四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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語孟字義 天道 一条

f:id:aristotles200:20211002140056j:plain書き下し文)

道はなお路のごとし。

人の往来通行するゆえんなり。

故におよそ物の通行するゆえんの者、みなこれを名づけて道と曰う。

そのこれを天道と謂う者は、一陰一陽、往来已まざるをもって、故にこれを名づけて天道と日う。易に白く、「一陰一陽、これを道と謂う」。

そのおのおの一の字を陰・陽の字の上に加うる者は、けだしかの一陰にして一陽、一陽にして又一陰、往来消長、運って己まざるの意を形容するゆえんなり。

けだし天地の間は、一元気のみ。

あるいは陰となり、あるいは陽となり、両つの者ひたすらに両間に盈虚消長、往来感応して、いまだかつて止息せず。

これ即ち是れ天道の全体、自然の気機、万化これ

よりして出でて、品彙これに由って生まる。

聖人の天を論ずるゆえんの者、ここに至って極まる。

知るべし、これより以上、さらに道理無く、さらに去処無きこと。

考亭以謂えらく「陰陽は道にあらず、陰陽するゆえんの者は是れ道」と。非なり。

陰陽は固に道にあらず、一陰一陽、往来已まざる者は、便ち是れ道。考亭もと太極をもって極至として、しこうして一陰一陽をやって太極の動静とす。

繋辞の旨と相盤ること太甚だしきゆえんなり。

語孟字義 天道 一条

 

意訳)

道と路とは意味するところは変わらない。

人が生きるにあたり、往来し、通い行するところ。

つまり人が歩み、物が通るところを世の中の人は、道という。

私たち孔子の門を歩む者は、この道を天道という。一陰一陽、常に動き続けることを以て、天道とする。

易経に「一陰一陽、これを道という」とある。

【陰陽は互いに相反し対立しながら、助け合う。
そして混ざり合おうとして交わりながら、螺旋状に大きく循環して発展成長する道を造る。】

この、陰・陽の各字に「一」を加えた意図は、一つの陰は一つの陽へ、一つの陽は一つの陰へと、衰弱と生長、つまり動いては止まることを示す。

つまり、天と地との間のは、一つの元たる気のみがあり、

あるときは陰となり、あるときは陽となり、陰と陽は、衰弱と消長、つまり物事が衰えて消え、伸びて盛んになることを繰り返し、未だ止まることはない。

この易経が述べる「一陰一陽」こそ、天道の全てであり、世の中の現象における変化する点であり、全てのものは、これより出て、生き物全てはここから生まれる。

孔子の述べられた天とはこのことをいう。

これ以上の道理はなく、また他にはない。

ところが、朱熹朱子)は、

「陰陽は道ではなく、陰に陽に変わるところが道である」という。

これは間違っている。

陰陽は道ではないところは同じであるが、一陰は一陽となり、この間をたえず往来することこそ道といえる。

朱熹朱子)は、対極(万物の根源)をもって全ての極みとし、一陰一陽をもって対極(万物の根源)の動静とした。

これは本来の、易経に書かれた一陰一陽の趣旨とは異なる。

 

所感)

■小舟にて

孟子を意訳し、吉田松陰先生の「講孟箚記」に加え、伊藤仁斎先生の古義学「語孟字義」の意訳を行う。

資料は、岩波書店刊行の日本思想大系、「伊藤仁斎・伊藤東涯」の書き下し文のみ。

現代語訳がなく、ネット検索でも、今のところ良いサイトが見つからない状況なので、自分で答え合わせが出来ない状況で、船出(意訳)する。

さっそく初回にて、易経という大津波に危うく転覆(挫折)させられそうになる。

しかし、現代語訳がない中、浅く通読するよりは、一章一章、真剣に取り組むことを選ぶ。

答え合わせをしてないので、現代語訳・意訳の意が書き下し文とあっているかはわからない。

読書の皆様におかれては、ご了承願いたい。

また、今回、儒学を学ぶのであれば、易経を学ばなければならないことも気付く。

 

伊藤仁斎 ウイキペディアより抜粋

伊藤 仁斎(いとう じんさい、寛永4年7月20日(1627年8月30日) - 宝永2年3月12日(1705年4月5日))は、江戸時代の前期に活躍した儒学者・思想家。京都の生まれ。日常生活のなかからあるべき倫理と人間像を探求して提示した。

論語』を「最上至極宇宙第一の書」と称した。

古義学(古学)を提唱し、主著として、『論語古義』『孟子古義』『語孟字義』『中庸発揮』『童子問』『古学先生文集』などが挙げられるが、生前は講義と著述の整理・推敲に尽力し、著作を公刊することはなかった。

仁斎の学問手法は、当時支配的だった朱子学的経典解釈を廃し、直接テクストを検討するというものである。朱子学は学問体系としては非常に整ってはいたが、その成立過程に流入した禅学や老荘思想といった非儒教的な思想のために経書の解釈において偏りがあった。仁斎はそのような要素を儒学にとって不純なものとみなし、いわば実証主義的な方法を用いた。このような傾向は同時代の儒学研究に共通にみられるものである。仁斎は朱子学の「理」の思想に反して、「情」を極的に価値づけした。客観的でよそよそしい理屈よりも人間的で血液の通った心情を信頼している。四端の心や性善説を唱えた。

 

今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。

#儒学 #孟子 #伊藤仁斎