書き下し文)
孟子曰く、
人の患いは、好みて人の師と為るに在り。
孟子 離婁章句
意訳)
孟子がいわれた。
人のめんどくさいところは、
自身がたいしたことなくても、
他人には、偉そうに、聞いただけの浅い悟りを教えて、
崇められ、師のように思われたいと思っていることだ。
所感)
■人の師たるとは
言い換えれば、人の師たる者であれば、
なにかを人に教えるということは、
自らの自尊心を満足させる為や、我が身を人から崇められたい為に、
自身の知識や経験を、考えもせず、あけっぴろげて教えてはいけない、ということか。
■成長につながる教え方
人に教えるということは、または、人の師たるを行おうとすれば、
教えを乞うもののレベルに合わせた、成長につながる教え方があり、単に答えを教えることではない。
知識、経験があるからといっても、その中心たる徳、仁、思いやりの心がなければ人の師とはなれない。
■武道、武術との共通点
私見ではあるが、武道、武術の師範クラスの方は、人の師として尊敬出来る方が多く思える。
私の道場での経験では、新しい技を教える場合、
言葉はあまり用いず、ひたすら組み合い、または反復練習を行い、身体で覚えさせられた記憶がある。
言葉だけではなく、身体で覚えた技は、頭で考える前に身体が動くようになる。
足運びや、受け身などは、考えて行うものではない。
書き下し文は一行に満たない、簡潔な文章であるが、その伝えるところは広く、深い。