四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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中庸 第二章第三節

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書き下し文)

子日わく、

回の人と為りや、中庸を択び、一善を得れば、則ち拳拳服膺して、これを失わずと。
子曰わく、

天下国家も均しくすべきなり。

爵禄も辞すべきなり。

白丸も踏むべきなり。
中庸は能くすべからざるなりと。

 

意訳)

孔子はいわれた、

顔回の人と為りとは、

なにごとにも偏ることなく、ものごとの中庸を選び、

一善を得れば心に深く留め置き、これを失うことはなかった。

孔子はいわれた、

天下の国や、率いてはその元となる家を修めることは、国士であれば出来ないことではない。

高い位や厚い俸禄を、義、即ち正しい道を歩む為に断ることは、志士であれば出来ないことではない。 

白刀がせめぎ合う戦場において、敵陣を撃ち破ることは、孟士であれば出来ないことではない。

この人並み外れたいずれの士でさえ、中庸を守り通すことは、なかなか出来ることではない。

 

所感)

■学問の道

中庸とくれば、やはり顔回の登場であろう。

となれば、中庸とは至善に至るに含まれるのか、

または、思いやりの心、仁の広がりか、

あるいは独自の中庸という価値観、一つの世界観なのか、

自らの学問が浅く、ここまでとする。

 

■人名

世界大百科事典 第2版より抜粋

がんかい【顔回 Yán Huí】

前514‐前483

中国,春秋末期の儒者。顔淵でも知られる。回は名。字は子淵。孔子の門人。一を聞いて十を知る俊秀で,学識と徳行がともに高く,だれからも愛され,孔子のもっとも信頼した,第一の高弟であった。だがつねに貧しく不遇で,路地裏のあばら屋に住んで,食べ物にも事欠いたのに,ひたすら研究と修徳に励み,孔門における謙虚な求道者の象徴とされる。32歳で若死したとき,孔子は〈ああ,天われを喪(ほろ)ぼせり〉と痛惜したという。

 

■今後の予定

孔子、大舜、そして顔回

ひょっとしたら中庸とは、儒学レコード大賞、または、儒学紅白歌合戦ではなかろうか。

予定では、あと一回で一旦中庸を終了し、ベース基地の孟子か、あるいは今の私にとってフロンティア、未開拓の最前線たる易経の坤為地の意訳に取り組む予定であったが、心は揺らいでいる。

学問の道とは、なんと楽しいことか。

時間が文字通り溶けていく。

 

今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。

#儒学 #中庸