四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第五十章

○日曜日の夕方、8月28日、ウオーキング

 

「ヴィルヘルム・リヒャルト・ワグナー作曲、タンホイザーを聴きながら久方ぶりに森を歩く」

 

「ようやく涼しくなり、アトピー肌が外気温についていける気候になった」

 

「ドラマ「白い巨塔」の財前先生が浮かぶ、財前五郎のテーマ曲だ、なにげに義父を演じた西田敏行さんのように「五郎ちゃん」と呟いた」

 

○日曜日の夕方、森の中、

 

「続いて、ベルリオーズ幻想交響曲op14を聴く、風が、涼しい風が吹いている」

 

「音楽と心を同調させながら、森の夕暮れ、蝉の声、森の香りを満喫している」

 

「今年の夏も暑かった、そろそろ腹減った、帰ろう、我が家へ」

 

○日曜日の夕方、森の中

 

「前職の友人、Sさんとお好み焼き屋さんへいく、ミックス焼きと焼きそば、生ビール」

 

「転職して四年、二十年在籍した前職での話しも、もはや遠く聞こえる」

 

「学問の道を得た今、過去は過去となり悪夢にうなされることも無くなった」

 

○月曜日の朝、通勤

 

「古者の言を出ださざるは、躬の逮ばざらんことを恥じればなり。論語/里仁二十二」

 

「行動を伴わず言葉だけに終わることを古の人は酷く恥じた」

 

「他人がどうこうより、自らの行いに一つの『誠』がないことを何よりも恐れるべきだ」

 

○月曜日の朝、電車内

 

「眠たさと怠さ、身体を壁に深くもたれつつ意識跳んで膝かっくん」

 

「長椅子に座って船を漕ぐ乗客たち、彼らが特権階級に思えてくる不思議」

 

「今朝も座れず間もなく終点、ビルの間からの朝日が車内を照らす」

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

「駅のトイレ(大)で気づく、お尻が割れているのはこの為か、と今更感」

 

「日常を題材にした自由律、リーマンの悲しさか、家から通勤会社の繰り返し」

 

「出勤前なれど既にまだ月曜日の感覚に、という人たちが並ぶ列の最後に並ぶ自分かな」

 

○月曜日の夕方、通勤

 

「子、子夏に謂いて曰く、女、君子の儒と為れ、小人の儒と為る無かれ。論語/雍也十三」

 

「大きな視点で最善を選択し、且つ実践すること、小さな視点で小さな善を為すことに満足してはいけない」

 

孔子が弟子の子夏に述べられた言葉、孔子は弟子の器量に合わせて教えられた」

 

○月曜日の夕方、

 

「車内で吊り輪を握る、ふと、何故、今、ここに自分は居るのかと不思議に思う」

 

「首を振り180度車内を見回す、彼ら彼女らは何故この電車に乗っているのだろうか」

 

「なんとなく、大切なことを思い出しそうになったが定刻通り電車は駅に着き人混みの中を歩いたら消えた」

 

○月曜日の夕方、出発待ち

 

「座席に座り再び車内を見回した、人の顔、表情、服装、雰囲気、等々」

 

「公式、数式で表される知る限りの定理が空間に浮かぶ」

 

「いや、違う、これはあれだ、この世界とは、観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空‥」

 

○火曜日の朝、通勤

 

「子曰く、士にして居を懐うは、以て士と為すに足らず。論語/憲問三」

 

「志しを得て天の命を受け世の中を変えようとするものは、自らや家族のことに拘泥などしない」

 

「志すとは、私利私欲ではなく、仁や義の徳を根本とし苦しむ人を救う行いへと繋げたものをいう」

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「呼吸を鎮めて、ゆっくりと息を吐く、今日はここ」

 

機関車トーマス、トップハム・ハット卿の様な大きなお腹の駅員さんが歩いているのを見た」

 

「駅のポスター、大阪市立美術館フェルメール展とか、見に行くべきか‥」

 

○火曜日の夕方、通勤

 

孔子、郷党に於いては恂恂如たり。言う能わざる者に似たり。論語/郷党一」

 

「夫子(孔子)は、村人の集まる宴会では、穏やかな笑みを浮かべ話しを聞くばかりであった」

 

「お人柄が伝わってくる、夫子は時と場合と場所を踏まえておられた」

 

○火曜日の夕方、乗り換え

 

「人混みの中に居るのが苦痛だ、それぞれに思いがあり意思を放っている」

 

「欲もあり、見栄もあり、嘘で固めて澄ましている(様に見える)」

 

「もちろん、私もふんと澄ました顔をして、今日も人混みの内に潜むのだ」

 

○水曜日の朝、通勤

 

「季文子、三たび思いて而る後に行う。子、これを聞きて曰く、再び思えば斯ち可なり。論語/公冶長二十」

 

「魯の国の家老である季文子は重要なことは三度考えた、夫子(孔子)はいう、二度で十分だ」

 

「決める力を持たねばならない、繰り返せば良いというものではない」

 

○水曜日の朝、電車内

 

「昨夜は映画を最後まで観て寝不足、朝焼けの空の下で自転車を漕ぐ」

 

「泳げたいやきくんの曲が脳裏に流れている、サビをハミングする」

 

「お通やの様に下を向いて座る乗客、終点、駅を出て粛々と歩く列に加わる」

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「全身黒のスーツと使い古したスーパーの袋で出勤している人が前を歩いている」

 

「車内、横で会話する二人組、互いに褒め合いつつディスり合っている、いつも聴いている」

 

「若い車掌さんと目があった、団子鼻と黒縁眼鏡、まだ目線を外すのがぎこちない」

 

○水曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、束脩を行うより以上は、吾未だ嘗て誨えること無きにあらず。論語/述而七」

 

「礼を以て弟子として教えを乞うのであれば、私(孔子)はどんな人間でも教えなかったことはない」

 

春秋時代の習慣として、入門する場合は師に干し肉を一束贈ることが礼とされた」

 

○水曜日の夕方、乗り換え

 

「今日は心が浮ついた、六字を心中で唱えながらに腹を据える」

 

「何か起こったらしいが、騒ぎに心乱されるとは我不甲斐なきこと」

 

「この歳でも気を抜くとこの有り様、学問に真剣に向かい足らないのだ」

 

○木曜日の朝、通勤

 

「子の慎むところは、斉(せい)・戦(せん)・疾(しつ)なり。論語/述而十二」

 

「夫子(孔子)が常に慎重になられたのは、祭祀、戦争、疫病である」

 

「祭祀とは春秋時代では政の一つとして最も重要とされた、戦争と疫病は現代でも同じく最大の災いだ」

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「正義とは、立場変われば一方的で不合理なものだ」

 

「しかし、昨今はその正義すら人から薄くなり、無関心が幅を利かせている」

 

「まわりに関心がない、自分さえ良ければいい、その先にある暗闇と戦禍を忘れてしまった」

 

○木曜日の朝、電車内

 

「もちろん、従順なる羊たちも選択の一つだ、望まれてもいる」

 

「毎年毛を刈られ、子を生み、最後は食卓に上るのも(無関心なら)悪くはない」

 

「巨大な飼育場と、飼われるのを拒み戦う人、古代から何も変わらない」

 

○木曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、利に放りて行えば、怨み多し。論語/里仁十二」

 

「私利私欲のままに行えば、四方八方から同類の怨みを買うものだ」

 

「自分だけは許される、と思う人はあちこちに居るし、自分以外は許されるはずはない、と思う人もあちこちに居る」

 

○木曜日の夕方、乗り換え

 

「色々なものを持ち、色々なものを背負っている、本来無一物とか」

 

「あまつちの下、気持ち良く生きれるものを、課金ばかりして喜んでいる」

 

「天国か地獄か、異世界か知らないが、昨今は能力値やスキルそのままで転生出来るらしい」

 

○金曜日の朝、通勤

 

孔子対えて曰く、君君たり、臣臣たり、父たり、子子たり。論語/顔淵十一」

 

「斉の景公が政を問う、孔子はいう、君子は君子らしく、家臣は家臣らしく、父は父らしく、子は子らしくあれば良いのです」

 

「政とは、それぞれの立場で為すべきことを成し、言動に責任を持つこと」

 

○金曜日の朝、乗り換え

 

「三十人近く乗っているも、会話一つなくアナウンスと機動音のみ響く電車内」

 

「沈黙の中で、修行僧の様に微動だにしない乗客たち、ふと三十三間堂を思い出す」

 

「参観したのはだいぶん前だ、涼しくなったら行ってこよう、京都寺社巡りとは良いものだ」

 

○金曜日の夕方、通勤

 

「吾少くして賤しかりき。故に鄙事に多能なり。論語/子罕六」

 

「夫子(孔子)はいう、私は恵まれた環境で育った訳ではない、故に世の術に長けているのだ」

 

孔子は十七歳で孤児となり、若い頃は倉庫や牧場で働いていた」

 

○金曜日の夕方、乗り換え

 

儒学とは実践の学問であり、ヒロイズムとは異なる」

 

「誰かの為なら戦うが自らはどうでもいい、とは弱さとする、自らは綺麗なままでいたいのか」

 

「自らを強くして生きてこそ大切な人を救える、汚泥の中でのたうち回り、多くの人に嫌われても一向に構わない」

 

所感)

■日常を題とした自由律を再開する

最近は、論語の書き下し文を意訳し思うところを自由律で述べることを主としてきた。自らの学問の振り返りにもなる。

しかし、熱心な読者の一人である年老いた母より、私の日常生活で感じた些細なことを述べた自由律も楽しいとの注文がきた。

子として、唯々諾々以外の選択肢はあり得ない。