四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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中庸 第二章第一節

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書き下し文)

仲尼日わく、

「君子は中庸し、小人は中庸に反す。

君子の中庸は、君子にして時に中すればなり。

小人の中庸に反するは、小人にして忌憚するなければなり」と。
子日わく、

「中庸は其れ至れるかな。民能くする節きこと久し」と。
子日わく、

「道の行なわれざるや、我れこれを知れり。

知者はこれに過ぎ、愚者は及ばざるなり。

道の明らかならざるや、我れこれを知れり。

賢者はこれに過ぎ、不肖者は及ばざるなり。

人は飲食せざるもの莫きも、能く味を知るもの鮮きなり」と。
子日わく、

「道は其れ行なわれざるかな」と。

 

意訳)

孔子はいわれた、

君子は中庸にあり、小人は中庸に背く。

君子の中庸とは、いかなる時にもその心を常に静とする。

小人の中庸に背くとは、乱れた心のままに、いきあたりばったりの後先を考えない行いをいう。

孔子はいわれた、

中庸に至るとは、心を常に静とするに尽きる。

昔はこれを能く行う人も世の中にはいたが、最近は見かけることはない。

孔子はいわれた、

どうして世の中で中庸が行われなくなったか。

知者は自らの知が過ぎて行いは中庸から外れ、愚者は愚かで行えない。

どうして世の中で中庸が知られなくなったのか。

賢者は自らの賢さが過ぎて世の中に中庸は明らかにはならず、不肖者は理解すらしていない。

例えれば、人で飲み食いしないものはいないが、本当の味を知るものは少ないのと同じこと。

孔子はいわれた、

中庸、心を常に静とする道が、なんと世の中で行われなくなったことか。

 

所感)

■心を常に静とする

中庸を、中庸という言葉のままに理解するとしたら、曖昧なもやもやとした何かのまま、自分の中で意訳が中途半端となる。

故に、これまでの学問の積み重ねのままに意訳する。

 

今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。

#儒学 #中庸