四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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日記・雑記 第一話

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○10月2日、日曜日、朝7時から資格勉強の為にマクドへ。途中You Tubeを見たりするが概ね勉強する。

テキストは一巡するも過去問につまづく。分野外の初見が多く、都度青ざめる。

昼は家で食べる予定。もう少し頑張るとする。週末は勉強しているが、仕事のある平日に出来ていないのが痛い。

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○日曜日、昼まで頑張るが、座るのが苦痛となり外へ。

タバコの匂いがする。

身体を壊してからは禁煙している。

もう、二度と吸うことはない。

10月でこの暑さとは、何か世界はおかしい。

 

○月曜日終わる、疲れた。生協で半額の米5㌔を見つけ2袋買い帰宅、のち風呂、晩酌のビール、キムチ、ビーフシチュー、焼き茄子、ごはん、食後、岩波文庫道元禅師語録を読む、難解なり。

子、ラグビーの練習でボロボロになって帰宅する。

子、気になる咳、昨夜は鼻血、調子悪いらしい。風呂へ。

 

○月曜日、夜、部屋を暗くして、資格勉強に集中する。

過去問を一問でも進めよう。

隣室で食事する妻と子の今日の出来事を聴きながら集中する。

朝が早いので、あと一時間程で就寝予定。

寝る前には日課の筋トレを気を失うまで行う。

筋肉は正義なり。

 

○火曜日の朝、梅田は再開発が行われ、阪急ビル周辺も2035年には大きな高層ビルに建て変わるらしい。

2035年、あと13年後、子は26歳、私は定年前のヨボヨボだ。

梅田は幼少時に両親に連れられ、やがて友人と、妻と、子と、最後は孫を連れて、街の移り変わりを見ることになるらしい。

生きていればだが。

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○火曜日の夜、まだ火曜日の印象なれど残念ながら火曜日なり。

帰宅、風呂、晩酌はビール1缶、野菜スープ、大豆と鶏肉の煮込み、ご飯、コーンのチーズ炒め、ご飯お代わり。

食後、日本酒コップ一杯をチビチビと呑みながら自室でニュース、動画等のチェックで午後7時に。

今から眠るまで資格勉強する。

 

○水曜日の朝、昨夜からモヤモヤが。

段取りよく行えた昨日の仕事ながらも、主客が逆転して、こちらの手の平で客を踊らさせてしまう。

どちらにしろ踊ってもらうのだが、今回はあからさま過ぎた。

もっと深く、察知されない暗闇から客を自在に操るのが楽しい。

今日はうまくやろう。暗闇から誘導するのだ。

ムスカ大佐曰く「見ろ!! 人がゴミのようだ!!」

 

○水曜日の朝、どうも今年はハイド氏達のと不愉快な経験が多い。

当方、儒学を以て日常生活での実践を目指す身、故に以前の様に片っぱしから喧嘩していた猪突ではないのに、何故か次々と揉める。不思議なり。

持ち前の短気を抑え小人は相手せずとスルー。売られた喧嘩を買うより、忠恕で通せたと思う。

 

○水曜日の夕方、伊藤仁斎先生曰く、論語とは、「最上至極宇宙第一の書」である、と。

なるほど、全くだ。章句一つとっても奥が深過ぎる。

出来ることは限られているが、繰り返し、繰り返し、学ぼう。

 

○木曜日の朝、電車内で通路に座り込んで身体を揺らしている男性、声をかけようと思ったが、周囲は無視して目を合わせない。

瞳をみればその人がわかると説いたのは孟子だ。

目を合わせた、駄目だ、既に死人の目をしている。暗く、鈍い光、焦点が合ってない。口から下は薄ら笑い。南無阿弥陀仏

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○木曜日の昼、新しい記念紙幣発行の有無よりも、発起文章が気にかかる。

 

国葬に反対する人がいたからこそ発行すべきだ

②イギリスの女王と同じ様にしてみよう

③反対した人は政治の奥深い真髄が理解出来ない人だ

④発行は、天の理にかなうことだ

 

国会議員が言うには、余りにもロジックが稚拙過ぎないか。

 

非業の死を遂げた政治家を悼むところは良い。

しかし、だから、記念紙幣や、あるいは巨大な銅像、果ては国民の祝日にまでする気なのだろうか。

そもそも紙幣発行が天の理など、儒学を学んでいる人間からすれば、天を侮辱するに等しい。

清廉潔白は無理でも、善悪合わせ持つ度量すらなく、発起人名すら公表せず、文章のみを週刊誌にすっぱ抜かれる有り様、何を集団でコソコソしているのだろうか。

 

選挙の時用の、良い人、は影を潜めて地が露呈している。

これが、祖国の国会議員たち(集団)の実在であれば、この国の未来は暗い。

 

ただ、こう思う様になったのは儒学を学び始めてからだ。

以前であれば、賛成・反対するにしろ誰かのレール上の意見に乗るしかなかった。

自ら考える、学問の進歩か。

 

○金曜日の夕方、昨夜は4連休前故に軽く一杯、帰りにKさんと時間があい合流、居酒屋さんへ。

軽く呑む。

昔ばなしに花が咲く。とても楽しかった。

儒学の話しは滑ってしまう。

一生懸命聞いてくれたのだが、浅い、と返答あり。

今週は、睡眠不足が続いたせいか、今日は夕方まで眠る。

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○土曜日の朝、夢をみた。科学の発達により、人間が三大欲求より開放された世の中だ。もはや貧富の差もない。

最初はパラダイスであったが、徐々にホラー映画の雰囲気に移行する。

 

三大欲求とは人の基本であり、宗教や科学、社会、等々、は抑制にしろ開放にしろ、常に目的を私たちに与えてくれる。

 

例えば、禅僧はどうであろうか。

三大欲求をとことんまで抑制した生活を過ごす。

例えば、大国の大統領は?、或いは犯罪者は?、或いは、或いは。

 

やはり、過ぎても足らなくても、人間は幸せにはなれない。

私たちが、満たされる、満たされたい、と思うこと自体に非整合性が内包されている現実。

 

生まれてから、後に破壊されるという自覚を理解しつつ、その生を終えるまで欲求と戦い続ける。

 

勝っても負けても、その先は生か死だ。

生死→欲求→社会→ピラミッド

 

そもそも、幸せの価値観すら懐疑的になってしまう。

ふと、ベートーヴェンの第九が脳裏に響く。

 

私は汎神論者ではないが、これまでの仮定を整理すると、

 

「人間とは様々な制約を存在自体に課せられた不完全な、いや、不完全過ぎる存在であり、

それらから開放を望んでいる。」

 

という結論に達しざるを得ない。

 

先に述べたベートーヴェンの第九、大いなる存在と一つなり、開放される喜び。

 

ゲーテとの対話」の一句が脳裏に蘇る。

 

『人間というものは、ふたたび無に帰するよりほかないものさ!』

 

そう、開放とは、突き詰めれば無に行き着く。

無こそ、究極の安らぎであり、存在(個)とは波の様なもの。

 

やはり汎神論か、、、。形而上学、西洋哲学から遠い昔に離れた身なれど、aristotlesへ戻れと言うことか、、、。

 

○土曜日の朝、ウオーキングへ、マクドで午前中は資格勉強の予定。

よく風邪をひくので厚着したが不要であったようだ。

空が高く感じられ秋空が広がっている。f:id:aristotles200:20221008092321j:image

 

○土曜日の昼、そろそろ家へ帰ろう。電話すると、家族からお土産を要請された。

仕方なし、お昼時で行列なので時間をずらして買おう。

資格勉強は進まず。

新しく始めたブログが気にかかる。

こういう時は、家でやり直そう。

窓ガラスごしに、店に並ぶ人、店内のざわめき、たくさんの人に囲まれつつ孤独感。

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○土曜日の昼、この連休、儒学の勉強もどうするか練ろう。

礼記を最後まで読む。

②公田連太郎先生の周易講話の続き。

③挫折した春秋左氏伝へ挑む。

 

うん、①にしよう。この際だ、礼記を最後まで読むとしよう。

平凡社礼記(抄) は現代語訳なので、この連休を使えば、じっくりと読める。

 

○土曜日の夕方、子とラグビーの練習へ。大グラウンドでパスとキックパスの練習。

後に子からの要望で形意拳の練習。

以前教えた三体式は、子の形を見ると少しずつ練習していようだ。

今日も開式、三体式メインで、何故三体式が重要なのか、崩拳を例に説明する。

基本、全ての形は開式・三体式の形から始まる。

足・脚から腰、背中から腕の交差のラインと、左右の腕、脚の関係、及び丹田(臍)で打つと呼吸法とともに説明する。

あとは、足捌きをきちんと出来るまで一緒にして自主練習を見守る。

父が上海で指導を受けたのは二年に過ぎず、帰国してから二十数年、三体式と劈拳(と崩拳)ばかりしていたため、今は五行拳の他の形も危うい。

子に師運があり、将来良い先生に恵まれた時の為に、今後も基礎のみを教える。

三体式を(+劈拳)きちんと鍛錬していれば、必ず為になると信じている。

 

辺りが暗くなっても指導を希望する子、人のいないの大グラウンドの真ん中で、月明かりの中、親子で崩拳を繰り返し練習する。

 

あとがき)

■日記・雑記に関して

やはり自由律の制約下では、文章にまとめるのに時間がかかり過ぎる為、この際アカウントを別にした。

Twitterで書いたものをブログに載せるのは変わらない。

書いてみて、日頃書きたことがスラスラ出て来たので、しばらくは続けたい。