書き下し文)
天の命ずるをこれ性と謂う。
性に率うをこれ道と謂う。
道を脩(修)むるをこれ教と謂う。
道なる者は、須臾も離るべからざるなり。
離るべきは道に非ざるなり。
是の故に君子はそのみざる所に戒慎し、その聞かざる所に恐懼す。
隠れたるより見わるるは莫く、微かなるより頭わるるは莫し。
故に君子はその独を慎しれなり。
意訳)
天が命として、人や万物に与えたものを本性という。
その本性のままに進むことを、道という。
その道を修めることを説いたのが、孔子の教えという。
道とは、常にその身にあり、須臾の間も人から離れることはない。
また、離れられるようなものは道ではない。
故に君子は、
自ら見たことのないことには言葉を慎み、
自ら聞いたことのないことには恐れ畏まる。
つまるところ、
隠れたことこそ見つかりやすく、
微(かすか)であることこそ目立つもの。
これ故に君子は、
このように道から外れた独断、独善を慎む。
所感)
■学問の道
しばらく中庸の意訳に取り組む。
今、易経を学ぶことが楽しくて仕方がない。
しかし、本当に正しく学んでいるのか、正直わからない。
独学の悲しさか、否、これこそ学問の道であろう。
中庸を学び、また易経に戻ろう。
■私感
しかし、これ一つを常に学ぶと、やはり疲れが出る。
自らの徳を明らかにし、民を救い、天下に仁政をもたらすとは、「徳」を「拳」と表現を変えれば、ケンシロウの生き方そのものではないか。
しかし、いくら好きだからとはいえ、ひたすら北斗の拳ばかりは観てられない。
もちろん根っこは同じらしい東洋思想としての括りにある老子・荘子もある。
学問の道とは面白い。
■中庸
中庸を意訳していて、明らかな違いを感じる。
大学(寒垢離、寒中に冷水を浴びる)の時は、ピリピリとした緊張感に包まれ、一句一語、次の言葉をどう紡ぐべきか頭を抱えた。
中庸は、暖かい。
意訳していて一句一語、心を包まれているような感覚になる。
心のままに、今までの学問の積み重ねのままに、言葉が出てくる。
解釈を間違えようが、意味がズレようが、懐深い中庸は全てを呑み込む。
大きな大きな中庸(天然掛け流し温泉)の中で、しばらく癒やされるとする。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。
#儒学 #中庸