○月曜日の朝、9月5日、通勤
「子路が政ついて重ねて問う、孔子は言う、諦めることなく、飽きることなく続けること」
○月曜日の朝、電車内
「土日に、公田連太郎先生の周易講話を読み進める」
「儒学の言葉で述べてはいるが、本質は世界の有り様が描かれている」
「繋がりで捉えること、一卦=八卦=六十四卦、全ては太極の変化した有り様である」
○月曜日の朝、乗り換え
「ホームに並ぶ旅行者夫婦、雰囲気は似ているが喧嘩中らしい」
「気弱そうな夫は前を向き目線を動かさない、妻は鋭い眼光で夫を注視している」
「車内も夫が少し離れて座った、あるあると対岸の火事を眺めた」
○月曜日の夕方、通勤
「子曰く、天何をか言わんや。四時行われ、百物生ず。天何をか言わんや。論語/陽貨十九」
「天が何か具体的に、私たちに答えを述べるとでもいうのか、一陰一陽これを道という」
「四季があり、万物が生まれては死んでいく、天とは存在そのものが全てを語っているのだ」
○月曜日の夕方、乗り換え
「正しい位と不正な位があり、横に縦に、奇数偶数に、相互に影響している」
「一つの事象にも全部があり、及ばざる、過ぎたる、中庸と変化する」
「中庸とは真ん中ではない、その時その場合その場所で適した行いをいう」
○火曜日の朝、通勤
「子曰く、力足らざる者は中道にして廃む、今汝は画れり。論語/雍也十二」
「本当に能力が足らないものは途中で力尽きている、冉求よ、最後まで行うことだ」
「仁の道は私には無理だと泣き言をいう弟子の冉求に対し、孔夫子は実践の大切さ、行動せずして諦める愚を説かれた」
○火曜日の朝、乗り換え
「ホームの指定席の横席に酔っぱらいが姿勢を崩して座っている」
「なんとなく不愉快になるもいつもの席で電車を待つ」
「酔眼でこちらを見る酔っぱらい、睨み返すと下を向いた、ふん」
○火曜日の夕方、通勤
「軍旅の事は未だこれを学ばざるなり。論語/衛霊公一」
「衛の霊公が軍事について問う、孔夫子はいう、軍略や戦術、戦争に関わることを学んだことはありません」
「人を活かすことが仁であり、他国を侵略し、民を苦しめる王とは相容れるところは無かった」
○火曜日の夕方、乗り換え
「小人とは不快な人たちであり、関われば関わるほど不快さが増す」
「相手に一欠片の仁でもあれば分かり合えもしようが、高慢と偏見のみ」
「そんな暇があるなら経書でも開こう、つまらぬ時を過ごしてしまった」
○水曜日の朝、通勤
「心を広くして揺るぎなき誠を抱くこと、志士とはそのような人のことだ」
「己の誠に恥じることの無い言動を心がけること、そして省みること」
○水曜日の朝、通勤
「省みた、大丈夫、己の誠に反する言動はしていない」
「残るは、毒虫に触れた嫌悪感のみ、確かにそこは間違いだ、反省しよう」
「昨夜も公田連太郎先生の周易講話を読む、読む度に世界が広がる」
○水曜日の夕方、通勤
「子曰く、賜よ、爾の及ぶ所に非ざるなり。論語/公冶長十二」
「弟子の子貢が述べた口だけの言葉に対し、汝の及ぶところではない、と孔夫子は窘められた」
「儒学とは実践を第一とする、巧言令色とは最も忌むべきことだ」
○水曜日の夕方、乗り換え
「人生に戦うことは必須とはいえ、弱った人には休息が必要だ」
「物理的な休息よりも、心の休息が必要な場合が多い」
「つまるところ人なのだ、大きな仁の下でゆっくり休むこと、私たち儒家とは、その為に儒学を学んでもいる」
○木曜日の朝、通勤
「古者の言を出ださざるは、躬の逮ばざらんことを恥じればなり。論語/里仁二十二」
「昔の人は、実践を主とし、口だけとなるのを酷く恥じた」
「心のままに口にしてはならない、腹を据えて、何事も沈重な言動を心掛けること」
○木曜日の朝、乗り換え
「あわれみの心、思いやりの心、仁はとは全てを包み込む」
「私は儒学は孟子から入ったので、孟子からみた論語の解釈が多い」
「最近周易を学んでいるが、周易からみた論語の解釈は手も足も出そうにない」
○木曜日の夕方、通勤
「苗にして秀でざるものあり、秀でて実らざるものあり。論語/子罕二十二」
「苗から稲穂になれない人もいれば、稲穂から実が実らない人もいる」
「継続して学ぶことの大切さと、人を教えることの難しさを孔夫子は述べられた」
○木曜日の夕方、乗り換え
「振り返れば後悔ばかり、から、省みて過ちを正すことこそ学問の道」
「仁とは天に通じる、乾は元いに亨りて貞しきに利し、世界は善で満ちている」
「自己を肯定するのではない、世界を肯定すること」
○金曜日の朝、通勤
「君、命じて召せば、駕を俟たずして行く。論語/郷党十七」
「王から呼び出しがあった時は、駕篭を待つこともなく宮殿へ向かった」
「孔夫子は、形式的な礼よりは本質的な礼(人を尊ぶこと)を重んじられた」
○金曜日の朝、電車内
「昨夜は公田連太郎先生の周易講話を読みながら寝落ちする」
「公田先生から直接お話しを伺っている夢をみた、夢でもラッキーだ」
「公田会の自主出版物故にザラ紙に和綴じだが、ザラ紙の焦げたような香りがとても良い」
○金曜日の夕方、通勤
「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎しまざるべからざるなり。論語/子張二十五」
「上に立つ者とは、一言で智者と称えられもするし、同様に愚者と罵られたりもする」
「言葉とは慎重に用いること、ましてや一国の君子ともなればその影響は大きい」
○金曜日の夕方、乗り換え
「週末だ、資格と儒学の勉強に勤しもう、子とラグビーの練習も楽しみだ」
「回遊魚のような時もあれば定置魚の時もある、今は止まれない(前進あるのみ)」
「気力を充実させること、儒学を根本として実践を第一とし、自らの仁を広げるのだ」
○日曜日の朝、朝マック
「開店時間に入店し、朝食のち資格勉強中、中々頭に入らない」
「過去問も理系や数式問題の壁に立ちすくむ(なんだこりゃ)」
「とりあえずは、質問、解答と説明分を丸読みする、これが最短と信じる」
○日曜日の朝、朝マック
「当方愚鈍で鈍間故に、資格勉強は過去問を繰り返すしか術無し」
「せめて一つ、いや一つだけだ、継続あるのみ(これしか武器がない)」
「過去問一巡をまず目指そう、60/180問、とりあえず三分の一地点」
○日曜日の午後、自宅
「子とラグビーの練習へ、家族連れ等々で場所がなくコンクリの上で」
「風も通らず、サウナ状態で小一時間パス中心で大汗をかく」
「人が空く日暮れまでもたずに帰宅する、人が多すぎた次は夕方出かけよう」
所感)
■周易講話
公田連太郎先生の周易講話を開いていると、なんとなく幸せになる。
何故かはよくわからいが、公田先生の言葉は心を落ち着かせてくれる。
周易自体は難解であり、理解度がそう進んだとは思えない。
ただ、読めば読むほど公田連太郎先生のお人柄が伝わってくる、癒やされる。
■一番搾り生ビール
田舎のNがひとケース、ビールを送ってくれた。
日頃は発泡酒ばかりなので嬉しい。
昨夜、お礼を兼ねて電話する。
相変わらず元気で、よく語る。
昔は、私が延々と話しをしてNが冷静沈着にコメントをする仲であったが、最近は逆だ。
口調や声は15歳の時から変化はみられず、内容もあまり変わらない。
最近、筋トレに励んでムキムキマッチョ化したとか、、。
ひょっとしたら人外の存在なのかも知れない。