書き下し文)
孟子曰く、仕ふるは貧の為にに非ざるなり。
而れども時有りてか貧の為にす。
妻を娶るは養の為に非ざるなり。
而れども時有りてか、養の為にす。
貧の為にする者は、尊を辞して卑に居り、富を辞して貧に居るべし。
尊を辞して卑に居り、富を辞して貧に居るには、悪くか宜しき。
抱関撃柝なり。
孔子管て委吏と為る。
曰く、会計富るのみ、と。
嘗て乗田と為る。
曰く、牛羊さつとして壮長するのか、と。
位卑しくして言高きは、罪なり。
人の本朝に立ちて、道行はれざるは、恥なり、と。
孟子 万章章句下
意訳)
孟子がいわれた。
人に仕えるとは、貧乏故に仕えるのではない。
しかし、時により、貧乏故に仕えることもある。
妻を娶るとは、世話をしてもらうためではない。
しかし、時により、世話をしてもらうこともある。
貧乏のため、やむを得ず人に仕えるならば、
責任のある地位を辞し、単に使われるだけの立場をとり、
沢山の給料を辞し、少ない給料のままでよい。
どんな職がよいか、関所の番人や、夜廻りの役がよい。
昔、あの孔子ですら、生活のため、蔵番となって人に仕えた。
その時いわれた、
「物の出入りと、会計がきちんと合えば、それでよい。」
またある時、生活のため、牧畜係となって人に仕えた。
その時いわれた、
「飼育している牛羊が、肥えて大きくなれば、それでよい。」
単に使われるだけの立場の人が、沢山の給料を貰っている人のように大言壮語するのは、よくない。
故に、国の政治を動かす重要な立場に居ながら、
民を救う、徳に基づいた政治を行おうとしない人たちは、
恥知らずのろくでなしに違いない。
所感)
■現代に活きる孟子
孟子は古典なのであろうか、
この章を読めば、日常生活に則した箴言でもあるし、社会を視る「ものさし」でもある。
儒学とは、ものごとを正しく捉える学問。
学べば学ぶほど、腑に落ちてくる。
■苦しむ民と恥知らずのろくでなし
ブラック企業では、多能工化の推進とのかけ声のもと、少ない給料で数人分の仕事を課し、こなせなければ無能、又は会社に対する忠誠心が足らないと罵声を受ける社員と、沢山の給料を取る経営者。
方や政治の世界では、高額の給料を貰い、何をしているのかさっぱりわからない人たちが、国民の代表として己が私腹を増やす為に利権を追い、巨額の税金をわけの分からないことに大盤振る舞いし、苦しむ弱者は見ては見ぬ振りをする。
■吉田松陰先生の視点
講談社学術文庫、講孟箚記巻の一、第六章。
「吾が徒、事に臨む毎に、且つは職分を思ひ、且つは人情を思ふ時は、過挙なきに庶からんか」
「問題は、われわれ自身にあることであるから、
事に臨むたびごとに、
わが職任を思い、
人情を思って行動するならば、
まずは過失なくてすむことであろう。」
そう、問題は、われわれ自身にある。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。