書き下し文)
仲尼日わく、
「君子は中庸し、小人は中庸に反す。
君子の中庸は、君子にして時に中すればなり。
小人の中庸に反するは、小人にして忌憚するなければなり」と。
子日わく、
「中庸は其れ至れるかな。民能くする節きこと久し」と。
子日わく、
「道の行なわれざるや、我れこれを知れり。
知者はこれに過ぎ、愚者は及ばざるなり。
道の明らかならざるや、我れこれを知れり。
賢者はこれに過ぎ、不肖者は及ばざるなり。
人は飲食せざるもの莫きも、能く味を知るもの鮮きなり」と。
子日わく、
「道は其れ行なわれざるかな」と。
意訳)
孔子はいわれた、
君子は中庸にあり、小人は中庸に背く。
君子の中庸とは、いかなる時にもその心を常に静とする。
小人の中庸に背くとは、乱れた心のままに、いきあたりばったりの後先を考えない行いをいう。
孔子はいわれた、
中庸に至るとは、心を常に静とするに尽きる。
昔はこれを能く行う人も世の中にはいたが、最近は見かけることはない。
孔子はいわれた、
どうして世の中で中庸が行われなくなったか。
知者は自らの知が過ぎて行いは中庸から外れ、愚者は愚かで行えない。
どうして世の中で中庸が知られなくなったのか。
賢者は自らの賢さが過ぎて世の中に中庸は明らかにはならず、不肖者は理解すらしていない。
例えれば、人で飲み食いしないものはいないが、本当の味を知るものは少ないのと同じこと。
孔子はいわれた、
中庸、心を常に静とする道が、なんと世の中で行われなくなったことか。
所感)
■心を常に静とする
中庸を、中庸という言葉のままに理解するとしたら、曖昧なもやもやとした何かのまま、自分の中で意訳が中途半端となる。
故に、これまでの学問の積み重ねのままに意訳する。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。
#儒学 #中庸