四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第五十三章

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○月曜日の午後、9月19日、ウオーキング

 

「台風故に終日家と思いしも今年最後の三十度越えと知り出かける」

 

「素敵な風に身体が斜めに押されつつ雨が振り出した、傘は無理だ」

 

「クラッシック・ロックを聴きながらテンションが上がる、来い、風よ!」

 

https://youtu.be/bkApuQWCPdM

#自由律

 

○月曜日の午後、台風

 

「森が大きく揺れている、良い音だ、嵐とはなんと心惹かれるものか」

 

「根っからの天の邪鬼なのか、人が道にいないととても嬉しい」

 

「おお、大雨が振り出した、音楽を変えよう、そう、シューベルトの魔王だ!」

 

https://youtu.be/2d4SddVDBZI

#自由律

 

○月曜日の午後、自宅

 

「気持ち良く濡れネズミと化して帰宅する、途中共有廊下で子と出会う」

 

「試験勉強の憂さ晴らしに嵐の中でラグビーの練習をするらしい」

 

「亡父も、私も、子も、どうも代々頭のネジが数本抜けている、こういう家系なのだろう」

 

#自由律

 

○火曜日の朝、通勤

 

「杖を以てその脛を叩く。憲問四十五」

 

「幼き頃からの知り合いである原壌とは、どうしようもない人間であった」

 

「控える原壌を見かけた孔夫子は、愚か者、と、杖で脛を軽く叩いた」

 

#自由律 #論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「原壌を孔夫子は叩くのだ、無視はしないところに優しさを感じる」

 

「あるいは、若くして亡くなった愛弟子と、老いて無様な原壌を比べたのか」

 

「幼き時は素直でなく、大人になっても良いところが無い、そしてただ老いた人らしい」

 

#自由律

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、吾知ることあらんや、知るなきなり。子罕八」

 

「私は全てのことを知っているのではない、相手の意を知り、中庸を述べているに過ぎない」

 

「孔夫子、故に中庸に留まれるのだ、凡人では並大抵のことでは無理だ」

 

#自由律 #論語

 

○火曜日の夕方、乗り換え

 

「歳を取ると、これまでの出来事の答え合わせの時期が訪れるらしい」

 

「不仁の輩、とは必ず報いを受けているし、私利私欲の人、とは自滅するか追放されている」

 

「省みれば自らはどうか、冷や冷やものだが、今のところは無事らしい」

 

#自由律

 

○水曜日の朝、通勤

 

「丘や幸いなり、苟しくも過ちあらば人必ずこれを知る。述而三十」

 

「私は幸せである。過ちがあれば教えてくれる人がいることは」

 

「孔夫子ですら間違いをする、そして間違いは速やかに認め反省された」

 

#自由律 #論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「悪夢、寝不足、理解し難い内容であった、不愉快なり」

 

「散髪にいって蛍光緑色のエイリアンに食べられた、支離滅裂ではないか」

 

「一喜一憂するつもりは毛頭ないが、一国の宰相が過ちを認めず、省みもしないとは」

 

#自由律

 

○水曜日の夕方、通勤

 

曾子曰く、以て六尺の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪うべからず。泰伯六」

 

「十四、五歳の孤児を引き取っては育て、大国の政治も見事に行える、正念場において志は揺るぎようもない」

 

「孔夫子の高弟である曾子が、君子の有り様を述べた」

 

#自由律

 

○水曜日の夕方、満員電車

 

「人とは手を見ればよい、手は如実に生き方を物語る」

 

「子供の手のような若者を見る、身体は大きいが何を学んできたのだろう」

 

「優先座席に大きく脚を組んで座る若者たち、その手は余りにも幼い」

 

#自由律

 

○木曜日の朝、通勤

 

「子夏曰わく、小道と雖も必ず観るべき者あり。子張四」

 

「どのような細いことにも、必ずや感心すべきことが含まれている」

 

「しかし、道(天命)を全うするのであれば道の中心(大道)を進むべきだ」

 

#自由律 #論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

儒学における天命とは、世の中に善を行き渡らせる為の行いをいう」

 

「世に道があれば表舞台に出るし、不正や不義がまかり通るなら隠棲する」

 

「次の世に正しき者を一人でも遺すべく、自らの学問を励み周囲に広げる」

 

#自由律

 

○木曜日の夕方、通勤

 

「顔淵、仁を問う。子曰く、己に克ちて礼に復るを仁と為す。顔淵一」

 

「後継者と見做されていた高弟の顔淵が仁を問う、孔夫子は言われた、自らが規範となり礼を全うすること」

 

「孔夫子は弟子の実力により教え方を変えた、この場合、孔夫子と同じレベルをいう」

 

#自由律 #論語

 

○木曜日の夕方、乗り換え

 

「明日から三連休、子は試験勉強、父も資格と儒学の勉強に勤しもう」

 

「座禅とは、そこまで骨が折れるものかと絶句する、生き死にの覚悟以上とは」

 

「省みれば、自らの学問の道も生温い、もっと骨を折らねば物にはなるまい」

 

#自由律

 

○木曜日の夜、自宅

 

「上海駐在の頃、二年間、形意拳を習う。師父は孫禄堂の子、孫剣雲師父の兄弟子であった人」

 

「師父の紹介状を持ち、孫剣雲師父を訪ね北京にいく、満面の笑顔で歓迎され、お昼ご飯をご馳走になる」

 

「師父手作りの、トマトと卵の炒めもの、スープ、ご飯をいただく、美味しかった」

 

#自由律

 

○木曜日の夜、自宅

 

「先述の通り、若い頃、上海で孫剣雲師父の兄弟子にあたる王師父より形意拳を習う」

 

「開式、三体式、五行拳を習い、帰国する、以来二十五年、新たな師父との出会いなく、独り練習する」

 

「最近、子が、中国拳法に興味持ち漫画「拳児」全巻を購入する、久方ぶりに読み返す」

 

#自由律

 

○木曜日の夜、自宅

 

「公田連太郎先生の「易経講話」を読み進めているが、今、形意拳易経の共通項に気づく」

 

形意拳とは「一陰一陽これを道と謂う」を身体で表現しているのだ」

 

「開式から三体式へ、そして劈拳(金行)・蹦拳(木行)・鑚拳(水行)・炮拳(火行)・横拳(土行)へ」

 

#自由律

 

○木曜日の夜、自宅

 

「若い頃学んだ形意拳と、今学んでいる易経がリンクした、正直、驚いている」

 

「師父の言葉が蘇る、今は北京語はほぼ忘れたが、不思議と師父の言葉は脳裏にある」

 

「大地に根を張ること、三体式こそ形意拳の本質であり、五行とは表現に過ぎない」

 

#自由律

 

○木曜日の夜、自宅

 

「公田連太郎先生曰く、易経儒学の言葉で述べられたのは、たまたまに過ぎない」

 

「あらゆる分野、世界を「易経」は解き明かせるし、世界の本質を述べている」

 

「なるほど、中国の内家三拳(太極拳形意拳八卦掌)が、易経の世界を内包するのは、ある意味当然なのだ」

 

#自由律

 

○金曜日の午後、ウオーキング

 

「子の試験勉強捗らず家庭不和、ストレス溜まり父の資格勉強も捗らず」

 

「勉強するのは本人だ、親が言っても効果無し、ならもう言わない」

 

「場所変えだ、マクドでコーヒー、仕切り直そう、反抗期はほっとこう」

 

#自由律

 

○金曜日の午後、森の中

 

「心がざわついている、いつの間にか子を心配している(親バカだ)」

 

「深呼吸して気を丹田に、重心を低くして歩くことに集中する」

 

「雨上がりの森の匂い、小鳥の冴えずり、足音、呼吸する音」

 

#自由律

 

所感)

■連なり

漫画「拳児」を読んで、今学んでいる周易と昔習った形意拳がつながるとは思ってもみなかった。

中国の拳法なのだ、考えてみれば、儒学易経と関係しない訳がない。

 

■自宅

三連休の中日であるが、子は中間試験勉強に追い込まれ父の相手どころではない。

気温も30度まで上がるとのこと、外出するのも億劫だ。