書き下し文)
孟子曰く、
三代の天下を得るや仁を以てし、其の天下を失ふや不仁を以てす。
國の所廢興存亡する所以の者も、亦た然り。
天子不仁なれば、四海を保たず。
諸侯不仁なれば、社稷を保たず。
大夫不仁なれば、宗廟を保たず。
士庶人不仁なれば、四體を保たず。
今死亡を惡んで何も不仁を楽しむは、是れ猶酔ふことを惡んで而も酒を強めるがごとし、と。
孟子 離婁章句上
意訳)
孟子はいわれた、
夏・股・周の三代が、天下を得れたのは、
夏の西王、股の湯王、周の文王・武王が、仁政を行なったことによる。
天下を失なったのは、
夏の末世の樂王、股の末世の紂王、周の幽王・属王が、不仁の政治を行なったことによる。
諸侯の国々の興廃、存亡、これと均しい。
故に、
天子が不仁ならば、天下を保つことが出来ず、
諸侯が不仁ならば、国家を保つことが出来ず、
卿大夫が不仁ならば、家を保つことが出来ず、、
士庶人が不仁ならば、身体を保つことが出来ない。
今、死することを憎み嫌がりながら、不仁を楽しむとは、
酔うことを憎み嫌がりながら、ひたすら酒を飲むが如し。
所感)
■儒学の説明
この章、儒学の四書、「大学」にある三網領(儒学の眼目)の意に等しい。
明明徳》
天下を修める仁とは、身一つ修める仁にある。
まず身一つ修めた仁は、次に家、国家、天下に広がるものであり、身一つ、家一軒の仁を保てぬ者が国家、天下を修めれるわけがない。
まず目の前にある、両親の為の思いやりの心と仁の行いを大切にし、自らの徳を明らかにせよ、との意。
親民》
天下を得る、とは、天下の民を、仁と義の徳で苦しむことなく、安らかに暮らせるようにすることであり、天下とは民を示し、得るとは民を徳で親しむことにある。
謀略陰謀で権力をつかみとり、私利私欲を満たすことが天下を得るでは決してない、との意。
至善》
三代とは、堯・瞬が世を治められた理想の世に次ぐ、徳によって治められた世の中を示し、
明明徳(君子)から親民(天下)、やがて至善(堯・瞬の世)に至るも、
身一つを修める仁を疎かにすれば(不仁)、やがては三代の天下すら失われた、との意。
■学問の道
保たず、出来ず、との否定形が多いため勘違いしやすいが、
この章は、人であれば誰でも、君子にすら成り得るとのポジティブ論ともいえる。
仁とは難しいものではない。
両親への気持ち、あわれみの心を広げていけば、やがてはその身を修め、その家を修め、やがては国をも修める。
全ては、自らに備わる徳を明らかにすること。
そして民を親しみ、その苦しみから救う。
いつかは天の理にさえ通じる、至善に至る。
学問の道は未だ遠いが、この儒学の眼目、繰り返し戻り、理解に努める。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。