四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第七十四章(泰伯第八)

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○日曜日の午後、2月12日、ウオーキング

 

「午前中は家族と過ごす、午後から勉強を、少しは歩こう」

 

「どんな縁であろうと友人は大切にする、しかし、貴方は友人ではない、とされたのであればもはや他人だ」

 

「他人をブロックするのは当たり前ではないか、ご縁がなかったのだ」

 

#三行詩

 

○日曜日の午後、マクド

 

「さて、夕方まで資格勉強に集中する、向くのは前が良い」

 

「前職場の会長は将棋の駒で人物評をしていた、案の定、私は香車だ」

 

「けっこう気に入っている、そう、直進は得意だが後ろには戻れない」

 

#三行詩

 

○日曜日の夕方、マクド

 

「90年代ヘヴィメタル集を聴きながら、快調なり、曲のお陰か集中出来る」

 

「ひと休憩、相変わらず肩こりが酷い、布団の上で横になると仰向けにならねば起き上がれない」

 

「子、学年度末試験に向けて何故か筋トレに励んでいる、腹筋が四つ割りの家系であることを熱く語っていた」

 

#三行詩

 

○日曜日の夕方、移動中

 

「子の靴を買いに近くのイオンへ、現地で子と合流する」

 

「いちごが食べたいらしい、妻はチョコレートと、買い物して帰ろう」

 

「さて、よか週末だった、真っ直ぐに生きている、『退かぬ! 媚びぬ、省みぬ!』」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

「子曰く、その位に在らざれば、その政を謀らず。泰伯十四」

 

「孔夫子はいわれた、その立場にいない者が空想上の方針を述べても、なんら聴くに値するものではない」

 

「孔夫子は実践を重要視された、同時に口だけであることを恥とされた」

 

#三行詩 #論語

 

○月曜日の朝、電車内

 

「貧であることは恥ではない、貪であることを恥じとすべきだ」

 

「天と同くする仁の道を学ばんとする者とは、まず自らの心を仁で満たすこと」

 

「ポカポカとした暖かな仁で心を包まれている、儒家が仁でなくてどうするのか」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、車内

 

「今週もテキストを会社へ持っていく、心静かにして隙間時間に過去問をコツコツと」

 

「仁であるとは、仁でありたいと思う考えている時に間違いなく仁になっている、そう信じている」

 

「朝、血圧が低すぎた、94/68、去年は常に165/107の人が何故だろう、薬は飲んでない」

 

#三行詩

 

○月曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、師摯の始めより関雎の乱わりまで、洋洋乎として耳に盈つるかな。泰伯十五」

 

「孔夫子はいわれた、音楽を奏でる楽官の摯という名人が、詩経にある関雎を題とした曲を演奏した。始めから最後まで本当に美しく、それは見事な演奏であった。演奏が終わったあとも美しき音色の余韻が耳に残ったものだ」

 

「この句の解釈は古今、色々とあるも、孔夫子が音楽を聴くことを好んだことには変わりない。美しい音楽を聴くことは道徳の形成につながるのだ」

 

#三行詩 #論語

 

○月曜日の夕方、電車内

 

「月曜日終わる、ストレス、肩こり、お腹鳴る、ポテチでも買って帰ろう」

 

「自らの器の小ささを笑う、自然体でこその度量かな」

 

「いや、ありのままで良い、これが実力なら身の程を知る、悪いことではない」

 

#三行詩

 

○月曜日の夜、自宅

 

サワークリームオニオン味のポテチをつまみながら90年代ヘヴィメタル集を聴いている、楽しい」

 

ヘヴィ・メタル音楽とは、こよなく良いものだ」

 

「太古のアフリカ民族音楽のようでもあり、遥か未来のサイバーレボリューションの香りもする、頑固オヤジにピッタリだ」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、通勤

 

「子曰く、狂にして直からず、同にして愿ならず、空空にして信ならずんば、吾これを知らざるなり。泰伯十六」

 

「孔夫子はいわれた、熱狂的であっても一本気ではなく時に変節し、よく知らないにも関わらず、いい加減で不真面目な態度をとり、あまり出来ないのに関わらず誠実に取り組もうとしない。このような人は、私にもどうしようもない」

 

「学ぶ意識がない、自らを向上させようとしない、人と真剣に向き合わない、このような人とは漫然と歳をとり、不平不満ばかり述べて、いつの間にか周囲から居なくなっている」

 

#三行詩 #論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「くだらない人とは何処にでもいる、自らの内にも潜んでいる」

 

「月並みだが諦めないこと、生を終えるまで学ぶ、覚悟一つで変わる」

 

「感情を、自分を否定しない、全肯定して目的を遂げるまで戦う」

 

#三行詩

 

○火曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、学は及ばざるが如くするも、猶これを失わんことを恐る。泰伯十七」

 

「学問の道とは、遥か高き山脈の頂上を仰ぎ見るかのように、常に学ぶべきであり、日々学問に取り組んでいても、尚、取り逃しがあるかもと恐れるものだ」

 

儒家とは幸せだ、学問の道とは決して独りではない、論語を通じて、日常生活はおろか人生まで、孔夫子が常に横に居てくださる」

 

#三行詩 #論語

 

○火曜日の夕方、電車内

 

論語を学べるということは幸せだ、私は独学であるが決して一人ではない」

 

「毎日論語を開き、毎日論語を考える、孔夫子の教えを学べる時間が楽しくて仕方ない」

 

「横に座った女性がメンデルスゾーンの楽譜を広げている、横から見るとピアノソナタop14だ、帰ったら聴こう」

 

#三行詩

 

○火曜日の夜、自宅

 

「現代人に欠けているものは何か」

 

「一生を懸けて拝み讃えれる対象だ、極論なんでも良い、科学、芸術、音楽、信仰、思想、哲学etc‥」

 

「これらは自らだ、心底共感出来る存在を得ているか否か、人は独りでは生きれない、真の幸福とは自らの内にある」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、通勤

 

「子曰く、巍巍乎たり、舜・禹の天下を有てるや、而して与らず。泰伯十八」

 

「孔夫子はいわれた、舜帝、禹帝の治世とは、なんと偉大なことであろうか、しかもお二方は何もしていないかのように振舞っておられたのだ」

 

「善い行いを一人で楽しむ、次に、周囲に広げてみんなで善いことを楽しむ、そして、民の苦しみを我がこととして苦しむ、なんとかしようと必死に動く、舜帝とはやはり聖人だ」

 

#三行詩 #論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「何故か、ラッツ&スターの(め)組のひとの曲が脳裏に浮かぶ」

 

「電車内は寒く、安物のポマードの香りが漂い、肩こりが酷い」

 

「不思議だ、粋な事件でも起こるのだろうか、、、とりあえず、めッ!、と暗く呟いた」

 

#三行詩

 

○水曜日の朝、一休み

 

「世の中こんちくしょうが多い、その通りだ、確かに理不尽で不公平な世の中だ」

 

「貴方が、(今流行りの)お大臣さまのお坊ちゃまなら、いつも通りに不満を顔に浮かべればよい」

 

「でなければ、こんちくしょうとは壁だ、乗り越えるか突き破れ、逃げるにしろ復讐は忘れるな」

 

#三行詩

 

○水曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、大なるかな、尭の君たるや。巍巍乎として、唯天を大なりと為す。唯尭これに則る。蕩蕩乎として、民能く名づくるなし。巍巍乎としてそれ成功あり、煥としてそれ文章あり。泰伯十九」

 

「孔夫子はいわれた、堯帝の大徳とは、なんと偉大であることか。この世界に於いて、天のみが最も尊い存在であるが、堯帝ただ一人、天と同じくらい尊いといえる」

 

「堯帝の偉大さに民は言葉に表すことすら出来ない。堯帝は天分を観察して暦を作らせ、大洪水を治める為の治水事業を始められ、社会の規範となった礼楽制度を整えられたのだ」

 

#三行詩 #論語

 

○木曜日の朝、通勤

 

「舜に臣五人ありて天下治まれり。武王曰く、予に乱臣十人ありと。孔子曰く、才難しと。それ然らずや。唐虞の際、斯に於いて盛んなりと為す。婦人あり、九人のみ。天下を三分してその二を有ち、以て殷に服事す。周の徳はそれ至徳と謂うべきなり。泰伯二十」

 

舜帝には優秀な部下が五人いて天下を治めた。武王はいう、私には十人の優秀な部下がいた。孔夫子はいわれた、天下を治めるに優秀な人材を得ることは難しいとされているが、そうでもない。堯帝舜帝の偉大な時代が終わっても周王朝では勢いを盛り返している」

 

「武王の優秀な部下十人の内、一人は女性であった。周王朝が天下の三分の二を支配していても、尚、殷の支配下にて忠誠を誓ったとは、周王朝の徳とは最高のものといえる」

 

#三行詩 #論語

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

「毎日を忙しく過ごし、ある日いきなり中断する、もう戻れないかも知れない」

 

「故に、進む、学ぶ、戦う、生きている限りは前を向いて、進め、学べ、戦え」

 

「喜びも哀しみも決して独りではない、私たちはご先祖、祖父祖母、父母の思いに包まれている」

 

#三行詩

 

○木曜日の夕方、通勤

 

「子曰く、禹は吾間然すべきなし。飲食を菲くして孝を鬼神に致し、衣服を悪しくして美を黻冕に致し、宮室を卑くして力を溝洫に尽くす、禹は吾間然すべきなし。泰伯二十一」

 

舜帝の後を継いで夏王朝を開いた禹帝とは、聖人といわれた前帝たちと比べても遜色がない優れた人物であった。自らの飲食は粗末なものにして、民の為に農耕の神への供物を多くし、衣服は普段は粗末なものを着て、祭礼の時に用いる衣装を立派なものにした。さらに、自らの住まいや宮殿を粗末にして、全国の治水事業に全力を尽くした。禹帝とは堯帝、舜帝と遜色のない素晴らしい帝であったのだ」

 

「禹帝は、現在でも中国では治水の英雄・開拓の英雄とされている。西遊記孫悟空が使用する如意棒はもとは禹帝が江海の深さを計るのに使用した重りだという」

 

#三行詩 #論語

 

○金曜日の朝、通勤

 

「子、罕に利と命と仁を言う。あるいは、子、罕に利を言う。命と与にし仁と与にす。子罕一」

 

「孔夫子は、利益に関して述べられることは稀であり、述べられる時には天命や仁と合わせて述べられた」

 

「この句、荻生徂徠の解釈が秀でており、そのまま意訳する。伊藤仁斎先生の『利益を追えば義を害す』はやや強調し過ぎるように思う。孔夫子は富を否定されてはいない」

 

#三行詩 #論語

 

○金曜日の朝、乗り換え

 

「柄の悪い若い人たちが周りを見渡して、ここらへんはガラ悪いから危ないで、と話していた」

 

「私以外はガラが悪いらしい、確かに気を付けるとしよう」

 

「ようやく週末か、酷い肩こりと左眼が霞む、歳を取るとはそういうことだ、分別と諦念、墓場とか」

 

#三行詩

 

○金曜日の夕方、通勤

 

「達巷党の人曰く、大なるかな孔子、博く学びて名を成す所なしと。子、これを聞き、門弟子に謂いて曰く、吾何をか執らん、御を執らんか、射を執らんか、吾は御を執らん。子罕二」

 

「達巷という村人はいう、孔夫子とはなんと偉大な先生なのだろう、一つのことに優れているのではなく、あらゆることに秀でておられる。それを聞いた孔夫子は弟子たちに冗談をいわれた、それなら一つの仕事でもしてみようか、御者か射手か、よし、今日から御者に転職してみよう」

 

「孔夫子は身長が2m16cm あったらしく、あらゆることに秀でておられた。中島敦の『弟子』では、武術ですら任侠者であった弟子の子路を凌ぐとか。子の好きな漫画の登場人物である範馬勇次郎と孔夫子を

重ね合わせて独り笑う」

 

#三行詩 #論語

 

○金曜日の夕方、乗り換え

 

「思うところはがあるが、言葉にすることが正しいとは限らない」

 

「白黒つけるより、今の悪いほうがマシという場合もある」

 

「時の流れに任せれば真実は明らかになるもの、ただ仁と義を貫くのみ」

 

#三行詩

 

○金曜日の夜、自宅

 

「新スター・トレックシリーズは全シーズンDVDを集めた、ジャン・リュック・ピカード艦長は男の中の男と思っている」

 

「アマプラビデオのピカード1、2は当然観た、少し違う、新キャラなどいらない、我々は紅白歌合戦を期待している」

 

「今日、ピカード3の1話を観ている、Dr.ビバリー、次いでライカー副長が登場し目頭が熱くなる、そうだ、これだ、我々は往年のピカード艦長と仲間たちが大好きなのだ、もはや古き仲間たちが出るだけで良い、今回こそ頼む、頑張れAmazon!」

 

#三行詩

 

○土曜日の午前、ウオーキング

 

「朝、子が身体を引っ張ってくれたお陰か、少し肩こりが楽だ」

 

「90年代洋楽集を聴きながら、小雨降る森の中で傘をささずに歩いている」

 

梅の花が咲きつつある、来週くらいには家族で梅見に来よう、お弁当はスーパーで」

 

#三行詩

 

○土曜日の午後、マクド

 

「一泊十万以上のラグジュアリーホテルが大都市にて次々と開業している」

 

「貧富の格差、2.5%の富裕層が日本の富と権力を独占し、国を代表する市民として優雅な生活を楽しむ」

 

「高税率世界2位、物価高騰、絞り獲られるばかりの9割超の国民、これが現実だ」

 

#三行詩

 

「あるフォロワーさんが述べられた、今のこの国の現状は、海外なら暴動や動乱が起こるレベルだ、しかし皆一様に下を向き耐えている」

 

「マスコミも報道管制化にあり、そもそもスポンサー(富裕層)に刃向かえる訳がない」

 

「幸い、私たちは私利私欲を貪る権力者たちや彼らを支える富裕層を倒す為に革命運動に身を投じる必要はない、この国には憲法で保証された権利が有る」

 

#三行詩

 

日本国憲法『第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』とは肉体的な拘束ばかりではない、いかなる、とは精神的な拘束も当てはまる」

 

「江戸時代の農民が朱子学的な精神的拘束で搾り取られたと同様に、「新しい資本主義」にて令和時代では9割超の国民が世界2位の高税率で搾り取られている」

 

「一昔前とは異なり最新版はバージョンアップされ続けている、現代の支配とは支配されていることすら気付かせない、マスコミ、教育、国民感情、支配される前提で世界は構築され、養豚場のようなレールの上で国民を管理している」

 

#三行詩

 

儒学を学ぶとは、天の理、本来の姿が見えるようになることだ」

 

「だがここで疑問も生じる、大草原での自然淘汰、弱肉強食の世界故の自由か、養豚場で生まれて豚舎で出荷されるまで過ごす安全で支配された不自由か、どちらが幸せなのだろうか」

 

儒家なら答える、このような脅迫めいた選択を強いること自体が『いかなる奴隷的拘束』の文言そのものだ」

 

#三行詩

 

「この二択の選択こそ、権力者側からの行われた国民への洗脳の成果だ」

 

「この選択には、支配者層に対する是非が一切問われていない、言うことを聞かないと弱肉強食の世界へ戻すとの脅しだ」

 

「重ねていう、儒学を学ぶとは、天の理、本来の姿が見えるようになることだ」

 

#三行詩

 

歴史教育も、このような選択肢に対して、マスメディア、映画、ドキュメンタリーを通じて作成された強烈なイメージと共に選択を強いる、あの時代に戻してはいけない」

 

「選択肢を間違えると戦争になるかのようなイメージだ、国民は戦争など望まない、望んだのは権力者側であるのに、何故か、被害を受けた国民のせいにする、教育する」

 

「問われるのは、権力者側とそれを支える富裕層の資質であるべきだ、これこそ民主主義国家であり資本主義経済の長所ではなかったか」

 

#三行詩

 

「少し逆からも見てみよう、儒学を学ぶということは現実が正しく見えることだ、そしてこれは権力者側、富裕層にも当てはまる」

 

「権力者たちと彼らを支える富裕層は、確実に儒学を学んでいる、実践している、ある意味、令和の日本社会とは、私利私欲に満ちた君主たちによる歪んだ儒教世界そのものだ」

 

「孔夫子の教えとは、学び、考え、実践することをいう。仁、礼、義、智の物差しとは二千五百年を経ても輝きを失ってはいない、否、むしろ輝きを増す一方に思える。人間の本質は変わらない、孟子のいう性善説とは善を行う強い意思と、不仁・不義の支配者を追放する気迫あってこその性善だ、儒家とは戦う人であるべきだ」

 

#三行詩

 

○土曜日の夜、自宅

 

「感情を大切にする、嘘で自分を誤魔化さない、思いはここから始まる」

 

「思う、信じる、実践する」

 

「五十を前にして孔夫子の門をくぐる、学ぶを学び、今、自ら立っている」

 

#三行詩

 

○土曜日の夜、自宅

 

「生活は苦しくとも自分さえ良ければ結構だ、『出過ぎるな』そう暗に社会は脅している」

 

「さらなる増税増税を唱える人たちの正体とは世襲の権力者で富裕層だ」

 

「無関心こそ国民の鏡、貧しきままに野ざらし紀行、お寺さんも高額の世の中だ、隣国を笑う目くそ鼻くそかな」

 

#三行詩

 

所感)

■画像

考えたら毎回同じ風景の画像を載せている。

家と会社の往復の毎日故に通勤時間での風景しかなく、土日はウオーキングのち資格勉強でマクドだ。

今回、割愛してみた。

編集も楽でよい。スマホなので画像を載せるのに手間がかかっていた。

 

■没ツイート

気が付くとネガティブな内容であったり、自画自賛気味のものがあり、どんどん削除している。

せっかく書いたので一応は下書きに残し、そろそろ消そうかと思っていたが、ふと気付く。

醜い自分がこの文章に居る。

自分の醜さとは、その現実を肯定してこそ次につながる。どんどん残し、省みるところは省みようと思う。

ただ、本音が多く、読み返すと共感している自分がいる。まだまだだ。

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