四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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中庸 第二章第二節

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書き下し文)

子日わく、

舜は其れ大知なるか。

舜は問うことを好み、

而して言を察することを好み、

悪を隠して善を揚げ、

その両端を執りて、

その中を民に用う。

それ斯を以て舜と為すか、と。
子日わく、

人は皆な予は知ありと日うも、

駆りて諸れをこか陥穽の中に納れて、

これを辟(避)くるを知ること莫きなり。

人は皆な予は知ありと曰うも、

中庸を択びて、期月も守ること能わざるなり、と。

 

意訳)

孔子はいわれた、

舜とは、なんと大知なことか。

舜は、人の善いことであれば、自らも行う為にその方法を人に問うことを好んだ。

また、どのような言葉でも、善いことが含まれていれば、その言葉を好んだ。

人をみるに、その悪をみるのでなく、善い行いを以てその人を評価した。

また、その悪と善い行いを踏まえて、常に中庸である行いを民を治めるに用いた。

これ故に舜は、後の世で大舜と称され民に敬われた。

孔子はいわれた、

今の人は皆、我こそは知者という。

しかし、鳥や獣が餌に釣られて罠にかかるように、私利私欲にかられ世の中の悪の罠を避けることを未だに知らない。

今の人は皆、我こそは知者という。

しかし、中庸をかろうじて得たとしても、ひと月もそれを守ることも出来ない。

 

所感)

■学問の道

大舜の登場となる。

中庸という書を学ぶにあたり、大学、論語孟子の後に学ぶ順を朱熹朱子)は定めたが、確かに納得する。

学問の道に志を立て、四書の通読を行ったさい、ブログにも書いたが当時は手も足も出なかった。

あれから孟子を中心に学び、今も学んでいる。

今回の意訳、正誤は正直わからない。

孟子で学んだ大舜のまま、意訳した。

少なくとも当時よりは、学問の積み重ねた分だけ理解していると信じたい。

また、この中庸の意訳も学問の積み重ねとなり、再び孟子の意訳に戻った時に新たな力となっていることを信じる。

 

今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。

#儒学 #中庸