この一語は、孟子みずから決心され、天に誓われ述べられた。
故に、孟子は時運に遇っても遇わなくても、すべてを天にまかせて顧みることはなかった。
自身において、道を明らかにし、義を正しくし、
言うべきことを言い、為すべきことを為すのみ。
故に、孔子・孟子が終身、世にでることもなく、路で老い死すとも、少しも愧じること、倦むことはなかった。
今、私たちが、獄中に在って「孟子」を読むからには、深くこの義を思わなければならない。
講孟箚記 第十六章
所感)
■背景
孟子が魯国を訪れた時、高名な孟子に会おうとした魯君平公は、臣下の佞言に阻まれ実現することはなかった。
そこで、冒頭の「われ魯侯に遇はざるは天なり」と孟子はいわれた。
■吉田松陰先生
この講孟箚記の前半を書かれた時、吉田松陰先生は獄中にあった。
松陰先生は、生きて獄を出られぬ覚悟でこの書を書かれており、文字通り、
「路で老い死すとも、少しも愧じること倦むことなし」
との決死の心境が文中から滲み出ている。
■覚悟の継承
学問とは、地位や名誉、財産を得る為に行うものではなく、ただ、「為すべきことを為すのみ」。
天下を覆うばかりの仁を持たれ、世の中を救おうとする志しあれど、時運に恵まれなければ、路で老い、獄中で死す。これも、天命であろう、と。
松陰先生の覚悟が伝わってくる。
孟子を学び、学問の徒を目指す日本人であれば皆、先達の松陰先生がなされた覚悟を、義を、
常に肝に銘じなければならないのではないか。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。