書き下し文)
聖人は卦を設けて象を観、
辞を繋けて吉凶を明らかにす。
剛柔相推して変化を生ず。
この故に吉凶とは失得の象なり。
悔吝とは憂虞の象なり。
変化とは進退の象なり。
剛柔とは昼夜の象なり。
六爻の動きは、三極の道なり。
この故に君子の居りて安んずるところのものは、易の序なり。
楽しんで玩ぶところのものは、
爻の辞なり。
この故に君子は居ればその象を観てその辞を玩び、
動けばその変を観てその占を玩ぶ。
ここをあって天よりこれを祐け、
吉にして利ろしからざるなし。
意訳)
聖人は卦を設け、その形象の示す意義を観察し、
その結果を辞に述べて吉凶の道理を明らかにした。
設けられた卦中の剛爻と柔爻は、互いに推み変化を生ずる。
つまり易にいう吉凶とは、事の得失の象徴である。
悔吝とは、
(侮とは凶に居ながら後悔憂慮して吉に赴くこと、吝とは吉に居ながら逸楽猶予して凶に陥ること)
事後に生ずべき憂いの象徴である。
変化とは、事の前進・後退の象徴である。
剛柔とは、昼夜(動静) の相対の象徴である。
六爻の動きのうちに、三極すなわち天・地・人、つまり三才の道が尽くされている。
これ故に、
君子が常に安んじて従うところとは、易に示された秩序・理法である。
楽しんで玩味するところとは、は各爻に繋けられた辞である。
従って君子は、
平生無事の時には易の象を観察し、その辞を玩味する。
行動をおこす時にはその変化を観察し、その占断を玩味する。
君子とは、
「天よりこれを祐け、吉にして利ろしからざるなし」(大有上九の交辞)である。
所感)
■読めば気付く
全ての文章が、陰・陽との対比、及び、一陰一陽の太極を述べている。
そして、
易経六十四卦、陰・陽は全てつながり、一陰一陽、全体像としての太極、始まりと終わりである元を述べている。
易経、易学とは、内容はもちろんのこと、文章にも法則性がある。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。