書き下し文)
天子より以て庶人に至るまで、
壱に是れ皆身を脩むるを以て本と為す。
その本乱れて末治まるは否す。
その厚かる所(可)き者薄くして、
その薄かる所き者厚きは、
未だこれ有らざるなり。
此れを本を知ると謂い、此れを知の至まりと謂うなり。
大学 第一章第三節
意訳)
天子から庶民に至る、あらゆる人にとって、
一身を徳により修めることとは、人としての本源となる。
人としての本源が乱れては、末である目・耳・口・腹の求めるがままの行いが治まることはない。
厚くしなければならぬ、自分の徳を明らかにすることを薄くし、
薄くしなければならぬ、世俗に塗れ、私利私欲を追い求めることを厚くして、
世の中、苦しむ民が救われたことは未だない。
故に、一身を徳により修めることが、やがては世の中の苦しむ民を救うことに至る、という理を知ることが、人としての本源を知ることであり、人として知るということの極みとも言える。
所感)
■学問の積み重ね
書き下し文を意訳していて、頭で考えていては、一行も進まないことに気づく。
自ら積み重ねたこれまでの学問を思い、心のままに筆を動かせば自然に文章を書き終えた。
逆に言えばこの意訳は、私の、現時点での学問の積み重ねの結果と言える。
ブログを始めた頃と比べると、驚きを感じる。
学問の道とは、面白いもの。積み重ね、重ねるほど、気づかずとも着実に学問の道は歩めているのではないか。
■学問の道
中間試験の大学第一章の意訳を終え、ほっとしている。
再び、ベース基地の孟子の意訳に戻るとする。
ただ、今回の大学の意訳で、王陽明の伝習録に興味を抱き、さっそくAmazonで購入する。
本来であれば明治書院が定番であるが、伝習録は溝口雄三先生の書が定番とのことで、
中央公論社刊、「世界の名著シリーズ、朱氏、王陽明」を安価で購入する。
今後、通読を繰り返した後、このブログで意訳を行いたい。
一般的に、中間試験のあとは期末試験となる。
またいつか、大学第二章の意訳も行う。
それまでにいっそう、学問の道を積み重ねたいと思う。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。
#儒学 #大学