四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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孟子 一單の食、一豆の羹も  

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一單の食、一豆の羹も、之を得れば則ち生き、得ざれば則ち死す。

叱爾として之を興ふれば、道を行くの人も受けず。

蹴爾として之を與ふれば、乞人も 屑 しとせざるなり。

萬鍾は則ち禮義を辯ぜずして之を受く。

萬鍾我に於て何をか加へん。

宮室の美、妻妾の奉、識る所の窮乏者の我に得るが爲か。

郷には身の死するが為にして受けず。

今は妻妾の奉の為にして之を為す。
郷には身の死するが爲にして受けず。

今は識る所の窮乏者の我に得るが為に之を為す。
是れ亦以て已む可からざるか。

此れ之を其の本心を失ふと謂ふ、と。

孟子 告子章句上

 

意訳)

貧困と飢えに苛まれ、死がその身に迫る時、

粗末な竹に盛られた雑穀と木の器に注がれた薄い豆の汁で、かろうじて生を得ることもある。

しかし、このような時でも、侮辱され投げ捨てられて与えられたならば、路で生活する者でもこれを受けない。

又、蹴りつけられ踏みにじられて与えられたならば、路で人に食を乞う者でさえ、これを受けることはない。

ところが、万ほどの大金であれば、無礼、不義なふるまいであっても、これを受ける。

万ほどの大金が、なにをもたらすのか。

宮廷のような家を建て、

妻や妾に贅沢な暮らしをさせ、

路で生活する者や路で人に食を乞う者に、尊大な態度で粗末な食事を蹴り与える為なのか。

かつて、貧困と飢えに苛まれ、死がその身に迫っていた時でも、無礼、不義な施しは、潔く拒んだではないか。

今や、宮廷のような家をさらに大きくする為に、不義な金を受ける。

妻や妾にいっそう贅沢な暮らしをさせる為に、不正な金を受ける。

路で生活する者や路で人に食を乞う者に、より尊大な態度で粗末な食事を、蹴りつけて与える為に、非道な金を受ける。

このような境遇の変化に際して、目・耳・口・腹の求めるがまま、自らの行いを変えることを、

本心を失う、という。

 

所感)

■学問の道

世の中、本心を失った人が溢れかえっている。

そして本心を失った人を、もてはやすかのようなマスメディア、映画、雑誌の情報がさらに拍車をかけ、本心を失った人たちを量産し続ける。

目・耳・口・腹の欲するがままの行いは、獣、畜生の世界であり、巡り巡って、多数の貧困とその日の食事に困る人たちにつながる。

弱肉強食の世界を追い求める私たちは、なんと哀しい存在であろうか。

この哀しい、と思う気持ちこそ、学問の道につながると信じ、

札束を積み上げることを夢見るのではなく、

自らの学問の道を、ただ積み重ねるとする。

 

今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。

#儒学 #孟子