四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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講孟箚記 われの魯侯に遇はざるは天なり

f:id:aristotles200:20210914203005j:plain#儒学 #孟子現代語直訳)
「われ魯侯に遇はざるは天なり」

この一語は、孟子みずから決心され、天に誓われ述べられた。

故に、孟子は時運に遇っても遇わなくても、すべてを天にまかせて顧みることはなかった。

自身において、道を明らかにし、義を正しくし、

言うべきことを言い、為すべきことを為すのみ。

故に、孔子孟子が終身、世にでることもなく、路で老い死すとも、少しも愧じること、倦むことはなかった。

今、私たちが、獄中に在って「孟子」を読むからには、深くこの義を思わなければならない。

講孟箚記 第十六章

 

所感)

■背景

孟子が魯国を訪れた時、高名な孟子に会おうとした魯君平公は、臣下の佞言に阻まれ実現することはなかった。

そこで、冒頭の「われ魯侯に遇はざるは天なり」と孟子はいわれた。

 

吉田松陰先生

この講孟箚記の前半を書かれた時、吉田松陰先生は獄中にあった。

松陰先生は、生きて獄を出られぬ覚悟でこの書を書かれており、文字通り、

「路で老い死すとも、少しも愧じること倦むことなし」

との決死の心境が文中から滲み出ている。

 

■覚悟の継承

学問とは、地位や名誉、財産を得る為に行うものではなく、ただ、「為すべきことを為すのみ」。

天下を覆うばかりの仁を持たれ、世の中を救おうとする志しあれど、時運に恵まれなければ、路で老い、獄中で死す。これも、天命であろう、と。

松陰先生の覚悟が伝わってくる。

孟子を学び、学問の徒を目指す日本人であれば皆、先達の松陰先生がなされた覚悟を、義を、

常に肝に銘じなければならないのではないか。

 

今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。

#儒学 #孟子 #吉田松陰