四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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孟子 子路は人之に告ぐるに

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書き下し文)

孟子曰く、

子路は人之に告ぐるに其の過ちを以てすれば、則ち喜べり。

禹は善言を聞けば、則ち拝せり。

大舜は焉れより大なるもの有り。

善きこと人と同じければ、己を捨てて人に従い、

人に取りて以て善を為すを楽しめり。

耕稼陶漁より、以て帝と為るに至るまで、人に取るに非ざる者なかりき。

諸を人に取りて以て善を為すは、是れ人と善を為す者なり。

故に君子は人と共に善を為すより大なるはなし。

孟子 公孫丑章句上

 

意訳)

孟子はいわれた。

武勇を好み、質実剛健といわれた孔子の門人である子路は、自らの過ちを忠告されるとたいそう喜んだという。

また、

大舜から帝位の禅譲を受けて、夏王朝を開いた禹帝は、人から善い言葉を聞けば、心の底から頭を下げられたという。

そして、

大舜に至っては、子路、禹帝よりも遥かに大きい善いことを行われた。

それは、善いことであれば、自らはもちろんのこと人々と共に行うこと。

また、他の人に善い行いがあれば、自ら学び、人々と共にそれを行うこと。

このように大舜は、他の人の善いことを学び、人々と善いことを行うことを楽しみとした。

歴山の田舎で農作業をしている時も、

黄河の川辺で陶器を作る時も、

深山の谷川で漁をする時も、

堯帝から帝位を譲り受けた時も、

立場は異なれど、常に、他の人の善い行いを学び、人々と善いことを行うことに変わりはなかった。

故に、君子にとって、最も偉大なこととは、人々と共に善いことを行うことに尽きる、とされる。

 

所感)

■人類普遍の原理

「善いこと」は手段であり、目的ではない。

君子とは、苦しむ民を救い、民の喜びを我がことのように喜び、民を徳の道へ導くことを楽しみとする。

目的あっての「善いこと」であり、そもそも善悪に客観性はなく、「善いこと」に拘り過ぎれば、また、道を外れることとなる。

アドルフ・ヒトラーヨシフ・スターリン、広島・長崎の原爆投下といった二十世紀の悪夢も、一方的な「善いこと」から始まった。

こう考えれば、「善いこと」は、もはや虐殺や恐怖、狂気と同じ意味と化す。

故に、だからこそ、思いやりの心、あわれみの心、仁のこころ。

仁とは、とてつもなく深く、天を覆うほど広く、世界を包み込む。

学問の道を歩むとは、人類普遍の原理を学ぶことに他ならない。

 

今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。

#儒学 #孟子