書き下し文)
孟子曰く、
不仁なるかな梁の恵王や。
仁者は其の愛する所を以て其の愛せざる所に及ぼし、
不仁者は其の愛せざる所を以て其の愛する所に及ぼす。
公孫丑曰く、
何の消ぞや。
曰く、梁の恵王は土地の故を以て其の民を燦爛して之を戦わしめ、大に敗れたり。
将に之を復(報)いんとして、 勝つこと能わざるを恐る。
故に其の愛する所の子弟を駆りて以て之に殉ぜしむ。
是れをこれ其の愛せざる所を以て其の愛する所に及ぼすと謂うなり。
孟子 尽心章句下
意訳)
孟子はいわれた、
梁の恵王とは、なんと不仁であることか。
仁者とは、愛する者に思う心を広げて、愛さない者にもその心を及ぼす。
一方、不仁者とは、愛さない者に思う心をもって、愛する者にもその心を及ぼす。
弟子の公孫丑がいう、
何をもって不仁といわれるのか。
孟子はいわれた、
梁の恵王は、隣国の領地を我がものにしようと、多くの民を強制的に戦に赴かせ、大敗を喫す。
恵王は、戦に負けたことを深く恨み、戦に勝てないことにより自らの評判が悪くなることを恐れる。
そして次に、王子申をはじめ一族郎党を戦に赴かせ、さらに多くの民が再び強制的に戦に駆り出された。
結果、再び大敗を喫っし、多くの民とともに、王子申をはじめ、一族郎党が殺されてしまった。
故に、不仁者とは、愛さない者に思う心をもって、愛する者にもその心を及ぼす、と先に述べた。
所感)
■あちこちにいる恵王たち
梁の恵王とは、なんと愚かで哀しい人であろうか。
自らの私利私欲は肥大化し、自ら戦を仕掛けて大敗したことを、また怨む。
息子や親族を殺されたことは哀しんでも、多くの民が犠牲になったことは屁とも思わない。
このような人物は、残念ながら大小あれど、現代でも何処にでもいる。
ブラック企業を引き継いだ二世、三世の社長であったり、政治家の二世、三世であったり。
大小あれど、一族代々自分が大好きの不仁の人たちだ。
その影に潜む、パワハラで心を病み、過労死にいたった犠牲者や、国から見捨てられた弱者のことなど、恵王と同じく微塵も責を感じない。
儒学とは、虐げられた民を救い、私利私欲にまみれた権力者を否定する。
机上空論の類いではない。故に、学問の道という。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。