書き下し文)
孟子曰く、
萬物皆我に備はる。
身に反して誠なれば、樂、為より大なるは莫し。強恕して行ふ、仁を求むること焉より近きは莫し、と。
尽心章句上
現代語訳直訳)
孟子はいわれた。
万物は皆、自分に備わる。
故に、我が身を省みて誠であれば、
楽しみ、これほど大きなものは無い。
まごころと思いやりの心で行えば、
仁を求めること、これより近き方法はない、と。
所感)
■孟子の教え
孟子といえば、この「萬物皆我に備はる」との大命題が有名であり、「強恕して行ふ」は、孟子の教えの中心にある結晶のようなもの。
こう書くと大げさで、神話か古代の理想論のように思われがちであるが、
万物皆備わるとは、自分の行い全てが、誠に恥じないこと、つまり、人、本来が備えもつ道理(四端、四徳)を行えていること。
人としての楽しみ、これほど大きいものは他にはない。
また、まごころと思いやりの心(強恕)、つまり、日常生活で両親に思う、当たり前の気持ち、行いこそ、仁に近い方法は他にない、と述べている。
■学問の道
孔子·孟子の教え、学問の道とは、両親に思う気持ちから始まり、仁を積み重ねて、やがては、人が本来備えもつ万物と一となり、大いなる楽しみを得る、と、そして、
四書、大学(儒学の要点をまとめた眼目)にある三綱領につながる。
明明徳 (明徳を明らかにする)
親民 (民を親しく愛する)
止於至善 (至善に止まる)
儒学のスケールの広さ、大きさにただ感嘆するのみか。
■学問の視点
最近、四書、大学に戻ることが多い。
孟子を学び、考えていると、自分の思いをどうまとめるのか、迷う時がままある。
孟子とは巨大な思想体系、論理性を持ち、入口に入ることは易しいが、一度中に入ると、余りにも巨大な思想、論理の中で、己の立ち位置を見失い、ただ文字を追いかけているばかりの時がある。
自分はどう思うか、この視点なきに学問は成り立たない。
また、これが今、学問に取り組む私がもつ唯一の「ものさし」でもある。
その意味で、四書、大学は、私にとって、孟子という巨大な塔を攻略する攻略本のような立ち位置にある。
同学の大先輩、黄周矢さんに教えていただいた、同じ立ち位置にある「近思録」も常に側にある。
学問の道とは、なんと楽しいことか。
悩みは、時間が溶けていくこと、これに尽きる。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。