本文)
第四章
返りて諸を己に求む。(反求諸已)
第五章
家の本は身に在り。(家之本在身)
「反求(反りて求む)」の二字、聖経賢伝、百千万言の帰着する所なり。
「在身(身に在り)」の二字も、同じ工夫なり。
天下の事、大事小事、此の道を離れて成ることなし。
大、四海を包み、剛、金石を貫く。
豈復た他道あらんや。
下二章の大議論と云へども、此の二章に外ならず。
講孟箚記 巻の三上 第四章
意訳)
「返りて諸を己に求む」とは、
常に我が行いを省みること。
この語こそ、儒学、聖賢の書に記された、無数の教えの結論である。
また、
「家の本は身に在り」とは
我が行いが元となり天に至ること。
この語も、儒学、聖賢の書に記された、無数の教えの結論でもある。
天下の事、大小の区別なく、
「常に我が行いを省みる」
「我が行いが元となり天に至る」
この二つの言葉が示す道を離れては、成し遂げることなどなし。
大きさは国中を包み、硬さは金石をも貫く。
この二つの道以外には、行くべき道はなし。
所感)
■吉田松陰先生の解釈
吉田松陰先生の孟子の解釈において、重要な意味を持つ章といえる。
「常に我が行いを省みる」
自分こそが根本であり、外部の事象や人のいざこざなど関係ない。自分の行いが、仁と義の道にそぐわないことがなかったか、常に省みなければばらない。
「我が行いが元となり天に至る」
自分こそが根本であり、仁と義を広げ、家を修め、国を修め、やがては天下を修める。
仁と義による我が行いの積み重ねこそが、天下を修めるに至る自覚を、常に持たねばならない。
■時代を超えて語り継ぐもの
吉田松陰先生の日本の行く末を思う気持ち、そのままを表した壮絶な解釈といえる。
松陰先生の学問の道の凄まじさ、
仁と義の道こそ無二の道であるとの決意、
私心なき思い、
私たち日本人にとって、時代を超えて語り継がなければならない、大切な思い、であることは間違いない。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。