四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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孟子 湯・桀を放ち、武王・紂を伐てること

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書き下し文)

斉の宣王問いて曰く、

湯・桀を放ち、武王・紂を伐てること、諸有りや。

孟子対えて曰く、

伝に於てこれ有り。

曰く、臣にして其の君を弑す、可ならんや。

曰く、仁を賊う者之を賊と謂い、義を賊う者之を残と謂う、

残賊の人は、之を一夫と謂う、

一夫紂を誅せるを聞けるも、

未だ君を弑せるを聞かざるなり。

孟子 梁恵王章句下

 

意訳)

斉の宣王は問う。

殷の湯王は、夏の架王を追放し、

周の武王は、殷の紂王を放伐した、

これは、史実であろうか。

孟子はいわれた。

そのように伝えられている。

王は問う。

家臣の身で、君主を弑するとはどういうことか。

孟子はいわれた。

仁を損なう者を賊といい、義を損なう者を残という。

残賊の者とは、もはや君主ではなく、獣や畜生の類いである。

獣や畜生の類いである紂を、適正に処理したとは聞くが、

家臣の身で、君主を弑するとは、未だ聞いたことがない。

 

所感)

■人名

宣王(? - 紀元前301年)、中国の田斉の第5代君主。学問を奨励し諸国から学者を集めた。商工業を中心に国を富ませ、父の威王と並び名君とされる。弟の靖郭君田嬰とその子の孟嘗君を重用し、斉を、西方の雄秦と並ぶニ大大国に至らせる。

 

■言葉

放伐

国史において、暴君や暗君を討伐して都から追放すること。易姓革命とも。

易姓革命

周の武王が殷の紂王を滅ぼした頃から唱えられ、天は己に成り代わって王朝に地上を治めさせるが、徳を失った現在の王朝に天が見切りをつけたとき、「革命(天命を革める)」が起きるとされた。それを悟って、君主(天子、即ち天の子)が自ら位を譲るのを「禅譲」、武力によって追放されることを「放伐」といった。❲Wikipediaより❳

 

■適正な処理

孟子は過激な思想であり、革命(天命を革める)を認めるもの、とする人たちが引用する章。

内実は、主語を欠いた、誤った解釈にしか過ぎない。

「民を苦しめ、仁と義を損なう、獣畜生の類い」故に、弑する(適正に処理する)のだ。

なんら、当たり前のことを述べているに過ぎない。

 

孟子にこのことを問うた王が、名君とされた二大大国、斉の国の宣王であることも興味深い。

方や、民を搾取して造らせた広大な庭園を前に、孟子に、古の君子と同格を気取ろうとした梁の恵王のとの差は大きい。

 

今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。

#儒学 #孟子