書き下し文)
子日わく、
舜は其れ大知なるか。
舜は問うことを好み、
而して言を察することを好み、
悪を隠して善を揚げ、
その両端を執りて、
その中を民に用う。
それ斯を以て舜と為すか、と。
子日わく、
人は皆な予は知ありと日うも、
駆りて諸れをこか陥穽の中に納れて、
これを辟(避)くるを知ること莫きなり。
人は皆な予は知ありと曰うも、
中庸を択びて、期月も守ること能わざるなり、と。
意訳)
孔子はいわれた、
舜とは、なんと大知なことか。
舜は、人の善いことであれば、自らも行う為にその方法を人に問うことを好んだ。
また、どのような言葉でも、善いことが含まれていれば、その言葉を好んだ。
人をみるに、その悪をみるのでなく、善い行いを以てその人を評価した。
また、その悪と善い行いを踏まえて、常に中庸である行いを民を治めるに用いた。
これ故に舜は、後の世で大舜と称され民に敬われた。
孔子はいわれた、
今の人は皆、我こそは知者という。
しかし、鳥や獣が餌に釣られて罠にかかるように、私利私欲にかられ世の中の悪の罠を避けることを未だに知らない。
今の人は皆、我こそは知者という。
しかし、中庸をかろうじて得たとしても、ひと月もそれを守ることも出来ない。
所感)
■学問の道
大舜の登場となる。
中庸という書を学ぶにあたり、大学、論語、孟子の後に学ぶ順を朱熹(朱子)は定めたが、確かに納得する。
学問の道に志を立て、四書の通読を行ったさい、ブログにも書いたが当時は手も足も出なかった。
あれから孟子を中心に学び、今も学んでいる。
今回の意訳、正誤は正直わからない。
孟子で学んだ大舜のまま、意訳した。
少なくとも当時よりは、学問の積み重ねた分だけ理解していると信じたい。
また、この中庸の意訳も学問の積み重ねとなり、再び孟子の意訳に戻った時に新たな力となっていることを信じる。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。
#儒学 #中庸