
病院を出て、正直途方に暮れる。
今から阪南中央病院は無理だ。
そういえば、同じ脱ステロイド療法をしている小児科医があった、ここに電話して駄目なら今の小児科に戻ろうと堺市の佐藤小児科医に電話する。
父が阪南中央病院を退院したばかりと告げて、子の現状を伝える。
今から来なさい、と佐藤美津子先生がいう。
車もなく電車なら3時間はかかるというと、いつまでも待ちます、との返答。
雪が降るなか、子は高熱、電車に乗り親子三人で佐藤小児科医に向かう。
はっきりと今でも覚えている。
駅から雪の降る中をベビーカーを押して歩く。
本当に病院は空いているのだろうか、、。
午後9時過ぎにつく、病院は開いていた、我が子を待っていてくれた。
直ぐに診察、阪南中央病院への入院が決まる。
あの時、子がステロイド治療を受けていたら、父に二の舞いとなり、今の中学でラグビーに打ち込む子はいなかったかも知れない。
■今と昔
アトピー性皮膚炎の治療に関しては、一患者としては正直、複雑な思いがある。
脱ステロイド・脱保湿療法にて私は良くなったが、入院中の同病の友人達でステロイド治療に戻った人もいる。
食って行くため、家族を養うため、生計を立てる為に仕方ない選択であるし、私も回復しなければ家族の為にそうしたかも知れない。
十分過ぎるほど理解できる、他人ごとではない。
別に私はステロイド治療を否定しない。
亡父は、間質性肺炎を患い、ステロイドのパルス療法で余命を伸ばした。
ただ、赤ちゃんの乳児性湿疹に最強レベルのステロイドを処方する、近所で評判の小児科医、皮膚科医には怒りを覚える。
入院中の同室さんに高校生がいた。
乳児性湿疹に、最強ステロイドを処方され、以来ステロイド依存・離脱症で苦しんでいる。
■患者間での情報共有
佐藤美津子先生はいう、患者間で声を上げることが大切です。
アトピー性皮膚炎にステロイド外用薬を用いて良くなる人もいる。
同様に、二十代に半年、ステロイド治療を受けただけで、三十年間、地獄の痒み、常に部屋中に積もる落屑、肌から止まることのない滲出液、赤ら顔で過ごし続けている私もいる。
アトピー性皮膚炎とは、完治することはなく、一生病気に向き合う覚悟が求められる。
アトピー性皮膚炎の標準治療を行う医師を悪者とは思わない、彼ら彼女らの正義が、受けた教育がステロイド治療なだけだ、医師に悪意はない。
ならば患者間の情報共有と、治療方法の選択、自己責任、ここに至るのではないか。
残念ながら、ここが今の現状らしい。