書き下し文)
易は天地と準う。
故に能く天地の道を弥綸す。
仰いでちって天文を観、
俯してるって地理を察す、
この故に幽明の故を知る。
始めを原ね終りに反る、
故に死生の説を知る。
精気は物を為し、
遊魂は変を為す、
この女に鬼神の情状を知る。
天地と相い似たり、
故に違わず。
知万物に周くして道天下を済う、
故に過たず。
旁く行きて流れず、
天を楽しみ命を知る、
故に憂えず。
土に安んじ仁に敦し、
故に能く愛す。
天地の化を範囲して過ぎしめず、
万物を曲成して遺さず、
昼夜の道を通じて知る。
故に神は方なくして易は体なし。
意訳)
易は天地になぞらえて作られた。
故に、
天地の道を弥綸(つくろいおさめる、洩れなく包みこむ)する。
聖人は易を拠りどころとし、
上を仰いでは天文を観察し、
下をうつむいては地理を観察する。
これ故に、
幽遠な道理も、著明な現象もあわせて知り得る。
易を拠りどころとして、
事物の本源を原ね極め、
終極にまでたち反えるとは、
死するゆえんを知ること。
これ故に、
生死の問題についての説明を知り得る。
陰・陽の気は結合し、事物を形成する。
その気が分散して生ずる遊魂は、様々な変化となる。
これ故に、
易に拠って陰・陽の理を窮めれば、鬼神の情状を知り得る。
易の道とは、
天と地の道と相似する。
故に、これと一致して違うことがない。
易を拠りどころとする聖人は、
その知力が万物にあまねく行きわたり、
その道が天下を済うに足る。
故に、
過ちを犯すことはなく、
ひろく自由に行動するが、放しに流れず、
天道を楽しみ、天命を知る。
故に、
心に憂いを抱くこともなく、
その居処に安んじ仁徳に厚い。
故に、
よく人を愛する。
易は天地造化の妙用を一定の型と囲いにおさめる。
また、度をすごさせず、万物を曲に完成して余すところがない。
昼夜の道、すなわち陰陽・幽明・死生・鬼神の道を通じて知り、わきまえる。
これ故に、
陰・陽の神妙なはたらきとは、
一方一処にとどこおることなくして円通する。
故に、
そのはたらきを内に蔵する易の変化は、一定の型体はない。
所感)
■易経、易学の凄み
東洋思想の叡智、易学の完成された世界を前に、現実世界を省みて、この書を開くと、
このような天地無双の文章が目の前に現れた。
と、しか表現出来ない。
易経、易学を学ぶに際しての魅力を充分に語っているのではないか。
また、易経=儒学である、との諸先輩方の言葉に、浅学非才の身ながら共感を覚えるに至る。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。