書き下し文)
孟子曰く、
其の心を尽す者は、其の性を知るなり。
其の性を知れば、則ち天を知る。
其の心を存し、其の性を養うは、天に事ふる所以なり。
夭寿不弐はず、身を修めて以て之を俟つは、命を
立つる所以なり、と。
孟子 尽心章句上
現代語訳直訳)
孟子はいわれた、
人の心(側隠・羞悪・辞譲・是非の四端から、仁・義・礼・知の四徳)を尽くす者は、人の性、善性を知る。
人の性、善性を知れば、天(宇宙の理、人に内在する道徳的根源)を知る。
人の心(側隠・産悪・辞譲・是非の四端から、仁・義・礼・知の四徳)を養えば、つまり天(宇宙の理、人に内在する道徳的根源)に仕えるということ。
人の命は、短命、長命とあるが、ただ身の修養に務めるのであれば、短命、長命どちらであろうとも、天(宇宙の理、人に内在する道徳的根源)からの命を全うするのみ。
言葉)
■中国古代思想の「天」とは
紀元前1100年頃、西周時代、天上の最高神として崇敬され、上帝呼ばれ、地上のあらゆることを支配すると考えられた。そして、天が王朝に命を与えるとされ、周王が天意の代行者とされた。
君主を天子といい、天の祭りを天子の特権とするとはこのことから言われた。
紀元前770年〜221年頃、春秋・戦国時代には、最高神としての天の信仰は揺らいでくる。
そこで孔子・孟子は、天を宇宙の理法に近いものと解き、道徳の根源を天に求める立場がとられた。
所感)
■瞬帝と天
この章は、性善説、四端四徳、天、孟子の思想体系における根本が述べられている。
儒学を学び初めたころ、頭を悩ましたのが、瞬帝と天を、どう自分なりに理解するかであった。
当初、実在人物としての瞬、という言葉に囚われてしまい、学問が進まなくなった。
そこで、Twitter質問箱で同学の大先輩、周黄矢さんに質問してみた。
回答は、儒学の根本にいる人物であり、実在している、とのご返事をいただいた。
ポイントは、儒学の教えの根本にいる人物であること。目から鱗が落ちた。
もう一つの天は、周黄矢さんが質問箱を終えられた為、自らの宿題となった。
私の当初の疑問は、学問の道に、何故、神のような宗教的な存在を大前提として認めているか、であった。
学問を進めた。
現時点での理解は、天とは世界全体を述べており、全ての解答も当然ながら世界に内在する、故に天とは理であり、道徳の根源もまた、天である。
故に、宗教的であろうが、大前提であろうが、天とは全てを内在する。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。